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萩往還ウルトラマラニック(2018年5月):たった70km

萩往還ウルトラマラニック70kmに参加してきました。何年も前から気になっていた大会だったけど、自分ひとりだと宿とかどうしたらいいかわからず、ひるんでいるうちに月日が過ぎ、なんと今回が最終回というので、昨年のエントリー開始日には意気込んでクリック合戦。ウルトラマラニックはA250㎞(制限時間48時間)、B140㎞(24時間)、C70㎞(12時間)があり、250はありえん、というか、140完踏した人しか参加資格がないので、140にエントリーしようと思っていたのだが、エントリー時のクイズの答えを調べている間に定員に達してしまいアウト、やむを得ず70㎞にエントリー。一気に気が楽になり、特に下準備もなく、へらへらと旅行準備。250㎞は5/2の18時スタート、140㎞は5/3の18時スタート、70㎞は5/4の6時スタートで、ゴールはみな5/4の18時です。今年のゴールデンウィークは後半天気が崩れるという予報で、ちょっと心配していたが、だんだん好転。70㎞舐めているわたしはとりあえず、山口まで行くなら何が出来るだろう、という旅行計画に専心し、5/2に休暇をとってこの日のうちに広島入り、広島からちょっと先に行って、今まで行ったことのない岩国で錦帯橋を見物、次の日は山口に行って萩往還の受付をする前に、これまた見たことのない秋芳洞と秋吉台のカルスト台地を見に行くことに決め、切符を取ったり宿を取ったり。4月は結構週末ごとに予定が入っていて、全然ロングランもせず。佐倉朝日健康マラソン(3/25)以降、最長距離が4/14の23㎞、それ以外は長くても10㎞位しか走れなかった。うーんまぁ70㎞だし。ウルトラマラソン舐めてていいのか?萩往還、という響きに憧れてエントリーした時点ではどういう道を走るかも理解していなかった。萩往還道って、昔の街道で、山口県防府市(瀬戸内海沿い)から山口市(ちょっと内陸)を通り、萩(日本海側)までを結ぶ、石畳の街道で、今は当然自動車道が通っているが、一部山越えの石畳の道が残っていて、それが整備されたのを記念して、平成元年に始まった大会なのだった。つまり、自動車道は全部つながっているが、そこを走るのは一部だけで、あとは山道(それも石畳率高い)を走るマラニック(マラソン+ピクニック、の造語)なのだった。あんまり深く考えていなかったが、不整地に弱くてすぐ足首捻挫してしまうわたし、こんな大会出て大丈夫なのか?案内パンフが届いて、添付の地図を見ても、等高線がびっしり書いてあるのでアップダウンがあるらしいということはわかるが、活字も細かく、R眼には判読超困難、どこがきついのか、どこが楽しいのかとか、見ても見てもわかりません。前の週に勉強会という名の飲み会があり、地図持って行って経験者に聞くが、まぁ70㎞は走るの日中だし、同じ方向に行く人も、逆向きに戻ってくる人も沢山いるから迷う心配はほとんどないよ、と言われて、安心しただけで予習にはならず。という訳でかなりもやもやしたまま5/2(水)の朝、自宅を出発。曇天、西日本は雨。250の人は確実に降られそう。3日からは晴れるか? どう転ぶかわからないので、ゴアテックスの上着とか替えの靴とか、シャツも長袖も半袖も持って、大荷物。新幹線に乗ると、大阪過ぎた辺りで雨が降ってきたが、覚悟していたほどひどくはない。ちょっと安心していたが、やはり広島に着いたら雨。広島駅のコインロッカー(数が少ない!)があいていなくて、荷物を持ったまま岩国に行き、岩国駅のコインロッカーに荷物入れて、錦帯橋へ。結構雨ひどくなってきて、バス降りて錦帯橋渡って、対岸の保全地区をうろうろ歩いていたら服も荷物も靴もずぶ濡れ。レース前に一足靴がダメになってしまったよ。これでレース本番、途中で換えられる靴がなくなってしまいました。晴れてくれないと困る。昨年のサロマの時よりはましな状況だが、常識的には履きたくない程度に濡れている。広島のホテルにチェックインして、ロビーでただでくれていた新聞紙をもって部屋に行って、何回も靴の中に新聞紙を丸めて入れて交換を続けていたが、結構じめじめ。
