【公式】臨済宗大本山 円覚寺

鎌倉にある臨済宗大本山円覚寺です。 YouTubeにてお届けしてます「毎日の管長日記と…

【公式】臨済宗大本山 円覚寺

鎌倉にある臨済宗大本山円覚寺です。 YouTubeにてお届けしてます「毎日の管長日記と呼吸瞑想」を中心に毎月の「日曜説教」、短い法話の「一口法話」などお伝えさせていただきます。 【公式ホームページ】https://www.engakuji.or.jp/

記事一覧

第1234回「漱石の参禅」

新宿に区立の漱石山房記念館というのがあります。 そこでただいま『門』ー夏目漱石の参禅ーという展示がなされています。 先日その記念館で「夏目漱石の参禅について」と…

第1233回「悟りを求める迷い」

馬祖禅師のもとで目覚めた大珠慧海禅師には、こんな問答がございます。 「如何んが大涅槃得ん。 師曰く生死の業を造らざれ。 対えて曰く、如何なるか是れ生死の業。 師…

第1232回「臨済禅師の目覚め」

先日の麟祥院の講座では、臨済禅師の目覚めについて話をしていました。 臨済禅師の修行時代の話であります。 岩波文庫の『臨済録』から入矢義高先生の現代語訳を引用しま…

第1231回「時にうれしいことがある」

徳川家康の遺訓と伝えられる言葉があります。 人の一生は重荷を負ひて遠き道をゆくが如し  いそぐべからず 不自由を常とおもへば不足なし こころに望みおこらば困窮した…

第1230回「しくじり」

「しくじる」という言葉の意味を、改めて『広辞苑』で調べると、 「①失敗する。しそこなって目的を達しない。 ②過失などによって解雇されたり、出入りを差しとめられた…

第1229回「警策・考 – 二 –」

『月刊住職』五月号に警策の是非について論じられていました。 総じていろんな意見があるということがよく分かる記事であります。 是非を決めるよりもいろんな見解がある…

第1228回「警策・考」

『月刊住職』という雑誌があります。 寺院住職実務情報誌というものです。 創刊が一九七四年ですから五十年の歴史を持っています。 現代の寺院のさまざまな問題を取り上…

第1227回「第二の人生」

昨年の春に、六十歳の修行僧が二人入門してきました。 私にとって、六十代の修行僧が入門するのは初めてであります。 五十代で修行に来た人はかつておりましたが、六十歳…

第1226回「思いやる心」

花園大学で、禅とこころの授業を務めたあと、お昼休みに大学の花まつりを行っていました。 今回は、洛西花園幼稚園の園児達もご参加くださいました。 なかなか大学生だけ…

第1225回「顔面問答 – 眉の役割 –」

釈宗演老師の『臨機応変』という書物に、「顔面問答」という一章があります。 「支那近代の碩学たる曲園先生の書中に載せてある小話がある」といって、おもしろい問答が載…

第1224回「臨機応変」

毎日新聞には毎週日曜日に新・心のサプリという海原純子先生のコラム記事が連載されています。 五月五日には「すぐやめる新入社員」と題して書かれていました。 はじめに…

第1223回「糞掃衣」

禅宗では修行僧のことを衲僧という場合があります。 また修行僧を雲水とも言いますが、雲衲という表現をすることもあります。 それから、自分自身のことを謙遜して「小衲…

第1222回「達磨さんの逸話」

花園大学での今年度禅とこころの講義は、禅僧の逸話に学ぶと題して行います。 まず第一回が先日行われました。 逸話というのは「ある人についての、世人にあまり知られて…

第1221回「御朱印二日目」

大型連休の二日間、時間を限定して御朱印を書いていました。 二日目も初日と同様に五十数名の方にそれぞれ禅語を書いていました。 三十分前に会場に行くと、もう二十数名…

第1220回「御朱印を書く」

大型連休の一日、ほんの二時間ほどですが、御朱印を書いていました。 ホトカミの吉田亮さんの講演を聴いて、御朱印に禅語を書くこともあることを知ったのがきっかけでした…

