【英語学習】海外記事を読んでみたら、村上春樹のエッセイを思い出した

英語学習熱が高まっている今日この頃。読みやすい海外メディアを徘徊しては、隙間時間に読んでいます。

残念なデートエピソードの紹介記事

▲BuzzFeed 短い記事で読みやすい。頻繁に記事がアップされるので飽きずに読めるところもお気に入り。

厄介なデート相手15人を紹介するBuzzFeedの記事。初デートで遭遇した、デートなんか出掛けないで大人しく家に居てなさいよ、と言いたくなるくせ者たちのエピソードが書かれています。

私が印象に残ったのは、見出しにも使われているもの。彼との初デートの20分後に彼の奥さんから電話があり、奥さんは1ヶ月前に出産したばかりだと知らされる。不倫の常習犯だった、というエピソード。…それはいやだ。産後1ヶ月なんて新生児お世話が大変すぎる時期なのに!と妻の気持ちでその男性へブーイングをおくりたくなる。

恋している人のように 村上春樹

この記事を読んで、失敗デートのエピソードは自分にもひとつやふたつあることを思い出した(相手が厄介な人物だったとかそういうことではないけれど)。それと同時に、「恋している人のように」という村上春樹の文章の一節も記憶の中から呼び起こされた。

▲「恋している人のように」は「村上ラヂオ」に収録されている。

「恋している人のように」には次のような一節がある。

思うんだけど、恋をするのに最良の年頃は 16歳から 21歳くらいではないだろうか。

〜中略〜

10代後半くらいの少年少女の恋愛には、ほどよく風が抜けている感じがある。深い事情がまだわかってないから、実際面ではどたばたすることもあるけれど、そのぶんものごとは新鮮で感動に満ちている。もちろんそういう日々はあっという間に過ぎ去り、気がついたときにはもう永遠に失われてしまっているということになるわけだけど、でも記憶だけは新鮮に留まって、それが僕らの残りの(痛々しいことの多い)人生をけっこう有効に温めてくれる。

(『村上ラヂオ(新潮文庫)』村上春樹, 大橋歩著より一部抜粋)

大学時代にこの文章をはじめて読んだ。高校生までとはちがった恋愛を経験し、文字通り一喜一憂していた時期だ。それまでに経験したことのない感情の揺れに戸惑っていたころ。

そんな私に「どんな経験も燃料となって後の人生を温めてくれるよ」とこの一節が励ましてくれたように感じたのだ。

あれから10年経ち読み返してみると、たしかに当たっていると感じる。それと共に、「新鮮」で「感動」に満ちた経験というのは年齢とともに難しくなり、若さ・幼さの特権だったのだなと思う。

我が子はどんな「新鮮な感動」をこれから経験するのだろう。きっと10代後半になるころにはお母さんには内緒の「新鮮な感動」が増えるんだろうな。思春期で会話が少なくなっていっても、10個のうち1個でも教えてくれたら嬉しいな。

寝室ですやすや眠る息子を見て「この子にこれからたくさんの新鮮な感動が訪れますように」と願うと同時に、これから無数の感動に出会う可能性を持つ息子が少し羨ましくなる母でした。

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