5/3(木)になったらすっかり晴れた。ランニングはやめておき、平和通り~原爆ドーム方面へ散歩。フラワーフェスティバルの準備を眺めるが、そんなに花がいっぱい植えてある訳でもなく、イベント開始前はそんなに面白いものではなかった。チェックアウトし、新山口まで新幹線で行って、荷物は新山口から湯田温泉のホテルまで無料で送ってくれるサービスがあったので、それを頼んで、バスで秋芳洞へ。鍾乳洞も面白かったし、外に出て、秋吉台のカルスト台地を見るのも楽しかった。お昼を食べて、14時過ぎのバスで山口へ。15時からの説明会にはちょっと遅刻。この説明会は140㎞に出る人は必須、70㎞の人は出来たら出てね、という感じで、たぶんそんなにみんなは来ていなかったと思うが、会場は満席で、一番後ろで立って聞く。今一つぴんとこないこともあったが、運営側の懸念とか希望とかが明示されて、身の引き締まる思い。説明会終了後、140出走の友達Yを探すが一か所だと思っていた出口が実は他にもあったようで、遭遇できず、あれあれ、と思いながら、自分のゼッケンを引き換えに香山公園へ。松籟亭という建物で受付をしていて、ゼッケンとか参加者名簿とか、参加賞(Tシャツ、靴下、萩焼の湯呑など)を受け取り、木にかけてあった横断幕の前で記念写真など撮って貰っていたら、そこへ35㎞ウォークに出るNがやってきたので、Nの受付を待ち、また写真撮って、それから140㎞のスタート地点にYを探しに行く。参加賞のうどん券でうどんを食べているYを見つけることが出来、その後スタート地点まで一緒に移動して、記念写真撮って分かれる。宿まで2キロちょっと、タクシーは流れてないし、バスはいつ来るやら、と思っていたら、どんな行先のバスでも湯田温泉は経由するということがわかり(運転手さんに尋ねてみてよかった)予定よりは早く宿に着く。先にチェックインしていたCちゃんと一緒に晩御飯食べて風呂入って、21時過ぎには消灯。明日は6時スタートなので、4時起床、5時出発だ。今回一緒に宿をとったグループの中に、奥様が250を走っていて、旦那様とお子さんで応援、という一家があり、旦那様とお子さんが同じ宿に今晩も泊まっているので、明朝車でスタート地点まで送っていただけることになり、すごく助かった(タクシーの数が限られているので、前日では予約なんてできないらしい)。と、前置きが相変わらず長い...。足の爪を切って来るのを忘れたのに寝る直前に気づく。明日、爪先がシューズにぶつかって、内出血してしまうのではないかとちょっと心配。

5月4日(金)。予定通り4時起床。宿泊料金に朝食代も入っているが、当然食べられない。前日コンビニで買っておいた赤飯おにぎりとドーナツとあんデニッシュとチーズと牛乳で朝食。着替え。会場の荷物預けには荷物は預けず、ドロップバッグ(折り返し点の陶芸の村公園に運ばれ、その後スタート地点に戻って来る)に、ゴアテックスのジャンパーとかジャージの下とか、ゴール後に使うかもしれないものも含め全部入れておく。ドロップバッグはゼッケンナンバーの貼られたレジ袋。かなりカジュアル。服装はジップアップの半袖シャツ、アームカバー、短パン、タイツ、靴は結局岩国で濡らしたNew Yorkは乾ききらず、その一代前のNew York(一昨年の野辺山で引退した)が暫定復活。靴底すり減っていて滑ったらどうしよう(結果的に大丈夫でした)。リュックには北九州マラソンの際に買った薄いウィンブレ(寒かったのですぐ出して着た)、コンビニのチョコクロワッサン、今朝のあんデニッシュの残り、もみじ饅頭、湿布と絆創膏、携帯のバッテリー(走行中は機内モードにしておいたのでそんなにバッテリーは減らなかった)、タオル、地図(やはりずっと視界に他の選手がいたので、地図は一度も出さずに終わった=自分ではコースを理解できなかったともいう)、アクエリアス500mlペットボトル(これも開封しないままゴール。