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「なんとなくモヤモヤ」を解消する「幸せのメカニズム」について

同じ仕事をしているのに、仕事が楽しいという人とそうでない人がいる。たくさんお金を持っているのに不満そうだったり、逆にそこまで贅沢をしていなくても幸せそうな人がいる。

誰しも不幸になりたくて生きているわけではないのに、その差はどこから生まれるのか。何より、自分も日々を「幸せ」に過ごしたい。

なるべく誰もが取り入れられそうな幸せになれる方法はないのだろうか。

そんな疑問から、幸福学について研究されている前野隆司さんの「幸せのメカニズム」を参考に、その方法について考えてみた。

そもそも「幸せ」とは何か

そもそも「幸せ」とは何か。誰もが当たり前に使う言葉でありながら、「幸せ」の定義は曖昧だ。「幸せ」やそれに関連する言葉を辞書でひくと「楽しい」「嬉しい」「快い」「豊かである」「望みが満ち足りて不平のないこと」といった言葉が出てくる。つまり、「幸せ」とは「自分の気持ちの状態」だ。

「幸せ」にはタイムスパンがある。一瞬で消えるものと、長期にわたって持続するものだ。

また、「幸せ」をもたらすものには二つの「財」がある。「地位財」と「非地位財」だ。

「地位財」は所得、社会的地位、物的財など、周囲との比較により、満足を得るもの。これは、個人の進化・生存競争のために必要な財でもある。昇給した、社内の地位が上がった、予算の大きい仕事ができた、賞をとった、欲しいものを買ったなど。

「非地位財」は健康、自主性、社会への帰属意識、良質な環境、自由、愛情など、あまり他者との比較とは関係なく「幸せ」を得やすいもの。これは、個人の安心・安全のために必要なものでもある。風邪をひきにくい体がある、友達や家族とのつながりがあるなど。

この言葉を作った経済学者のロバート・フランクによると、「幸せ」と感じる時間は「地位財」が短く、「非地位財」の方が長い。

つまり「地位財」優位になると、自分が成長しているという実感・変わっている時間が得やすいが、すぐに「幸せ」な状態も枯渇してしまう。一方で「非地位財」優位になると、日常の起伏があまりない代わりに、「幸せ」だと感じる状態も長く続く。

快楽優位の社会

「地位財」と「非地位財」、このバランスを取ることが「幸せ」な状態を得るために大切である。しかし、現代は「地位財」の方にバランスが傾いていると感じる。

その理由は二つある。一つ目は、なかなか未来に希望を抱きにくく、目の前の「幸せ」を追い求めがちになること。もちろん、目の前の「幸せ」を追うことも悪いことじゃないし、例えば昇給などを目標に頑張るのも一つの手段としてあるべきだと思う。

どちらかというと、「地位財」を手に入れないと「幸せ」な状態になれないという構造に問題がある。現代に比べると、少し前の日本では日本では一社で勤め上げることが当たり前で、そこでどう生きていくかが大切だった。昇進に興味がある人がいれば、そうでない人もいる。ほとんどの確率でクビになることはなく、会社にいれば定年まではなんとかやっていけてたはずだ。「定年までは大丈夫」というある種の希望が「地位財」にこだわりすぎなくても良い環境を作っていたように思う。

しかし、人材の流動性が上がり、キャリアアップをしなければ居場所がなくなるのではないか、という不安が増している。一方で、経済は成長しないし、平均給与も上がらないという中で、「とにかく頑張るしかない」「競争に勝ち続けなければならない」と考えている人が増えている気がする。そうすると、健康を損なう人も出るし、働くことだけにフォーカスした結果、それ以外のつながりがなくなってしまう、仕事を辞めたら居場所がなくなる、といったことが起きている。特に、真面目な人ほどそういう傾向があるのではないか。

つまり、「走り続けなければならない」という社会の見方が「地位財」優位の状態を作り出してしまっている。

二つ目は、「非地位財」の「地位財化」が進んでいること。「非地位財」は他の人との比較関係なく、自分が「幸せだ」と感じられる財であった。しかし、最近は「非地位財」も段々と周囲の比較に晒されているのではと思う。

