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AIアートとスモウとる

言うまでもなく、AIアートが取り沙汰されている。
絵描きが淘汰されると嘆かれているが、一当事者である私はワクワクしている。花も実もある創作ができるかを試されている気がするので。


➤古典だって元アヴァンギャルド

19世紀、複製技術が生まれるやいなや「写真家」という名の新進アーティストが爆誕。それでも風景画家は今なお存在するし、スーパーリアリズムだって様式として成立している。
20世紀、大量生産の時代にデュシャンによって「レディメイド」がもたらされて以降も、ハンドメイド・アートはむしろその希少性から益々価値を増している。

あの水墨画も唐代では前衛芸術扱いされていたわけで、数多の新局面において新旧の表現同士がなんやかんやと取っ組んできた歴史がある。
だからこそ私たちはマティスに出会えたし、カンディンスキーの歌が聴けるし、ポロックの大海原を漂うことができるのだ。

そうして21世紀、AIアートの勃興。これまでの流れを鑑みればごく自然で、とうの昔から予想されていたこと。
AIは既存のアートを盗んで組み替えただけ、芸術ではないという論調があるけれども、私ども生身の人間の創作だって先人たちの偉業の再解釈/再構築でしかない。
そもそもDNA自体が究極の複製品だというのに。

コミカルに捉えるとすれば
AIアートという名のフルメタルボディ力士も、柔肌な生身力士も、その中間のサイボーグ力士も、おなじ土俵に立ってスモウをとる状況かと。
相手作品へのリスペクトに欠ける盗作でない限り、物理も可、魔法も可、属性縛りのない土俵の上で。


そういや能力系相撲漫画ってまだないような………


あった。
 


➤メカニカル力士が本場所に出ない日はもう二度と来ない

当たり前なことをあえて言う。技術の進歩は非可逆的で、この現代文明が滅びない限り無かったことには絶対にできない。
歓迎ムードに追放ムード、脇で賛否が飛び交っていようがなんだろうが、ほらAIアートはたいへん涼しい顔をしているでしょ。
法整備のための議論は必要ですけどね。

技術が無くたって真っ当な意志さえあれば、AIという媒体を通してあの人への想いをアート化できる時代、つまり全人が芸術家足りうる時代がやってきた。
慈しみを芸術に昇華できる。きれいな感情も、醜い感情も全部可視化できる。誰だって!



➤アートは理屈じゃねぇ

みんながみんな写真撮りますでしょう。それでも写真家として生計をたてることは可能でしょう。
今度はみんながみんな絵を「つくる」世界になるだけです。そんな中でもやっぱり絵「描き」は生きていくんですよ。総倒れはありえない。

もし自分が本当の芸術家だと思うなら、どんな変化の渦中にあっても、慣れた土俵に「全人類」という未知数の力士集団がドカンと現れたとしても、創ることを辞められない。いや辞めちゃならない。
これで土俵を降りるなら、もともと芸術家ではなかったことになるんです。そんな悔しいことがありますか。

今までもこれからも、全アーティスト力士は娯楽作り「だけ」で四股踏んじゃダメ。マネー「だけ」で四股踏んでもダメ。
より一層精神世界に潜っていく必要がある。世に鋭く切り込んでいく必要がある。
作り手も受け手もアートリテラシーが試されている。

未来に絶望して嘆いている場合じゃないです。人類史がやっと思春期から抜け出すかもしれないのに。
これってものすごく、強烈に、オモロな「ヤマ場」じゃないの!

クリエイターよ、振り返るなァ前を向け!
とにかく創れ!
今土俵を降りちゃもったいなさすぎる!

しのごのいわんと四股を踏め!




と、日々己に言い聞かせています。
めげないように。

あ〜〜〜早く脳とPCをダイレクトに繋ぎたい。プロンプトも全部すっ飛ばして。
私はサイボーグ力士になりたいです。

目を閉じて想像するだけで漫画が作れるようになってほしい。その方が量産できるから。
手作業だけじゃ死ぬまでにアイデア消化できそうにないので…。
ま、仮にそれが当たり前になったところで、手で絵が描きたい気分の時はやっぱり手で描くでしょうし、きっとそんなもんなんだと思います。

楽観的すぎる?でもいたって真面目なんですよ。

ハイパーメディア夏場所 2023より


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