エイド少ないと思ったが私設エイドの助けもあり、最後まで飲まずに済んだ。もう少し暑かったら飲んでいたと思う)、携帯食少々。折り畳み式のシリコンカップとパワージェルはポケット、スマホはベルトポーチ。1万円くらいは荷物に入れておくよう説明会で言われたので、お札と免許証と健康保険証入りの小銭入れもリュックの中(途中にコンビニとか殆どないので、お金は全く使わず)。前日受付していなかったCちゃんの受付、荷物預けを待ち、それからバス乗り場。F歩け歩け35㎞に出るCちゃんとN(バスで陶芸の村公園まで行き、ここ香山公園まで歩いてくる)を見送り、わたしはスタートラインに向かう。最短路は封鎖され、回り道。途中でトイレ。ところがドロップバッグの預け場所がバス乗り場のもう少し先だったので、もう一度さっきの地点に戻ることに。時間はたっぷりあったが、既にスタートラインに行列が出来ていて(先着順ウェーブスタートなので、早く並べば早くスタートできる)結構後ろの方になってしまった。すぐ後ろに瑠璃光寺の国宝五重塔。周囲の人を見ると福岡県や山口県の人が多い(ゼッケンに居住都道府県が入っている)。やはりちょっとアウェイ感。ほとんどの人が帽子かサンバイザーをつけているので、かぶっておいた方がいいかな、と思ってかぶってみる(よほど陽射しが強くないと普段はかぶらない)。サングラスはとりあえずポケット。見えない前方でわーっと拍手がする。おおー、250㎞の人が戻ってきたのか! すごいなー。6時スタート。しかし、推定50人ずつくらい、1分おきにスタートさせていくウェーブスタートで、なかなか進まない。たぶん8回目のグループかな。目の前で前のグループが満員になってしまったので、グループ最前列に、え、道全然わからんのですが。スタートして、香山公園の坂を下り、他の人の流れに合わせて走って行くと前のグループの最後尾が見えてきた。もうこれで迷わない。道はすぐ登り坂になる。流石にみんなまだ走っているけど、ずっと登り坂で結構しんどい。そして、寒い。手袋もしたまま。ウィンブレもまだ脱ぎたくない。暖機運転が全然できてない感じ。特に何も考えず、ロードの上り坂を登り、たまに降りてくるAゼッケン(250㎞)の人を拍手で迎える。ゼッケンのプリントが薄くなっていてよれよれ。どれだけひどい天気の中を走ってきたんだろう、と尊敬あらた。ダムが見えて来て、その先はダム湖。錦鶏湖という名前らしいが、ここは、5日の日中に山口市内観光をしたときに歩いた一の坂川の上流にあたるらしい(と5日になって知った)。ダム湖のちょっと先の天花畑というところでロードを離れ、萩往還道に入る、入口にコンクリートの萩往還、という柱が立っている。これは途中何か所も立っていて、歩け歩け35㎞の完踏メダルもこの柱を模している。入るなり急な坂でしかも石畳、周囲の人全員歩きだす。ここが3.6㎞地点で、ようやく身体が温まってきたので、歩きながらウィンブレを脱いでリュックにしまう。キャップは手に持ったまま。林間でそんなに日が当たらないので当面不要。風が強ければサングラスもかけなくてはならないが、これも不要でポケットに入れたまま。とにかく足を滑らすまい、転ぶまいということだけ考えて石畳を登り、一里塚とか、きんちぢみの清水とか看板の出ているところを過ぎながら、それって地図に書いてあったよな、と思うが距離感がわからない。石畳が怖いのは、50mおき位に、道路を横切る溝が掘ってあり(排水用なんでしょう)足元をよく見てないと絶対足を引っかけそうなところ。夜とかライトでよく照らして足元を見てないと本当にヤバい。一旦車道を渡り、その先がコース最高地点となる板堂峠。標高545m。そしてロードに出たところが山口市と萩市の市境。何しろ市町村合併の影響で、2市しか通らないから。