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映画「デイ・アフター・トゥモロー」がSFでなくなる日

映画「デイ・アフター・トゥモロー」が公開されたのは2004年でした。
私は飛行機の中で観たのですが、意外性のある面白いSF映画だなぁ…と感心しながら、(これ、ひょっとして絵空事じゃないかも…)という予感が頭を掠めたことを覚えています。

この映画は、大西洋子午面循環、または大西洋深層循環(AMOC:Atlantic Meridional Overturning Circulation)と呼ばれる現象に焦点を当てた気象SF映画です。温暖化により極点の氷が融解し海水の塩分濃度が下がることでAMOCが停止、熱循環も止まることで気象が激変し、「氷河期」が訪れるというストーリーを描いています。

この話自体は(今のところ)フィクションですが、AMOCのメカニズムには未だに不明点が多いこと、そして温暖化がもたらす気象現象は、時に反直感的で、そして激甚なものになるということを示唆した、注目すべき映画です。
今回は、そのAMOCと、この切り口から考える温暖化の行末についてのお話です。


AMOCの役割

気象変化においてAMOCが果たす役割は非常に重要です。
地球の対流圏における気象変化は、太陽光により温められた地表面と海水に熱エネルギーが蓄えられ、これが大気の対流現象を起こすことにより生じています。AMOCは、この地球上の膨大な熱エネルギーを移動させる役割を担っています。そのエネルギー量は約120万ギガワット。これは、全世界の電力システムの約160倍のエネルギー容量に相当します。

AMOCは熱と海水中の塩分濃度差が駆動力となって発生しています。冷たい塩分が濃い海水は深層へと沈下し、塩分が薄く温かい海水は表層へと上昇する対流が生じ、これが大きな海流を生み出す仕掛けとなっています。

ちなみに北半球での表面海水の沈み込みは、塩分濃度が高い北大西洋で生じ、北太平洋では起きません。
その原因は塩分濃度の違いにあるとされ、その濃度差はAMOCで生まれている…とされているのですが、そうすると、卵が先か鶏が先かという問題にぶつかります。実は、どちらが原因でどちらが結果なのかは不明点が多く、AMOCの多重化されたその複雑な構造については、いまだに議論が続いています。

ただ確実に言えることは、高緯度にある欧州が比較的温暖である理由は、主にこの海流の北上により熱エネルギーが供給されていることに依拠している点です。そしてAMOCがもたらす影響は北米・欧州にとどまらず、太平洋・インド洋・オセアニアを含む全世界の気象現象に深く関係しています。

オンとオフを繰り返すAMOC

先史時代にまで及ぶ、過去の気候を研究する「古気候学」により、こうした海水循環の強さの変化が、実際に急激な気候変動と深く関係していることが明らかになりました。この調査・分析は、地球の最終氷期にまでさかのぼる古代の氷床コア(氷河や氷床から取り出された氷の試料)を採取・分析することで可能です。
よく、南極基地などで氷床を掘削し、非常に深い部分の氷柱サンプルを取得する目的の一つは、この研究にあります。

古気候学の研究から、これまでAMOCは、流れが強く高速で海水が循環する「オン」の状態と、流れが弱く循環が減速する「オフ」の状態、この2つの状態を行き来していたことが判ってきました (*1)
現在AMOCは「オン」の状態ですが、これが弱まり「オフ」の状態になると、気候は寒冷期に突入します。
そしてこの150年間、AMOCは弱まりつつあることが確認されています。

(*1) "Deep-water circulation changes lead North Atlantic climate during deglaciation" https://www.nature.com/articles/s41467-019-09237-3


AMOCが最後にほぼ停止したのは、約1万4500年前のヤンガードリアス期でした。ちょうど日本は縄文時代の手前、旧石器時代の最終期にあたっていた時期です。

ヤンガードリアスとは、それまで続いていた最終氷期から間氷期に入り温暖化が始まった時、また急激に気温が低下し寒冷化した現象を指し、北半球の温帯地域の多くで氷河化と乾燥地域が増加しました。この変化は数十年の期間で起きたとされています。温暖化により大量の淡水が流れ込んだことがAMOCの停止に繋がり、この寒冷化現象を生み出したとされていますが、その詳細なメカニズムについては不明点が多く、現在も議論が続いています。

まもなく停止する可能性が高いAMOC

それでは、現在のAMOCはどういう状態にあるのでしょうか。
映画では、大西洋上にブイを係留し海水温をモニターしている姿が描かれていますが、実際にこうした調査が進められています。映画公開と同じ年の2004年に始まった Rapid Climate Change-Meridional Overturning Circulation and Heatflux Array、通称RAPIDと呼ばれる国際共同研究により、北緯 26 度におけるAMOC流量の定量的なデータが得られるようになり、AMOCの解明が進んでいます。