例えば、「健康」。健康であることを他者と比較することってそんなにあるか、と思うかもしれないが、昨今は「健康」と「健康でないもの」がどんどん細分化されている。

まず、「健康」であることは「優位である」という価値観がつくられ始めている。例えば、ビジネスパーソンの中でジムやサウナに行く人が増えている(自分もそれに含まれている)。ジムやサウナに行くことは当然悪いことではない。というより、健康ではない時に、早く健康な状態になろうね、という空気が形成されつつある。

また、心の健康の問題もある。2019年のデロイトトーマツの調査によると、精神疾患を有する総患者数は、2002年の258万人から2017年の419万人へと15年間で1.6倍と増加している(厚生労働省のデータを参照)。これは精神疾患に関する研究などが進み、各精神疾患の定義が明確となり、治療法がどんどん確立されていったことに一つの要因がある。(この辺りの情報は熊代亨さんの「健康で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて」を参考にしました。また、前提として精神疾患と診断され、悩む方の解決策が増えていること自体はとても良いことだと思っています)

ここで言いたいのは「健康」の枠が狭まり、がどんどん「希少性の高いもの」になってしまっているのではないか、という懸念だ。そうすると、自分はもしかたら健康ではないのかも、と思う人が増え、健康であることを維持し続けるためにお金をかけなければならなくなる、健康が損なわれやすくなる。つまり、健康が「地位財化」してしまうのではないか、と思う。

安定を得るための4つの因子

「地位財」が優位になりがちな構造の中で、「非地位財」による「幸せ」を確保するヒントとなるのが前野先生の提唱する「幸せの四つの因子」だ。

「幸せのメカニズム」で提示されている「幸せの四つの因子」は心的要因、つまり「気の持ちよう」に紐づいたアンケートの結果で構成されている。心的要因にフォーカスした理由は二つある。

一つは、心的要因以外の幸福は外的か身体的要因なので、自分でコントロールしにくいこと。もう一つは、外的要因は「地位財」に紐づく場合が多く、自分でコントロールできる心的要因に紐づく「非地位財」にフォーカスできるようにすることで、「地位財」と「非地位財」のバランスが取りやすくなるためだ。

アンケートは29項目、87個の質問を、「非常によく当てはまる」から「全く当てはまらない」までの7段階評価で、回答数は1500人。

ちなみに「因子」というのは、「ある結果を生ずるもととなる諸要素の一つ。要因」(広辞苑より)のことであり、ここでは「幸せ」という状態を作り出している要素は何かということ。

第一因子 :「やってみよう!」因子

関連する要素 :「コンピテンス(私は有能である)」「社会の要請(私は社会の要請に応えている)」「個人的成長(私のこれまでの人生は、変化、学習、成長に満ちていた)」「自己実現(今の自分は「本当になりたかった自分」である)」

第二因子:「ありがとう!」因子

関連する要素:「人を喜ばせる(人の喜ぶ顔が見たい)」「愛情(私を大切に思ってくれる人がいる)」「感謝(私は、人生において感謝されることがたくさんある)」「親切(私は日々の生活において、他者に親切にし、手助けしたいと思っている)」

第三因子:「なんとなる!」因子

関連する要素:「楽観性(私は物事が思い通りにいくと思う)」「気持ちの切り替え(私は学校や仕事での失敗や不安な感情をあまり引きずらない)」「積極的な他者関係(私は他者との近しい関係を維持することができる)」「自己受容(自分は人生で多くのことを達成してきた)」

第四因子:「あなたらしく!」因子

関連する要素:「社会的比較思考のなさ(私は自分のすることと他者がすることをあまり比較しない)」「制約の近くのなさ(私に何ができて何ができないかは外部の制約のせいではない)」「自己概念の明確傾向(自分自身についての信念はあまり変化しない)」「最大効果の追求のなさ(テレビを見るときはあまり頻繁にチャンネルを切り替えない)」