まだ7キロしか来てないので、ずっと萩市にいる感じだね。少し下ったところ(夏木原キャンプ場という地名であることは帰りに知る)で、まだ柱を立てていないテントがあり、あ、ここは帰り道にはエイドになるのかな、と思いつつ通過。しばらくロードを下る、というかあまりに下ると帰りにここをえんえん登るのかいと思ってげんなりする。仕方ないけど。ロードからちょっと下がって往還道に入ったら、橋を渡った先で白い矢印が前方で右側と左側両方に書いてある場所があった! 右と左どっちよ? 先行する人がみんな右に行ったので、それに着いていったが、誰もいないときだったら激しく迷ったと思う。ちょっと坂を上り、ロードに出て、また少し下ったら、しばらく行ったところにF↓という矢印が分岐していた。Fだけ別の道(高低差少なめ?)で、さっきの橋で合流するってことかー。出口にもFって書いておいてよー。下り坂の途中で、赤茶色の小屋の中で飲み物だけのエイド(私設なのかな? ガイドブックには書かれていなかったが、帰りに草餅配ることは説明会で明示していたので半ば公式エイド?)があり、スポドリ飲む。旧道とロード行ったり来たりしながら進んでいくと、突然集落が見えてくる。どの建物もの赤茶色の瓦屋根。ここは萩市佐々並市(ささなみいち)という地域。かつて佐々並村→明木村と合併して旭村→萩市になった、というのは帰宅してから調べた。市と付くけど、市であったことはなかったようです。景観保全地区になっていて、旧いたたずまいを残すように街並みが作られている、というか、街区全体が昼寝してるようにのたりのたりとしていて、ここに商業行為が存在するというのが実感できない感じ。その中心地に佐々並市エイド。まずトイレを借り(仮設トイレしか使えない。公衆トイレの方に行こうとしたら、スタッフの方にトイレはこっち、と言われた)、おにぎりとバナナ食べて、飲み物をいただく。ここが14キロ地点。往路の5分の2来た計算だ。エイドを出てすぐに、B(140㎞)の青ゼッケンをつけたバットマン仮装の人とすれ違う。はやっ! その後、F(35㎞歩け歩け)のピンクゼッケンをつけた人も次々現れる。皆さん歩け歩けなのに走ってるでしょ? Bの1位の人は本当に速かったようで、次の青ゼッケンまですごく間があいていた。そして、合間にAの白または紫ゼッケンの人(紫は10回完踏したすごい人)。すれ違う人が増えて来て、頑張れ、とかお疲れ様、とか声をかけながら進むが、Fの人々の間にAの人が混じっているのに気づくと、そこで応援の声にsf(スフォルツァンド)がかかっちゃう感じです。この辺の萩往還道は国道と並走する、ちょっと小高いところを通る道で、石畳が道いっぱいに広がっていないところも多く、出来るだけ、脇の砂利とか芝生の生えている場所を通るようにして進む。Fの人々の中に小さいお子さん連れの人も出て来て、まだ小学生くらいなのに35㎞も歩くんだ、と歩いてくる子に大声で頑張れ頑張れと声をかけてしまう。いのしし除けのフェンスがあって、ちょっと戦慄したり、田植えしたての水田の様子に心癒されたりしつつ進む。そして、ロードしばらく進んで、また往還道に入った、と思ったら急にそこは一升谷の十合目。急坂、しかも石畳を下ることになり、泣きそうになりながらよれよれ下っていたら、向こうから登ってきたAゼッケンの人...あ、山手線ランでご一緒したMさんだ! 声かけて握手。完踏が見えて来て、すごく嬉しそうでした。八合目まで石畳で、へろへろになっていたら、終わりのところにお茶エイド。萩焼の湯呑が何種類も並んでいて、好きな茶碗で飲んでください、と熱い緑茶をふるまわれる。美味しい! そしてその先は石畳ではなく砂利道の下り。まぁ野辺山の最高標高のところからの下りみたいな感じ? わたしはスピード出せないのでマイペースでゆっくり走る。一応スピード出ているので、ちゃんと確認はしなかったが、ほぼ全部の合目の表示があった模様。