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毎日読書メモ(141)佳き少女小説:松田 瓊子『紫苑の園・香澄』

松田 瓊子けいこ(1916-1940)は夭折した日本の小説家。小説家野村胡堂の娘で、後の図書館情報大学学長松田智雄の妻(結婚して2年ちょっとで肺結核で亡くなっているが)。名前も知らなかったのだが、現在朝日新聞に連載されている、池澤夏樹「また会う日まで」の中で取り上げられていて、存在を知った。「また会う日まで」は、池澤の大伯父(福永武彦の母の兄)である、キリスト者である海軍軍人秋吉利雄の生涯を描く小説だが、その中で、娘洋子が女学校で回し読みをしている小説として、松田瓊子の『紫苑の園』のタイトルが出てくる。どんな小説なんだろうな、と思って、図書館で借りてみる。

(2000年には小学館文庫にもなっていたようだが、今はAmazonでは扱いなし)

『紫苑の園』は瓊子の死の翌年、1941年に単行本が刊行され、秋吉利雄の娘が読んだのもその時期だろう。中原淳一編集の「ジュニアそれいゆ」に連載されたこともあり(1956年)、わたしが読んだ本(大空社から刊行された松田瓊子全集)の表紙も中原淳一の絵。時系列的に全く間を空けないで話が続く『香澄(続・紫苑の園)』は、テーマが一気に結婚に進むので、「著者の若さによるはにかみを遺族が尊重して、はるかな後日の刊行となった」ということで、単行本が刊行されたのは1948年。『紫苑の園』が尻切れとんぼ、というか、起承転結もない、話の途中で終わっているので、当時の読者たちは続きが読みたくてやきもきしているうちに太平洋戦争が始まり、終わり、全く違った環境で続きを手に取ることとなったのではないだろうか。

小説の舞台は昭和8~9年(1933~1934年)(お正月のシーンで9年、と書いてあったので、たぶん)。戦前ののどかな時代だったのではないだろうか。イメージとしては中島京子『小さいおうち』みたいな。お金持ちの道楽的に、女学校に通う少女たちを自宅を兼ねた寮で預かっている家に、父を亡くし、母が重病で入院することになった女子大1年の香澄がやってくるところから物語は始まる。キリスト教の影が大きく、女学校と女子大は高大一貫校なので、キリスト教系の学校か、と思ったが舞台が小田急の沿線で、本人の経歴をかんがみると、日本女子大が舞台なのかも。

日本の戦前の少女小説、というと、わたしが思い出すのは川端康成『乙女の港』(実は中里恒子の作らしいが)、そして、別に当時の作品ではないがイメージが強いのは、高野文子の漫画『おともだち』所収の「春ノ波止場デウマレタ鳥ハ」。今回読んだ『紫苑の園』はそれと近い世界観で、やや浮世離れした、うつくしい世界の中で無邪気に育つ少女たちの物語、というイメージ。無邪気、はちょっと違うか。主人公香澄は父を亡くし、更に母も奪われる。共に紫苑の園に暮らす少女たちそれぞれに事情もあり、屈折した気持ちが表れるシーンもあるが、基本的に生活の苦労、というものが全く見えない。

夏休みに芦ノ湖畔でキャンプをするシーンとか、消灯時間にうるさい女中さんの眼を盗んで、アメリカ帰りのスケ爺さんの思い出話を聞きに行ったりとか、読書会をして自分の好きな本の話をするシーンとか。紹介された本は『家なき娘』『若草物語』『小公女』『秘密の花園』、時間切れでタイトルだけ列記されたのは『レ・ミゼラブル』『アンクル・トムズ・ケビン』『白秋童謡集』『蚊トンボ・スミス(これは「あしながおじさん」のことでした)』。なんというか、王道。

香澄のはかない風情と不幸、思い悩む様と、少女たちの笑いさざめく暮らしが交互に進み、大きな抑揚はないまま、すべての登場人物の前向きな様子に元気を貰える、気持ちのいい物語だった。時代のきな臭さを感じさせない、おとぎ話とも言えるけれど...。




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