第1219回「バラは一輪でいい」

坂村真民先生に「一字一輪」という詩があります。 一字一輪 字は一字でいい 一字にこもる力を知れ  花は一輪でいい 一輪にこもる命を知れ という短い詩であります。…

第1234回「漱石の参禅」

新宿に区立の漱石山房記念館というのがあります。

そこでただいま『門』ー夏目漱石の参禅ーという展示がなされています。

先日その記念館で「夏目漱石の参禅について」と題して講演をさせてもらいました。

漱石山房記念館は、夏目漱石生誕百五十年にあたる平成二十九年(二〇一七年)に開館されたものです。

まだ新しい記念館であります。

夏目漱石が暮らし、数々の名作を世に送り出した「漱石山房」の書斎、客間、
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第1233回「悟りを求める迷い」

馬祖禅師のもとで目覚めた大珠慧海禅師には、こんな問答がございます。

「如何んが大涅槃得ん。

師曰く生死の業を造らざれ。

対えて曰く、如何なるか是れ生死の業。

師曰く、大涅槃を求むる是れ生死の業。」

というものです。

生死と涅槃とは対句で使われるものです。

迷いに対して悟りというようなものです。

涅槃を悟り、生死を迷いとすれば、訳するとこうなります。

どうしたら悟りが得られますか。
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第1232回「臨済禅師の目覚め」

先日の麟祥院の講座では、臨済禅師の目覚めについて話をしていました。

臨済禅師の修行時代の話であります。

岩波文庫の『臨済録』から入矢義高先生の現代語訳を引用します。

「師は初め黄檗の門下であったが、その修行態度はひたむきな純粋さであった。

これを見た首座は「この人はまだ年若いが、他の者とは違ったところがある」と感嘆して、ある時、問うた、

「そなたはここに来てどのくらいになるか。」

師「
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第1231回「時にうれしいことがある」

徳川家康の遺訓と伝えられる言葉があります。

人の一生は重荷を負ひて遠き道をゆくが如し 
いそぐべからず
不自由を常とおもへば不足なし
こころに望みおこらば困窮したる
時を思ひ出だすべし
堪忍は無事長久の基
いかりは敵とおもへ
勝事ばかり知りてまくる事をしらざれば
害其の身にいたる 
おのれを責せめて人をせむるな 
及ばざるは過ぎたるよりまされり

というものです。

「人の一生は重荷を負いて遠き
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第1230回「しくじり」

「しくじる」という言葉の意味を、改めて『広辞苑』で調べると、

「①失敗する。しそこなって目的を達しない。

②過失などによって解雇されたり、出入りを差しとめられたりする。また、機嫌をそこねる。」

と書かれています。

「しくじり」は、「しくじること」にほかなりません。

お互いの人生にしくじりはつきものでしょう。

しくじりの連続こそが人生といえるような気もします。

先日麟祥院での勉強会は、
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第1229回「警策・考 – 二 –」

『月刊住職』五月号に警策の是非について論じられていました。

総じていろんな意見があるということがよく分かる記事であります。

是非を決めるよりもいろんな見解があるのを知ることが大事であります。

ただひとつ整理しておかないといけないことがあると感じました。

その記事で論じられている警策なるものの種類であります。

大きくわけて三つがあります。

一つは、指導者たる師家が、修行僧を悟りへと導くた
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第1228回「警策・考」

『月刊住職』という雑誌があります。

寺院住職実務情報誌というものです。

創刊が一九七四年ですから五十年の歴史を持っています。

現代の寺院のさまざまな問題を取り上げてくださったり、有名人の寄稿もあったり、連載物も勉強になるものが多いので、私も購読しているものです。

この度、この『月刊住職』になんと私の名前が載っていたのでした。

お寺が何か問題を起すと掲載されたりすることがありますが、もっと
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第1227回「第二の人生」