そして、一升谷ほぼ下りきったところで、ミニーマウス衣装を着たCちゃん・Nと遭遇。あれー、のんびり歩くって言ってたわりに早いじゃん! 記念写真撮って、進んでいったらロードに出て、しばらく行ったところでTちゃんと会う。Tちゃんは250㎞をリタイアして、今日は歩け歩けの人たちと一緒に歩いているのだった。もう少し進むと、集落が見えてきた。明木市の市街地(ここも市だったことはなく、明木村→旭村→萩市の一部となった地域)。ここも赤茶の瓦屋根の街並み、そして今日はフリーマーケット? 沿道に出店が色々出ていて(というか準備中)人が沢山いる。集落の規模からは考えられない人数が外にいるけれど、みんなどこから来たんだろう? 明木市エイドでは、小ぶりのお饅頭を2個ばかりいただく。川沿いをしばらく進んでいくと、早くもC(70㎞)のトップ選手がやってきた。はやっ! 陽射しがかなり強くなってきたので帽子をかぶり、サングラスをする。しかし川沿いなど風が強く、押さえてないと帽子が飛びそう...佐倉に続いてここでもキャップを飛ばすことになったらいやなので、押さえながら走る。そして、最後の山越え。ふと気づくと、すれ違う人がAゼッケンとBゼッケンばかり(たまにCゼッケン)になっている。Fゼッケンの人はすべてもう通過した模様。峠を越えて下って行くと、前方にUみんが見えてきた。強いなー。余裕だ! 戻ってきて追い抜いてね、と言われたが、まだ折り返し点まで10㎞近くあるので、この地点に戻るのに20キロ、その間にUみんが進むから、追いつける気がしないと、ラフな旅人算をしてしまった(勿論Aの人はそれなりにペースは落ちているにせよ)。Uみんと分かれてすぐに、道の駅萩往還。マラニック選手は出入り禁止(経営者の意向)で、国道沿いの道の駅(黒い瓦屋根が立派)に下る道の入り口に警備の人が立って、入場しないように見張っている。1キロ位坂を下ったところにきれいな公衆トイレがある、と、説明会の時に聞いていたが(しかもここにも山道にはレアな自動販売機があるとのこと)、このトイレもコース沿いではなく、坂を下ったところにあるようで白い矢印の表示に従ってぐいっと道をそれなくてはならない。切羽詰まっていないとあまり行きたくない感じ。更に下っていくと集落に入る。車も走っている。Cの女性1位の人とこの辺ですれ違う。そしてここから萩の市街地に入ったようで、ずっとフラットなロードに。村田蒲鉾店のシャッターしまった店舗の前で飲み物エイド。すごくありがたかった。そして、塩分補給のあめもいただき、舐めながら走る。完全に市街地に入り、広い道に歩道。萩焼まつりの看板見えて来て、ああ、巷はゴールデンウィークだね、と思いながら走る(いやマラニックも充分ゴールデンウィークですが)。B(140km)ですごく遅れている人を何人か抜いてきたが、市街地に入った直後で、Bの人だけ左折。Bは市街地を走り、日本海に突き出している虎が崎というところまで行くのである(そしてそこでカレーを食べる)。市の中心部には行けないCにとっては羨ましい感じだが、でもあの石畳を真夜中に走行するBの人たちは超大変。あらためて尊敬しちゃうよ(って本当はわたしも出たかったんだけどさ)。Cの人々は淡々と歩道を直進。信号が1ブロックごとにあり、信号遵守しながら進むので、交差点での休足もぼちぼち。信号とかコンビニとか、文明の利器的なものはこの辺だけだ。警察署前の交差点で右折し、信号をはす向かいに渡り(警備員さんが一人しか配備されていないので、渡る横断歩道を指定され、信号のタイミングの悪かった人がぶつぶつ言っていた)、ちょっと坂を登り、また下ったと思ったらその先の上り坂の途中の公園でランナーが沢山集まっている、ここが陶芸の村公園か! うっかりトイレの脇の階段を登ってしまったが、坂道を登って行って左折したところがチェックポイントで、そこでゼッケン番号を控えてもらい、ゼッケンにチェックを入れてもらう。ICリーダーはない。この時点で、自分のスタートの際に起動したリスタブルGPSが4時間17分。