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イエテ◯ソラへ (23) ☆ トウモロコシ ☆

 人に見つからないうちに、こっそり11階のへやに戻って、自分のベッドにもぐっていようか! いっしゅん、ほんとにそうしようかとも思った。
 でも、黒バッグの上にのせて置いた、スケッチブックの束を見た時、あ、ちがう! わたしの『物語』の最後は、そんなみっともない終わり方には、したくない! と強く思った。
 麻美に見せても、恥ずかしくない帰り方にしたい。それこそ、わたしのプライドにかけて!
 それに · · ·〈後悔しない生き方をする!〉〈強くなろう!〉って、決めたんだ。これはおにいちゃんに教わったこと。もうひとつ〈がまんして、心にためないこと〉もある。そう決めたのだから、それらしくしなくちゃ。

 わたしはいそがしく動き始めた。ラーメンは手づかみでひろって、パンの空き袋につめた。やっぱりぬるい水では、ラーメンは固いままだった。
 ふとんとバケツをもとに戻し、電気スタンドも、おしいれに入れた。
 何もかも片づけて、わたしはまだ明るさの残る外に出た。これで少し、屋上の扉の外へ出て行く、心の準備はできた。でも、さわぎに巻きこまれたら、『物語』 の最後は、中途はんぱのままになるだろう。
 今のうちに、防災無線の放送を聞いたことや、後片づけのことを、ざっと描き足しておこう。思い立つと、パラボラアンテナの影を避けて、西日が見えるところに座り、暮れていく空の明かりと、競争するみたいに、ほんとにざっとだけど、 夢中になって描いた。
 どこかで声がしていたけれど、仕上げることに夢中だった。
 こんなふうに、自分の好きなことを、とぎれとぎれでも、細ぼそとでも、捨てずにずっと続けていれば、いつか夢に近づけるのでは、と思った。
 あ、それがわたしの〈バターの小島〉になるんだ! きっとそうよ!

 そうひらめくと、わたしは大きな発見をしたような、目が開けるような、世界が広がったような、胸ふくらむ感じになって、思わず立ち上がった。
 わあ! と両手を、空に向かって広げていた。空がわたしの証人だ!
 とつぜん、向かいのビルから、叫び声が上がった。
「あーっ! おまえっ!」
 びっくりしてふり向くと、いつのまに来ていたのか、あの茶髪のおにいさんが、わたしを指さしていた。トウモロコシを食べていたらしく、口から離した姿だった。
 わたしははっとしゃがみこんだ!
「じいちゃんが言ってたのは、おまえか? あれっ、さっきの放送は? あ、そうか、おまえだな! そのまま、そこにじっとしてろ。じいちゃん、これ一本もらうぜ」
 彼はまた声をはり上げた。
「おーい、これ、投げるぞ。受け取って、そこで食ってな。飛び下りたりするんじゃねえぞ。オレが今、そっちへ行ってやっから」
 飛び下りるなんて!
 わたしはむっとして、半分頭をのぞかせた。トウモロコシが、宙を舞って飛んできた。あわてて胸と両手で、バシッと受け止めた。アツアツゆでたての、黄色いトウモロコシだった。いい匂いがする。
 わたしは目をぱちくりして、手に持ったまま立ち上がった。
「見つけた! と連絡もしとくからな! そこ動くんじゃねえぞ」
 彼は歯を見せて笑うと、くるっと背を向けて、突進するように、エレベーターにかけこんだ。

 おじいさんの姿が、杖にすがって、ゆっくりと立ち上がってきた。わたしを見つけて、うなずいている。顔がゆがんで見えるのは、せいいっぱいの笑顔なのだ。
 わたしは匂いの誘惑に負けて、かじりついた。なんてあまい! なんておいしい! のどから食道を通って、胃におさまっていくのがたどれるほど、おいしさが体の芯まで沁みわたった。
 おじいさんが見つめているのに気づいて、トウモロコシを見せながら、わたしは跳んではねてみせた。それから、お礼に深ーく頭を下げた。
 おじいさんには、さっきの放送の中身は、伝わっていないのかも · · ·。わたしがおいしそうに、トウモロコシを食べているのが、うれしくてたまらない、というように、笑顔で何度もうなずいていた。

★ 麻美 ★
 武春さんの紙には〈イエテ○ソラヘ〉とあった。

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「どうやったのよ」と、あたし。
「あれこれやってみたあげく、一文字×(つまり、とばして)二文字×三文字× とやってみた。ただ、最後に〈ヘ〉が残ったから、規則的じゃないけど」
 すると、横から見ていたクミが口を出した。
「この丸は〈ワ〉だよ。〈テ〉は〈デ〉の点が、落ちてるんじゃない?」
 武春さんがうなった。
「そうか! 家出は空へ、だ!」
 すると今度は、反対側から見ていた朝子が叫んだ。
「残りの〈ダ・ノ・ソ〉は、〈そのだ〉の逆じゃない!」
 あたしの腕に、鳥肌が走った。
「あの園田ビルの、屋上よっ!」
「そうか、あそこに、空家がある! 家出は空へ、だっ」

 みんないっせいに、立ち上がった。
 おじさんは、こんなこと言ってた、ゆっくりと。
「裕香は、これからが、たいへんだぞ。空家に3日もいたんじゃ、それこそ、住居、不法、侵入罪、だもんな」
「いいって、いいって。無事でいればさ」とあたし。

 園田ビルに着いた時、ちょうど上りのエレベーターが、閉じるところで、ちらっと中に何人か見えた。
 もう一台のエレベーターに、すぐ乗りこんだ。あー、ついにノートの裏までゼロ! 明日買うね!


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