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ゲルハルド・リヒター展@東京国立近代美術館

国立近代美術館へ、ゲルハルド・リヒター展を見に行ってきた。2022年6月7日から10月2日の長丁場で、会期前から色々な媒体で取り上げられていたのでそれなりの予備知識はあったが、どうもとらえどころがなく、実際に見ても、やはりとらえどころがない、という印象は消えず。

リヒターは1932年生まれ。私的な話になるがわたしの父が同じく1932年生まれ、そして、先週見に行った堀内誠一もまた、1932年生まれである。戦前・戦中の記憶があり、しかし兵役にとられるよりは少し若い、という世代。
リヒターは1961年、ベルリンの壁が東西ドイツを分断する直前にドレスデン(東独)からデュッセルドルフ(西独)に移住し、その後拠点をケルンに置いて活動。
60年以上にわたる芸術活動を、展覧会場で配布していた作品一覧で丁寧に解説している(通常の展示品リストよりかなり踏み込んでいて、会場内で読んでから鑑賞すると理解が深まる)。展覧会は時系列になっておらず、幾つかのテーマごとに部屋を分けて展示していて、作品一覧の解説を読んでから戻って先に見た作品を再度見てみたりする。やはり、インパクトが強いのは「ビルケナウ」の部屋で、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所で密かに撮られた写真イメージを描いた上に絵の具を塗りこめ、スキージ(へら)でならされた画面に、元々描かれたものは浮かび出てこないが、見る人が自分の頭の中でビルケナウをイメージする、という作品群。ちょっと不鮮明な写真が4枚、それを元にリヒターが描いた絵が4点、それを写真にした同じ大きさのパネルが4セット、この絵画と写真作品を向かい合わせに配置し、部屋の奥には「グレイの鏡」というエナメルにガラスを貼った、鏡のようになったパネル。
入り口入ってすぐの「8枚のガラス」という立体作品に圧倒され、その周囲に配置されたアブストラクト・ペインティング(スキージで様々な色が塗られたキャンバスを切り裂くように抽象文様を描いている)を眺め、「ビルケナウ」を眺め、その隣の部屋のカラー・チャートを見る。この辺は抽象度が高いが、フォト・ペインティングが多く置かれた部屋で、風景画や肖像画を見ると、まるで写真のような不思議な仕上がりで、ちょっとホキ美術館のスーパーリアリズム絵画を思い出したりもする。
そして、巨大な「ストリップ」作品。様々なビビッドな色の横縞の大きなパネル。リヒター展では1点だけ展示されていたが、常設展の方に小ぶりなストリップがもう1点。
出口に近い細長い回廊ではオイル・オン・フォト、アラジンなどの小さめの作品がびっしりと並び、唯一の映画作品「フォルカー・ブラトケ」を上映していた。
行ったり戻ったりして、リヒターの様々な表現を反芻してみたが、様々な様相の作品群の中で、リヒターが何を主張したいのかをくみ取るのはかなり難しい。本能的な部分に訴えかけてくるけれど、それを言語化しにくい。少なくとも、それは「真・善・美」とは違う世界にあるものなのかな、と。

ごく一部の作品を除いては撮影自由。でもたぶん、写真では伝わらない、という無力感があり、写真を撮っている人はそれなりにいたけれど、撮影音がうざい、とかそういう状態にはなっていなかった。

ビルケナウ
ストリップ
カラーチャート
8枚のガラス

平日の午後ということもあり、そんなに混雑はしていなくて、じっくり作品と向き合えた感じ。そして美術展の常でとても寒い。防寒対策必須。
そして、常設展のリヒターも見ることを考えると、それなりに時間に余裕を持って見に行くことをお勧めします(作品が大きいので、さーっと見て回るなら短時間でも大丈夫ではあるが)。

#美術館 #美術展 #ゲルハルド・リヒター #国立近代美術館 #ビルケナウ


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