全然関門時間とか見ずに来たけれど、帰りの登り基調でタイムを落としても、まぁ関門に引っかかる心配はなさそうかな。熱いお茶をカップに入れて貰ったり、オレンジピールの砂糖漬けを食べたり。美味しい。配布された弁当を持って、ドロップバッグの受渡し所に行き、受け取った荷物の中からアームカバーを出して交換し(汗があまりにひどいので)リュックの中のいらん荷物(例えばもみじ饅頭は食べなさそうなので)をドロップバッグへ。飲みかけの麦茶を入れてあったのは、弁当を食べている途中、貰った熱いお茶がなくなったのでその代わりに飲む。ドロップバッグを預け、もう少し飲み物を貰いにテントに行ったら、近くにしろくまのかぶりものをした人がいて、そういえば140㎞に出ているAちゃんはどうしただろう、とその人に「Aちゃんはどうしていますか?」と尋ねたら、なんと、目の前に座っていた。この人何言ってるんだろう、と思われてしまった...。まだゴールまで7時間以上残っているので今年こそ完踏だね、と言ったが、わたしは過去に15時に佐々並にいても完踏出来なかったことあり、と威張られてしまい、いやいやそう言わずゴールしようと必死で誘う(誘ってもねぇ)。また、近くには平服仮装の悪代官がいて、一昨日から体調不良でふらふらしていると聞いていたので、こうして応援に姿を現しているだけども一安心だが、顔色の悪さ、立っていられないというよろけぶりが心配。トイレに行って、再出発したのが4時間46分。またしてもエイドに30分近く長逗留してしまった...。ここからは全部、来た道折り返しなので、道もわかっていて楽勝気分増大。先ほどのはす向かいに渡る交差点のところでAちゃんに追いつき、わたしが先行。夏みかんの花が咲いていていい匂い。しかし夏みかんと武家屋敷の塀をあしらったマンホールの写真を撮りそびれた、不覚。村田蒲鉾店でまた飲み物を貰うが、この辺でエリアの切り替えがあるようで、その先のマンホールは同じ萩市でも往還道の柄でした。正午になり、往路より日陰が少なくなっている。キャップをかぶったまま進む。開けた場所だと風が結構強く、帽子を押さえながら走る。山間に入り、少しずつ登り道になるが、ロードの間は走れる限り走らなくては。山道は歩くことになるもんなぁ。往路に気になった光景で写真を撮らなかったところでぽちぽち写真を撮ったりもする。右膝の膝頭が痛くなってきたが、歩くよりも走る方が痛くないので、出来るだけ走る。一つ目の山を越え、川沿いを少し走って明木市に入る。フリーマーケットは先ほどより盛り上がってきている。またお饅頭を2つ食べる。明木市を出て、この辺でさっきTちゃんに会ったな、この辺でさっきCちゃんとNに会ったな、と思い出しながら進む。そして一升谷、一合目からコンクリの表示柱を確認しながら進む。一升谷を登る途中、説明書きを読んだら、麓で炒り豆を食べ始めると、山頂(峠か)まで上がるまでに豆を一升食べてしまう、ということが名付けの由来になったらしい。いや...炒り豆一升も食べたら膨満感半端ないだろ、ってマジレスしてどうするよ。往路はずっと下り坂で、十合目~八合目の石畳はそろそろ降り、そこから下は山道を走れる限り走ったが、帰りは基本歩きを覚悟。でも前半の緩いトレイルはできる限り走る。しばらく日差しの強いところを走る部分が多かったので、山間の日陰の多い道は気持ちいい。しかし一合上がるのに進む距離が長くて、いつまでも十合目まで行かない。最後は石畳とわかっているし。そんな中、テントが見えてきて、往路もお世話になった日本茶エイドだ! いと嬉し。熱くてがぶがぶは飲めないが結局3杯飲む。往路から結構近くを走っていることが多かった、スタッフ関係者(だけど今日は選手)の大柄な男性が、お茶の脇に置いてあった銀色の小さい缶を所望して、美味しそうに飲んでいたよ。石畳は歩いて登り、十合目では記念に道程標の写真を撮る。そして、反対側に下ったら、殆ど下がらないうちに国道に出て、また上り坂に。