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文学の専門家の言うことを信じていいんですか? 批評編

おことわり この文章は、批評入門の新書を書いた文学の専門家(大学教授)による(専門分野の)批評に関する発言を信用してよいか疑わしい具体例を示します。これは次の2点で公共の利益に資するものです。ひとつは、著書や肩書は専門分野に関する発言の信頼性と無関係であること、つまり裏付けとなる証拠を示さなければ、教授といえどもその主張は信用すると危険なことを示します。この事実は、裏付けを示さずに大学教授など学識者のコメントを正しいものとして提示する大学やマスメディアに対する注意を喚起するものです。もうひとつは、この事実を知らしめることにより、根拠のない発言を肩書で信用する教員や教諭が、生徒や学生の批評の自由を歪め、制限することを防ごうとするものです。

文学が専門の教授の主張「ディストピア文学を日本と結びつけないのは問題だ」

2024年1月、草津町長に対する名誉棄損について地方裁判所で「虚偽が流布されて名誉を著しく毀損した。責任は軽くない」と有罪判決が出ました。

そこで、大学生にとってディストピア文学の新しく深い読み方の模範として、草津町を「イプセンの『民衆の敵』じゃん(地元の温泉に都合の悪い事実を公表しようとした科学者が、兄貴の町長の画策で「民衆の敵」認定される)。」と結び付け(指摘を受けた後に削除し)た武蔵大学人文学部教授の北村紗衣先生の主張を振り返ります。

文学などの批評入門の新書『批評の教室』を書いた、武蔵大学教授の北村先生は、ディストピア文学について次で要約される主張をしました。(詳しい主張は後で引用するツイートを参照)

A ディストピア文学を日本と結びつけないのは問題だ。ディストピア文学は読み手がどこに住んでいようと、「今、我々が住んでいる場所」を描いたものとして読むものだ。
B ディストピア文学というのは「自分はディストピアに住んでなくて良かった」みたいに読むものではない。
C 「今、我々が住んでいる場所」を描いたものとして読むのが、大学で習う文学作品の新しい読み方や深い読み方だ。
D イプセンの戯曲『民衆の敵』から「19世紀のノルウェーの田舎は遅れていた」みたいな感想は芝居の醍醐味を受け取れておらず、草津町に結び付けるのが模範的である。

ここでのディストピア文学はジョージ・オーウェルの『1984年』が想定されているという匿名による説明があります。

まず、ニュースピークや二重思考の話をしているから、具体的な例としてオーウェルの『1984年』が想定されているよ。

はてな匿名ダイアリー

さらに、北村先生が「他の先生と困ったもんですねって話した」り、著書『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』で知られる甲南大学文学部教授の田野大輔先生に通知しても、その主張が否定されていないことから、それは文学の専門家、社会学の専門家の常識だと結論付けられます。特に、田野先生はSNSでの間違った発言を看過せず指摘していることから、専門家の常識に反するなら文学部に籍を置く社会学者の田野先生が放置しておくはずがありません。

「ナチスは良いこともした」――。そんなSNSでの発言に対し、ナチズムを専門に研究する田野大輔さんは「間違っている」と指摘してきました。

朝日新聞 「ナチスは良いこともした」という逆張り その根底にある二つの欲求

フェミニストで知られる東京大学名誉教授の上野千鶴子先生は「都合の悪いデータは隠す」と述べました。フェミニストを自認する北村先生もこの主張について何も裏付けを示していません。そして北村先生の主張とそれに関するネットでの議論をまとめたウェブページは残念ながら削除されてしまい、検証が困難になっています。

そこでここでは、これらの主張に対する反例を示すことで、文学批評を専門とする教授の主張が信じて良いか疑わしいことを示します。北村先生はイギリスで博士号を取得されているので、イギリスでの例を含むようにしています。

