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そうだ辰年だ 

新年になると抱負を立てる人も多かろう。
新鮮な気持ちで時間を迎える、節目を作ることはとてもいいことだと思う。

あれもしよう、これもしよう。
あれもしたい、これもしたい。
今年こそは!

人間の持つ二つの欲求



真木悠介は、大胆にも人間の欲求を二つに絞る。

人間の根源的な二つの欲求は、翼をもつことの欲求と、根をもつことの欲求だ。

『気流の鳴る音』ちくま学芸文庫

翼は自由の象徴であり、
根は安定を象徴するものだろう。


翼は自由に大空を羽ばたくためにあり、
根は大地に文字通り根付くことで安定をもたらしてくれる。
ただ行き過ぎたとき、根は束縛ともなる。


人は畢竟、自由と束縛、この矛盾した二つの欲求を抱えながら、振り子のように葛藤して生きているわけだ。

例えば、家は安定的な基盤を提供してくれるが、両親に縛られるのが嫌で、自由を求めて故郷を離れ、寂しさに打ちひしがれて、また故郷に戻るように。

神話の世界では、蛇と鷲で表現される。
ジョーゼフ・キャンベルは次のように語る。

ヘビは土地に縛りつけられているが、ワシは精神的な飛翔である。こういう葛藤は私たちみんなが経験するのではないでしょうか。

『神話の力』早川書房

矛盾する二つの欲求を昇華する道



自由と束縛。この葛藤を解消する道はないのだろうか。

キャンベルはその答えを提示してくれている。
翼を持ったヘビ!
そう、二つが統合されたときに生まれ出るのは「ドラゴン」だ。

矛盾、葛藤を昇華することは容易いことではない。
しかし、道があることは、勇気につながる。まさに「神話の力」だ。
昇華し、姿、形まで変わる質的な変化、単なるchangeではなく、transformation、transfiguration、変容であり変貌である。

変容が宿す苦悩


幼虫から蛹、蛹から蝶になるような変容、変貌。
その鮮やかな変わりようは、人々を魅了する。
しかし、一旦変容したら戻ることはできないという厳しい側面もある。
蝶が蛹や幼虫に戻る自由は許されていない。そもそも選択肢として存在していない。

このことは、成長することがいいことだと喜んでばかりはいられないということを突きつけくる。
成長した者にしか見えない、分からない世界の有り様があって、
分かってしまったからこそ、踏み込まねばならないことがあるということである。

それは、担わざるを得ない、重たい荷物でもあり、単純に幸せにつながるわけではないという厳格な事実としてのしかかってくる。成長は喜ばしいニュースばかりではなく、より大きな苦労や悩みも運んでくるということだ。光が強ければ、濃い影を落とすのだ。

苦悩にしかできないこと


しかし、もっと大切なことがあると思っている。

「苦悩が開く扉がある」ということ。

もう少し正確にいうと、苦悩でしか開かない扉がある。
苦悩を通じて初めて見えてくる景色がある。そこには、幸せを追い求めるよりも深い世界が広がっているのかも知れない。これを人生の妙味と呼ぶのだろう。

苦難と死は、人生を無意味なものにしません。そもそも、苦難と死こそが人生を意味あるものにするのです

『それでも人生にイエスという』春秋社

ビクトール・フランクルの言葉が重たく響いてくる。


さて辰年、
あなたは何をしたいですか?
あなたがすべきことは何ですか?

人生が問いかける、あなたしか担えないことは何ですか?
あなたに宿る固有の問いがあるとしたらそれは何ですか?

その問いを進化的な存在だと捉えたとき、どのような進化を望んでるのだろうか?

「衆生本来仏なり」の仏教の基本に従うと、
ここで決して忘れてならないことがある。

すべての人にもう既に、龍は内在しているということだ。

深く銘肝しよう。誰しも龍である。内なる龍とつながろう。
龍じゃないダメな自分がいて、
龍になるためのきらびやかなセミナーや、
カリスマ的な信奉者を探し求める必要はない。

問いと向き合いつつ、人生を味わいたい。
今年もよろしくお願いします。

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