それぞれの因子をどうやったら増やすことができるのか。著書を参考にしながら考えてみたい。

「やってみよう!」因子

最初にこの因子の説明を読んだ時、目標を持つこととそこに向かって進むことは、本当に誰もが持ち得る因子なのか?と疑問に思った。「有能である」や「変化・成長に満ちている」という言葉は、捉え方によっては他の人との競争に勝っていこう、というふうに読み取れたりもする。結局、競争社会で勝てる能力もっている必要があるのではないかと。

しかし、前野先生はそうではないと否定している。

私の言う「コンピテンス」とは、何か画一的な意味で他人に打ち勝つというような意味ではなく、多様な良さを、いろいろな人が発揮するという意味です。それはリア充的でも活動的でもなくていい(あってもいい)。静かに万葉集を理解することで秀でているのだっていい。オタクだっていい。なんだっていんです。でも、「ただふつう」ではなく、自分は何が面白くて、何を求めているのかを、明確にわかっている人こそ、幸せな傾向がある

「幸せのメカニズム」

勝ち負けとかではなく、自分が一番のエキスパートになれるものを見つけよう、ということだ。もちろん、その結果として「地位財」の獲得につながるのは、それはそれで良い。

また、自己実現や成長という言葉に対しても、それは社会を変えるとか経済を動かすとか、ダイナミックなものである必要はないと述べている。一例と挙げているのが松尾芭蕉だ。彼は、俳諧で圧倒的な有名人だが、彼が俳句を読むという行為それ自体は、誰のお腹を満たしてもないし、何か経済を動かしているわけでもない(現代において、彼の功績を使って二次的に経済が動いていることはあると思うが)。芭蕉がやっていたことは、日常の変化を観察し、言葉にし、小さな変化を捉えること。きっとそれ自体に喜びを感じていたのだろう。例えば、映画を見るのが好きだ、走るのが好きだ、料理をするのが好きだ、でもなんでも良い、ということだ。

経済と関係なく、自分が推せるものを見つけることが、「やってみよう!」因子を持つことにつながる。

「ありがとう!」因子

この因子は「つながり」を大事にすることで持つことができる。もう少し分解すると「つながり」の多様性を増やし、誰かに対して小さくても貢献する割合が多いと、「幸せ」につながるということだ。

「つながり」と言っても、深く仲良くなる必要はないし、友達の数が多い必要もない。それよりも様々なバックグラウンドを持った人と知り合いであることの方が、幸せにつながるそう。

著書ではコミュニティを増やすことを提唱しているが、個人的には人間関係を損得で考えないことが大事だと感じた。キャリア競争の渦中にいると、この時間は自分にとって価値があるのかと考えがちだ。リモートワークになって、雑談すら無駄だと考える人もいるかもしれない。だが、そうした自分に向いているだけの関係は、周りの人の多様性が失われるし、誰かに貢献する関係にもなりにくい。昔いた会社で、常に暇でいることが大事と言っていたマネージャーの方がいたが、確かに自分の時間を誰かのために使う余裕を持っていることが、人に貢献することに繋がり、自分の「幸せ」にもつながる。実際、社会問題に貢献している人の方が、そうでない人より「幸せ」というデータがあったり、もらったお金を自分のために使うより、寄付する方が「幸せ」な気持ちになる、という研究結果もある。

自分の時間もお金も無制限ではないが、無理のない範囲で誰かのために使っていくと、「ありがとう!」因子が増えていく。

「なんとなる!」因子

「楽観的であること」は「幸せ」であることにおいてかなり重要な因子なようだ。自分は、内向的かつどちらかというとネガティブに考えがちなタイプなので、この因子を持つことが一番難しいと感じていた。