A ディストピアを自国以外に結び付ける例(北村先生ご自身、ケンブリッジ大学教授、ディストピア文学翻訳家鴻巣友季子氏、ニュース解説者池上彰氏、イギリスを含む39か国の政府によりまとめられた報告書、リンク先 立命館アジア太平洋大学学長出口治明氏、ブッカー国際賞選考委員、評論家栗原裕一郎氏、編集者山口晶氏、批評家佐々木敦氏など)
B 作家がディストピア作品を読んでいまの世界を肯定する例(作家松崎有理先生、イギリス高等裁判所裁判官、リンク先 作家宮部みゆき先生)
C 今の自分に結び付ける読み方は、小学生の読み方で大学では新しくも深くもない(明光義塾、ベネッセ、小学校教諭 熱海康太先生)
D 「地元の温泉に都合の悪い事実を公表しようとした科学者が、兄貴の町長の画策で「民衆の敵」認定される。」の草津町への結び付けを批評する。

ただし、長くなってしまったので、Dは独立した文章に分けました。

つまり、北村先生のようにディストピア作品を日本に結びつけても良いし、いまいる世界がディストピアだと思うのも良い。しかし、これから示す実例から、北村先生のような感想以外は問題だとする北村先生の主張の疑わしさを明確にします。

証拠のないこと、小学生なら知っていることを新しく深いこととして大学で習いたい受験生は、文学部に進学すると良いでしょう。

A ディストピア文学を日本と結びつけないのは問題だ

このツイートに引用されていたのが、次の削除されたツイート。「みたいな感想になったら、それ全然芝居の醍醐味を受け取れてない」と書いた後に引用しているので、草津を結びつけるこの感想が模範的ととらえるのが自然です。

草津、イプセンの『民衆の敵』じゃん(地元の温泉に都合の悪い事実を公表しようとした科学者が、兄貴の町長の画策で「民衆の敵」認定される)。

引用元のツイートと削除された引用ツイートのアーカイブ

ディストピア作品を自分が住んでいないところに結び付ける具体例を5つ示します。

北村先生が映画『バービー』をアメリカに結び付ける

そしてとても皮肉なのが、現実世界の『バービー』の宣伝においても、この創造主の地位の簒奪とでも言うべき行為が実際に行われたことだ。
(略)一方で『バービー』の配給を行っているワーナー・ブラザーズの新しいCEOとなったデイヴィッド・ザスラフはいわくつきのトップであり、白人男性中心的な会社運営が批判されている。ハリウッドの予算規模が大きな映画では、映画は出た瞬間に商品になるので、創造主である監督や脚本家は宣伝やマーケティングなどを統括することはできない。
(略)しかしながら男性中心的な運営体制をとるワーナー・ブラザーズの宣伝部門はガーウィグのチームのそうしたヴィジョンを理解しておらず、この映画を原爆被害者の尊厳を傷付けるようなアメリカ中心的かつ軽薄な手法で商品化しようとした。これは映画の中でCEOを中心としたマテル社がルースの作ったバービーを男性中心的な発想で簒奪しようとしていたのとよく似た展開である。ファンタジー映画である『バービー』は、あまりにもリアルに現実を映し出していたと言ってよいだろう。

GQ JAPAN 北村紗衣 映画『バービー』レビュー──作品と“バーベンハイマー”対応に見る「創造主の地位の簒奪」

「『バービー』は、あまりにもリアルに(ワーナー・ブラザーズの宣伝部門を通して映画を支配するCEO)の現実を映し出していた」という表現から、北村先生がこの映画をアメリカ(のワーナー・ブラザーズ)に結び付けていることがわかります。そこで、映画『バービー』がディストピアの特徴を有していることを多くの人による映画を見た感想で確認します。

そもそも、すべてのシステムが乱れなく機能し、完璧な幸せがルーティンでつづくバービーランドは、トマス・モアの提唱した『ユートピア』と同様、見えないディストピアのイデアを感じさせるではないか。

鴻巣友季子の文学潮流(第5回) 映画「バービー」は日本でうけてる? 「死」と「不安」のダブルミーニングを読み解く

20世紀後半現実の男性中心マッチョ社会をオセロゲームで裏返したようなディストピア社会。

バービー kumiko21さんの映画レビュー(感想・評価)

