池上俊一『動物裁判 西欧中世・正義のコスモス』(講談社現代新書 1990年)

読みました。

萌芽的には12世紀、13世紀以降に本格化し、14〜16世紀をピークとして18世紀ごろまで[28頁]は、動物を裁判にかけるという制度があったらしい。

その手続きは人間に対する裁判とまったく同じで、法廷に呼び寄せるために召喚の手続きがあり、弁護をするために弁護士が用意され[第一部 1]、その弁護を通じて名をあげる者までいたらしい[88頁]。

それらの事案を紹介し、この奇妙とも思える訴訟が行われることになった原因を探ろう、というのがこの本の目的ということらしい。

結論としては、その時代特有の感受性が挙げられている。

つまり、およそ800年以前の初期中世の、自然は神秘的な存在であり恐ろしいものであるというイメージ[165頁]から、12世紀以降のゴシック期(12世紀半ばから14世紀初頭)を通じて、自然は人間が理性によって把握することができるものであるという変化が起こる[169頁]。

しかし、この12世紀から15.16世紀の変化は、現代の科学的な自然認識(科学的合理主義・客観的人間中心主義)とは異なり、主観的な認識の変化(機械論的自然観(機械を自然のメタファーとする考え)・主観的人間主義)にとどまる[203頁]。

そこは、中世と現代にわたる認識の狭間にあり、その段階において発生したのが、自然を人間のルールに従属させようとする動物裁判であったということ[212頁]。

また、理論的支柱として、人間の法を動物に適用する際の根拠となる考えかたも挙げられている[205頁]。これはどうして人間の法を動物に適用することを正当化するに至ったかというはなし。

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