また、この因子が一番「気の持ちよう」の問題度が高い。だから、ネガティブなりに「なんとかなる!」と思うためにはどうしたらいいか考えてみた。

それは、「行動している限り、進んでいる」というマインドを持つこと。もちろん、進んでいる方向が間違っていることはある。結果から遠いこともある。そうならないために沢山考える必要もある。特に時間が限られている場合(仕事だとほとんどそうだと思う)、打ち手は100個あるけど、現実的に10個しか無理だ、となることがあるだろう。それでも、100のまま止まるより、99になった方がいいし、1個試すことで、実は他の10個はやらなくて良いかも、となるかもしれない。たとえマイナス方向であったとしても、数直線としては進んでいることは変わりないのだ。

また、内向的やネガティブであることが「不幸」というのは違うと思っている。「内向型人間の時代 社会を変える静かな人の力」「「静かな人」の戦略書──騒がしすぎるこの世界で内向型が静かな力を発揮する法」本が出ているように内向的な人でも満ち足りている人は沢山いる。ネガティブであるというのは「細かいところに目がいく」という強みを持っているから、細部の細部までこだわることができる。

前野先生の考えで一番面白かったのは「心は幻想である」、だから、そもそも「よりどころはない」という視点。元も子もないような気もするが、確かに自分が肉体として感じていること、痛みや五感以外は、頭の中で作り出した幻想といえば幻想である。もちろん、その幻想に沢山悩んだり、逆に喜ばされたりするのだけど、喜ぶ時だけは大いに幻想を享受し、そうでないときは「これは幻想」と思うだけでも、違うのかもしれない。

「あなたらしく!」因子

言い換えると「人の目を気にするな」ということ。やはり、これもなかなか難しい気がする。前野先生も、元々は人の目を気にするタイプだったようだ。だが、今では人の目をほとんど気にしないらしい。どうやって自分を変えていったのか。それは、「人の目を気にしやすい」からこそ身についている「メタ認知力」を活かすことだという。

人の目を気にするということは、自分の行動Aに対して、周りの人がどう反応するか仮説を立てるのが得意ということでもある。自分の状況を常に客観視できているなら、逆に理想の形に振る舞うことで返ってくる反応も考えて行動できる。例えば、自分が目標とする人であればどう振る舞うだろうかを考えて、それを実行に移してみる。自分がどう見られているかは、相手の見方によって作られるものだ。違う見方が相手の中で溜まっていけば、そのような人として自分を見てくれるようになり、そうである行動が期待され、また自分が変わっていく。

教育心理学の分野で「ピグマリオン効果」と呼ばれるものがある。これは、「人間は期待されると、その期待された通りに振る舞う傾向がある」というものだ。つまり、人目を気にしない自分になるなら、周りの人から「この人は人目を気にしない人なんだ」という期待を持ってもらうのが良い。そのために、まずは人目を気にしないふるまいから入ってみる。

サブタイトル

「地位財」優位の社会で、「非地位財」とのバランスを取ることが大切であり、そのために必要な四つの因子を見てきた。

ビジネスパーソンとして頑張る限り、なかなか「地位財」を獲得するレースから降りるのは難しい。もはやそれは個人の問題というより、社会のシステムの問題の方が大きいと感じる。

それでも「幸せのメカニズム」を知ることは、日々のモヤモヤを解消する一助になるのではないだろうか。難しい問題は分解して考えてみると良いのと同じで、「幸せ」という漠然と捉えていた概念の構造がわかるだけでも何をすればいいか見えてくる。

「地位財」を獲得するプロセスの中で、「非地位財」を獲得するための視点を持つだけでも違うのではと思う。自分が得意なプロセスを考えてみる、一緒に働く人に感謝する、行動しているだけでも何かが変わっているんだと信じてみる、自分のなりたい自分になれるよう、日々の振る舞いを少しづつ調整してみる。そんな小さな積み重ねの繰り返しが、「地位財」に追われる日々の中で、「非地位財」の割合を増やしてくれるはずだ。

「気の持ちよう」だ、と言われてしまえばそれまでだ。だが、「気の持ちよう」でなんとかなるとも言える。「気の持ちよう」を変えるのにお金はかからない。それで少しでもモヤモヤが解消されたら、むしろ儲けもん、くらいの軽い気持ちで取り組んでみたら、身の回り30cmの世界は変わるかもしれない。



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