このように、北村先生はディストピア映画である『バービー』を日本に結びつけていませんが、「あのさ「『バービー』を見た北村先生が「アメリカみたい」とか言って全然日本と結びつけない」という問題を、他の先生と困ったもんですねって話した」という指摘は見つかりません。ご本人も気にしていません。それは、ディストピア作品を日本に結び付けなくても問題ないからです。

ケンブリッジ大学教授 Marc Weller 先生が「1984」をロシアに結び付ける

ケンブリッジ大学国際法国際組織学教授 Marc Weller 先生がケンブリッジ大学のウェブページで公開している文章から引用します。

The Russian representative in the General Assembly emergency session concluded that Russia is: “exercising its right to self defence from a regime that sought to recover access to unique nuclear weapons. At the same time, Ukraine pursues NATO membership and has territorial claims to Russia” – one presumes in relation to the Ukrainian territory of Crimea – “so by activating Article 51 of the Charter, Russia not only protects itself from a nationalist threat but also recovers validity of the goals and principles of the UN Charter, and provides for full implementation of the main tasks of the United Nations: prevention of a new World War.”
国連総会においてロシア代表は次のように結論付けた。「ロシアは独自の核兵器へのアクセスを復活させようとする政権から自衛する権利を行使している。同時に、ウクライナはNATOへの加盟を求め、ロシアに領地があると主張する。」(クリミアのウクライナの領地の関係が推測される。)「国連憲章51条(正当防衛)を発動することで、ロシアは国家主義者の脅威から国を守るだけでなく、国連のゴールと規範の妥当性を回復する。そして、国連の主要任務である新たな世界大戦の回避の完全な実施を規定する。」
This is the Orwellian Ministry of Truth speaking. It is a perversion of both the facts and the law, and therefore it does mean a significant stepping out of the dialogue, which – in crises and conflicts – we are used to as international lawyers; one that is conducted within a framework of reference we would normally recognise. Sadly, this is an extremely serious challenge to our understanding of what world order means and what international law does to try and safeguard it.
これはジョージオーウェル「1984」の真理省の話し方である。これは事実と法律の両方を歪曲している。よって、危機と衝突において、国際弁護士として馴染みのある対話からの重大な逸脱を意味する。それは私たちが通常認識するリファレンスの枠組みの中でおこなわれるものだ。悲しいことに、これは世界秩序が意味することとそれを守るために国際法がすることについての私たちの理解に対する極端に深刻な挑戦である。

 Marc Weller Russian attempts to invoke international law dismantled

イギリスに住むケンブリッジ大学教授がディストピアをロシアに結び付けた文章をケンブリッジ大学のウェブサイトで公開し続けていますが、問題になっていません。なぜなら、ディストピアを住んでいないところに結びつけても全く問題ないからです。

翻訳家鴻巣友季子氏が『侍女の物語』『誓願』をアフガニスタンに結び付ける

大地震のあったアフガニスタンでは、タリバン支配下で「詩作禁止令」が発令されました。これは、詩を中心に文学の長い伝統を築いてきたこの国と文化圏にとって、事実上の文学封殺令です。
独裁政権下では、芸術・学術への弾圧が真っ先に起きることは、ここでも書いたことがあると思います。同時に行われるのが教育機会の剥奪ですが、同国では女子の中等以上の教育が再び差し止められています。まさに、マーガレット・アトウッドは現実のどこかで起きていることを『侍女の物語』『誓願』に書いたと言えるでしょう。