現在、観測データから、AMOCは確実に弱まりつつあることが確認されています。
AMOCはオフへと向かうのか。そして停止するとすればいつなのか。
様々なモデルを用いた研究が行われていますが、今年7月にNature Communicationsに掲載された論文(*2)では、早ければ2025年、遅くとも2095年までにAMOCは停止するという大胆な予測が提示されました。

(*2)「Warning of a forthcoming collapse of the Atlantic meridional overturning circulation」
https://www.nature.com/articles/s41467-023-39810-w


この論文は世界中で物議を醸していますが、これまでの調査研究により究明されていることは、AMOCの構造と変化は極めて多重化され複雑であり、私たちの今の科学レベルでは正確な予測は不可能である、ということまでです。

7月に発表された論文では統計学に基づくモデルを構築し、それを用いた予測を行っていますが、この統計学モデルがどの程度正確に実際の現象を捉えているかについては異論も多く、今後のさらなる検証が待たれています。

ただ一点、温暖化による高緯度・極点にある氷床の融解は現在確実に進行・加速中であり、これにより膨大な淡水が海に供給され続けているため、AMOCが停止する蓋然性は確実に高まっていることは事実です。
世界中の気象学者がAMOCの今後の行末に注目している理由はここにあります。

AMOC停止により起きること

では、AMOCが停止すると何が起きるのでしょうか。
AMOCが止まると熱帯太平洋の気温は低下し、貿易風は強さを増して南下すると考えられます。その結果、ラニーニャが発生し、南太平洋では壊滅的なモンスーンと洪水が発生する他、北米の一部では旱魃と猛暑が激化すると予想されています。これらは直接の影響から予想される変化ですが、地球の気象変化は様々な要素が複雑に関係し相互に影響し合うため、AMOC停止はより広範囲の、極端な、あるいは予想外の変化を生み出す可能性があります。

少なくともAMOCは北半球の気候の大部分に影響を与え、その影響は遥か遠くのアジアにまで及びます。熱循環を支える海流の変化は、気象現象の構造そのものを変えることから、従来慣れ親しんできた気温変化や季節風、降水・降雪現象のパターンを大幅に撹乱すると考えられています。

映画「デイ・アフター・トゥモロー」では、そうした極端な気象変化として、冬にもかかわらず極めて短期間に巨大台風の様な渦が発生・成長し、強烈な寒気を地表に叩きつけ、北半球の中緯度から北の一帯を瞬時に凍結させる…という姿を描いています。

これは、氷の融解による海水面の冷却により、海面および対流圏下部の温度勾配が増加する(→急激に変化する)ことで生じると予想されている現象に基づいた気象変化の一つです。この現象により、中緯度対流圏全体にわたり流体の渦生成を促すエネルギーが大幅に増加するため、流体変化の圧斜性を強め温度勾配をさらに強化し、一般的に「スーパーストーム」として知られる冬の低気圧嵐が発生します…
…が、映画で描かれている様な超巨大かつ超強烈な嵐となるかは不明です。
(ドラマティックするために極端にオーバーな現象を描いたフィクション、と個人的には思いたいのですが)

考えておくべきこと

90年代から強く警鐘が鳴らされ続けている「地球温暖化」問題ですが、それは単に平均気温の上昇をもたらす「暑さ」の問題だけではありません。
温暖化で最も懸念される事態は、気温上昇が引き金となり、今回ご紹介するAMOC停止をはじめとするマクロ的な熱循環構造が崩壊し、私たちが知らない未知の気象現象が始まることです。現在の気象安定性が損なわれることで、自然環境は一変し、地球上の全生物は甚大な影響を被ります。

映画「デイ・アフター・トゥモロー」は単にSFの域にとどまらず、まさにそうしたマクロ変化の可能性を提示した、注目すべき警鐘と考えるべきです。

人は緊急事態や目前の危機には反応するものの、残念ながら、こうした中長期的に長い時間をかけて進行する問題を、切実な危機として認識することが苦手です。そのため、30年間という時間の多くは不毛な対立に費やされ、抜本的かつ強力な対策を全世界で実施するには未だ至らず、地球温暖化は、さらなる悪化はもはや不可避と言わざるを得ない局面を迎えました。

これから私たちに求められることは、温暖化を「どう防ぐか」という回避・解決策だけでなく、出来る限り温暖化の進行を抑えながら、「不可避の温暖化をどう受け止め、生き延びるか」という防御策について、真剣に考え、具体的な対策を講じる段階に入ったと考えるべきです。

少なくとも、もはや夏の猛暑をどう凌ぐかというレベルではなく、気象安定性が損なわれ、激烈な豪雨・暴風・高潮・暴雪・旱魃が異常ではなくなる猛烈な気象変化の中で、はたしてどの様にして日常生活を営むかを考え、その準備を進める必要があります。
準備する時間は、恐らく、もうほとんど残されていません。

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