ああ、だから一升谷、往路は下りの印象しかなかったのか。この先、往還道を少し進んではまたロード、と、ずっと登り基調が続く。往路に恐怖を感じていたエリアだが、ロードの登りは思っていたよりずっと走れた。走らないと進まないので、走れるのがありがたい。ほぼ50㎞来た計算だが、昨年の野辺山の50キロ地点過ぎよりはずっと走れている。無理せず進む。ロードの途中に車を停めて、私設エイドをしてくださっている方がいて、飲み物をいただく。最後の板堂峠は自分でしょっているアクエリアスを飲むことになるかな(結果的に飲まなかったが)と思いつつ人の厚意に甘える。しかし突然お腹がすいてきた! 佐々並市エイドまで持たなそう! ということで、リュックの脇ポケットに入れていた亀井商店トレイルバーを走りながらむさぼり食う。量的には大したことないが、滋養に富んでいて、大変満たされた。食べてしまって満たされたら、割とすぐに佐々並市エイド。エイド手前のベンチにUみんとTちゃんが腰かけていた! 追いつかないかと思ったら追いついた、というか、単にエイドに長逗留していただけですね。Fゼッケンの人たちはここでお弁当の支給があり、その場で食べることになっているので、往路より椅子が多く出ている模様。わたしが来た時点ではお弁当の支給は終わっていたので、残ってしまったお弁当をばらして、おにぎりとおかずをそれぞれエイドに出していた。梅おにぎりを食べ、はちみつレモンを水で割ったのを飲む。フルーツポンチが少し置いてあったのもいただく。TちゃんUみんも休み過ぎてそろそろ出ようモードになっていたが、一足先に出発。引き続き登り坂。出来る限り走る。往路は飲み物だけ出していた赤茶色の小屋のエイド、寄ったら草餅を配っていた。あ、昨日説明会で言っていた草餅、残っていないと思ったらまだあった! 喜びつついただく。子どもが配っていて、「残り13個でーす!」と、エイドに寄って行かない人にも呼ばわっていた。結構ギリギリだったのね...。しかし結構お腹いっぱいだったので、リュックに入れる(次の日に山口線の中で食べた)。もう少し進むと、往路はまだテントを立てていなかった夏木原キャンプ場の公式エイド。あ、正装の悪代官! 着替えられるだけ元気になったのね(といっても弱気っぽい)。あと7キロだよ、と言われる。そのままロードを登っていくと、萩市と山口市の市境。ここからしばらく山道だ! 山に入って板堂峠(最高地点)、トレイルっぽい道と石畳が交互に現れる。焦らず進む。下り道の途中でカエルが盛大に鳴いていて、側溝を覗いている人たちがいたが、結局カエルの姿は認識できなかった模様。下ってきたら、「あの素晴らしい愛をもう一度」が聞こえてきた。小さい平地でオカリナを吹いている人。そしてその脇に私設エイド。飲み物は途中のエイドで結構いただいたので、イチゴを2粒いただく。ウルトラマラソン、最後はプチトマトとイチゴだよ(今回はプチトマトはなかったな)。お礼言って下って行くと、オカリナの音楽は「卒業写真」に移行...コンセプトはなんなのだ? ひたすら石畳とトレイルの繰り返しを下って行くと、ミニー衣装のCちゃんとNに遭遇。あれ、Tちゃんの話だと、わたしのゴールシーンを撮影するために先行したってことだったのに、追いついちゃいましたが。Fの歩け歩け35㎞コースだったので、走らずひたすら歩いていたとのことだったが、少しだけ、わたしと一緒に下ろうということになり、ちょっとターボかけたら、下り道に超強いCちゃんが、わたしには出来ない飛ぶようなスピードでがんがん降りて行ってしまって、あっという間に姿も見えなくなった...流石だ。全然追いつけないとろとろしたペースで下る。萩往還道の入り口までそうやって、一緒に下り、入口のコンクリ柱のところで、通りすがりの方に頼んで3人での記念写真を撮っていただく。ここから最後3.5㎞、わたしは走り、NとCちゃんは引き続き歩くということでお別れ。あとは下りのロードだけ。Fゼッケンの人が歩いて行く脇をずんずん走る。