年末年始に読んでほしい!読書のプロ・鴻巣友季子が熱烈におすすめする2023年の小説24作品

ニュース解説者池上彰氏が『1984』を中国に結び付ける

著者はアメリカ人ジャーナリスト。2017年8月から2020年9月までに168人のウイグル人たちにインタビュー取材をし、証言内容の裏取りをした上で、疑わしい証言は捨てることで本書がまとめられました。
結果は、驚くべきものでした。かつてジョージ・オーウェルは小説『1984』で、「ビッグ・ブラザー」によって、人々のあらゆる言動が監視されるディストピア社会(ユートピアの逆)を描き出しました。こんな社会は、いくら監視技術が進んだところで、実現することはないだろうというのが、1983年に私が読んだときの感想でした。しかし、現実の新疆ウイグル自治区では、それ以上の監視システムが実現していたのです。

『AI監獄ウイグル』書評

イギリスを含む39か国の政府によりまとめられた報告書がディストピア小説をロシアに結び付ける

These are just a handful of the individual activists and bloggers that reports describe as targeted for repression simply for expressing opinions contrary to government propaganda and disinformation. An Orwellian dystopia is being realized before our eyes in Russia.
 政府によるプロパガンダやデマに反する意見を表明しただけで標的となった活動家やブロガーは数多くいます。ジョージオーウェルの小説に書かれたディストピアがいま私たちの目の前のロシアで実現されているのです。

First Anniversary of Moscow Mechanism Report on Russia: Joint Statement to the OSCE

これら5つの実例以外にも、ディストピア作品を自国以外に結び付ける例が次にまとめられています。

探せば探すだけこのような実例は見つかりますがきりがないので、ここまでとします。名前が挙がった人たちはすべて「ディストピア文学の読み方がわかっていない」人だと、北村先生は指摘しています。

B ディストピア文学というのは「自分はディストピアに住んでなくて良かった」みたいに読むものではない

作家の松崎有理先生「ディストピア作品を読むと、いまの世界を肯定することができる」

2020年9月26日。応用哲学会第12回年次大会シンポジウム(オンライン開催)でパネリストのひとりとして登壇させていただきました。
(略)
まず、読者としてディストピア作品を読むときは、娯楽として楽しむためです。そのあと、いまの世界を肯定することもできます。

松崎有理 ディストピアとは何か、小説家がわかりやすくプレゼンする(おすすめ作品リストつき)

いまの世界を肯定することができるのは、ディストピア作品の世界がいまの世界ではないからです。応用哲学会の年次大会で発表していますから、(北村先生が主張するように)この読み方が不適切なら発表に対する批判や指摘があったはずです。批判や指摘について、登壇後に公開されたプレゼン資料に言及がなく公開されていますので、「ディストピア作品を読むことでいまの世界を肯定できる」は松崎先生ひとりのご意見にとどまらず、応用哲学会のチェックをパスしたということです。

イギリス高等裁判所「私たちはジョージオーウェルのディストピア作品のような社会に住んだことはない」

He (Mr Justice Julian Knowles) writes:
“The effect of the police turning up at (the Claimant's) place of work because of his political opinions must not be underestimated. To do so would be to undervalue a cardinal democratic freedom. In this country we have never had  a Cheka, a Gestapo or a Stasi. We have never lived in an Orwellian society.”
裁判官は次のように書いている。
Claimant氏が政治に関する意見をネットに公表すると彼の職場に警察が現れることの効果を過小評価すべきではない。そうすることは友好的な民主主義の自由の価値を低下させる。この国には、チェカー(ソビエト・ロシア初期の秘密警察組織)、ゲシュタポ(ドイツ警察の中にあった秘密警察部門)、シュタージ(旧東ドイツの秘密警察)のどれもいたことはない。私たちはジョージオーウェルのディストピア作品のような社会に住んだことはない。

イギリス高等裁判所 報道機関向け要約(2020年2月14日分)

これらの例以外にも、作家の宮部みゆき先生がディストピア・フィクション論の書評で「「お話」としてのディストピアに浸ることによって、自分が身を置いている現実の良いところを再確認し、フィクションのディストピアが未来の現実にならないようにするには何を心がけるべきなのかと考える機会を得る。」と書いている実例が前述のリンク先(武蔵大学北村紗衣先生の教えに反するディストピア作品解釈の数々)に示されています。