昨年の春に、六十歳の修行僧が二人入門してきました。

私にとって、六十代の修行僧が入門するのは初めてであります。

五十代で修行に来た人はかつておりましたが、六十歳というのは厳しいものがあると思いました。

一人は同じ臨済宗でも妙心寺派の方であります。

妙心寺派では、第二の人生プロジェクトというものを行っています。

今地方のお寺で後継者がいなくなっているのが大きな問題となっています。

お寺と
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第1226回「思いやる心」

花園大学で、禅とこころの授業を務めたあと、お昼休みに大学の花まつりを行っていました。

今回は、洛西花園幼稚園の園児達もご参加くださいました。

なかなか大学生だけというのは、お昼休みに集まってもらうのは難しいところがあります。

そこで幼稚園の園児たちにお参りしてもらうようにしたのでした。

洛西花園幼稚園は花園学園の運営する幼稚園です。

大学に歩いてくる園児達の姿が見えました。

子どもたち
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第1225回「顔面問答 – 眉の役割 –」

釈宗演老師の『臨機応変』という書物に、「顔面問答」という一章があります。

「支那近代の碩学たる曲園先生の書中に載せてある小話がある」といって、おもしろい問答が載っています。

原文は文語体なので現代風に訳してみます。

ある時、口が鼻に向かって言ったそうです。

「あなたはどうして、そんなに厳然と高く構えているのか。

私こそ、命をつなぐために毎日食べ物を摂取している、それだけでなく、あれこれ言
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第1224回「臨機応変」

毎日新聞には毎週日曜日に新・心のサプリという海原純子先生のコラム記事が連載されています。

五月五日には「すぐやめる新入社員」と題して書かれていました。

はじめに

「今年入社した新入社員が1カ月もたたないうちに退職し、それも退職代行業者からの連絡で、企業側が驚いたという報道があり、これには衝撃を受けた方も多かったと思う。

昭和生まれの方は、「つらくてもすぐに辞めずに3年はそこで頑張ってみなさ
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第1223回「糞掃衣」

禅宗では修行僧のことを衲僧という場合があります。

また修行僧を雲水とも言いますが、雲衲という表現をすることもあります。

それから、自分自身のことを謙遜して「小衲」ということもあります。

「小生」などというのと同じであります。

衲僧とは衲衣を来た修行僧という意味です。

「衲衣」とは『仏教辞典』には。

「<納衣>とも書く。ぼろ布を綴りあわせて作った衣の意。

<糞掃衣>とほぼ同義である。
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第1222回「達磨さんの逸話」

花園大学での今年度禅とこころの講義は、禅僧の逸話に学ぶと題して行います。

まず第一回が先日行われました。

逸話というのは「ある人についての、世人にあまり知られていない、興味ある話。エピソード」です。

第一回は、達磨大師の話をしました。

達磨大師ほど、多くの人に知られている祖師はいないと思います。

小さな子どもでもダルマさんといえば、聞いたことがあるでしょう。

達磨を『広辞苑』で調べてみ
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第1221回「御朱印二日目」

大型連休の二日間、時間を限定して御朱印を書いていました。

二日目も初日と同様に五十数名の方にそれぞれ禅語を書いていました。

三十分前に会場に行くと、もう二十数名並んでいましたので、すぐに書き始めました。

いつもおなじみの方もいらっしゃれば、初めてお目にかかる方も多くございました。

こちらが初めてだと思っていても先方から、いつもYouTubeを見ていますと言われることが多く、先方からはよく見
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第1220回「御朱印を書く」

大型連休の一日、ほんの二時間ほどですが、御朱印を書いていました。

ホトカミの吉田亮さんの講演を聴いて、御朱印に禅語を書くこともあることを知ったのがきっかけでした。

普通御朱印には中央にご本尊の名を書くことが多いと思います。

禅語を書いて、それが禅の教えに触れる縁になれば有り難いことだと思ったのでした。

御朱印を受けたことがあるという人は、今や二千万人とも言われているそうであります。

ひと
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第1219回「バラは一輪でいい」

坂村真民先生に「一字一輪」という詩があります。

一字一輪

字は一字でいい

一字にこもる力を知れ 

花は一輪でいい

一輪にこもる命を知れ

という短い詩であります。

私の好きな詩のひとつです。

字でも、一字を書くのはとても難しいものです。

「花は一輪でいい」、その対極にあるように思うのが、

「百万本のバラ」であります。

私は昭和の終わり頃から、長らく修行僧の暮らしをしてきました。
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