シャガの花が咲き、藤の花が咲いている。ダム湖の脇を走ったのは往路も覚えていたが、あとの光景はあまり記憶にない。まだ緊張していて、沿道は見ていなかったのかな。集落に入り、川沿いの道を進み、橋を渡るところで、マラニック(ABC)と歩け歩け(F)が分岐。ゴールが分かれているので、Fは高いところの裏道を通るらしい。そろそろビクトリーロード。沿道に沢山の人が出ていて、ハイタッチの嵐。登り坂だが、余力ありありで、坂の途中で同じCゼッケンの人を一人抜かす。事務局の人が戻ってきた人のゼッケン番号をゴール付近のスタッフに連絡し、ゴール手前で名前を呼んでお出迎えアナウンスをしてくれるが、ざんねーん、わたしは「〇〇から来たKさん(読みが違った)」って呼ばれちゃったさー。ちょっと前を走っていたAゼッケンの人にほぼ追いつき、結局2人一緒にゴールすることに...知り合いでもなんでもない人とゴールテープを切ってしまったが、まぁたぶんオールスポーツの写真買わないと思うし、いいかなー。タイムはネットタイムのみの計測で、9時間42分00秒。途中で10時間は切れるなと確信していたので、それなりに満足だが、帰りは5時間近くかかってしまったからやはり難コースだったね。記録証を発行してもらい、脇でスポドリをいただき、とりあえずまだ知り合いは誰もゴールしてないっぽいので、近くのあずまやで一休みしていたら、歩け歩けをゴールしたCちゃんとNが通りがかったので、3人で一休みしてからゴールの応援に行くことに。ドロップバッグを回収してきて、中に入れていたジャージを履き、リュックに入っていたウィンブレを着る。うどん券を消費しに行く途中、ゴール目前の角の店で生ビールを買い、飲みながら応援し、その後うどん食べながらビールの残りを飲む。うどんも美味しい。その後坂の途中に陣取って、みんなのゴールを待つ。腰がすっかり曲がって、ポールで身体を支えながら進んでいく人とかいて(最後のロードで追い抜いてきたのだが、少しずつ進んでゴールまで来た執念に拍手だ)、あとは印象的だったのが、泣きながら坂道を上がって来る人たち。泣くほど感動的なゴールか、すごいな。わたしなんて毎回ゴールできるのが嬉しくて嬉しくて、へらへらしながらゴールしちゃうのだが(勿論今日も)、泣くほど感動しながらゴールできるのがなんか羨ましいじゃん。泣いている人を見るとこちらも涙が出てしまうよ。人のゴールシーンで泣く女。みんなのゴールを待ちながら、知り合いと談笑したり、ばたばた。Uみんも来たし(超順当)、YRさんも来たし(140㎞初完踏!)、Aちゃんも来た(とうとう140完踏おめでとう!)、心配していたYも、しっかりした足取りで坂を登ってきて、無事ゴール。誰のゴールを見ても泣ける...。制限時刻はどのレースも18時までだが、実際はウェーブスタートなので後方からスタートした人はもう数分余裕がある。それぞれの持ち時間は分からないが、18時過ぎてもひたすら「ファイト!」と声かけまくり。少しでも多くの人が完踏できていましたように。70㎞は往復日中で、終始天気も良く、緑濃い初夏の山を堪能出来て幸せだった。最初の晩大雨、二晩目は雹に降られたA、天気いいかと思ったらスタート直後に結構ひどい雨に降られたBの人たちが心折らずにゴールを目指してきたことを尊敬する。遠くの山を眺めると、栗と椎の花盛りで、木々の表面が花で白くなっていて本当に初夏って感じ。石畳は怖いが、先人たちの歩いてきた道を踏みしめ峠を越えるのはとても気持ちのいい体験だった。今回で大会が終わってしまうのは本当に残念だが、萩往還道がいつまでも歴史の証人のように、人々の歩く道であり続けますように。写真は、陶芸の村公園で貰った弁当に一緒に付いていた、松陰先生のことば入りしおり。吉田松陰と言えば篠田三郎だね! 40年もたってしまったけれど。

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