C「今我々が住んでいる場所」を描いたものとして読むのが、大学で習う文学作品の新しい読み方や深い読み方だ

北村先生の言う新しい深い読み方は、小学校ですでに習った新しくも深くもない読み方であることを示すために、小学生向けの読書感想文の書き方の解説を3つ引用します。

小学生に求められる読書感想文
書き方として意識したいのは、感想を書くときに「自分のこととして考える」ことです。
小学生は「面白かった」とだけ書くことが多いのですが、「なぜ面白いと思ったのか?」と掘り下げて考えてみると、本の内容を自分のこととして捉えられます。

明光義塾 読書感想文の書き方は?簡単に書けるおすすめ構成から原稿用紙の使い方まで

・心を動かされた場面から、自分なりに考えたこと
主人公の気持ちや物語の中で起こった出来事を、自分の心情や実際の体験と照らし合わせることができると深い内容にすることができます。
心を動かされた場面から、「主人公が○○と考えて行動したことが、自分と似ている」「主人公は○○したけれど、私だったらどうしただろう」というふうに考えてみましょう。
構想メモフォーマットQ2 自分や、自分の周りで似たようなことはある? 自分ならどうする?

ベネッセ 読書感想文の書き方 構成のコツから本の選び方、注意点まで徹底解説!

重要なのは、自分が主体になるように書くことです。
「(このように書いてあり)自分にもこのようなことがあったから、やはり……」など、自分ごとに置き換えて書いていくと、本と自分の関係が近いことが伝わります。

 熱海 康太 本を買う前に書き始める!? 現役小学校教師が指南する、読書感想文の極意

小学生の時点で、文学作品を自分の周囲に結び付けて読むことを習っています。「今、我々が住んでいる場所」を描いたものとして読むことは、学生にとってそれが文学作品の新しい読み方や深い読み方ではありません。北村先生が教える読み方は、大学生どころか中学生にとってすら昔習った読み方でしかありません。

でも人文系で証拠は役に立たない

もし、教員や教諭から「ディストピア作品は日本に結び付けないと問題だ」というような根拠のない指導を受けて、あなたがそれに納得できなければ、今回のような反例を集めてみるのもひとつの方法でしょう。これは自分が納得するためであって、必ずしも指導した側に示す必要はありません。むしろ示さないほうが良いでしょう。指導者の反発を受けて成績を下げられるなどの被害を受けるかもしれませんし、人文学ではエビデンスを重要視しないのが流行していますから。北村先生らが呼びかけたオープンレター「女性差別的な文化を脱するために」に署名された大阪大学大学院人間科学研究科教授の村上靖彦先生(専門は哲学))が「エビデンスという道具を使って、他者をたたきたいという暗い欲望が蔓延しているように感じます。」と述べているように。

まとめ

武蔵大学人文学部教授の北村先生(文学などの批評入門書「批評の教室」著者)が示した、ディストピア作品を日本に結び付けないのは問題だ、などの文学の専門家の常識は、根拠のないものであることを豊富な反例を挙げることで説明しました。それぞれの常識に対する反例の数は次の通り。

ディストピア作品を日本に結び付けないのは問題
→ディストピア作品を自国に結び付けない5例(北村先生ご自身の例を含む)
ディストピア文学を「自分はディストピアに住んでなくて良かった」みたいに読むのは問題
→自分はディストピアに住んでなくて良かったという読み方の2例
文学作品を「今、我々が住んでいる場所」を描いたものとして読むのが、大学で習う新しい読み方や深い読み方
→文学作品を「今、我々が住んでいる場所」を描いたものとして読むのは、小学校で習うことという3例

文学を専門と自認する人文学部教授の北村先生が、文学について多くの実例に反した主張をしていることから、たとえ大学教授でも文学の専門家の主張は専門分野に関するものでも証拠がなければ信じて良いか疑わしいことを示しました。文学の専門家の意見や主張は何であれ裏付けが必要です。