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イノベーションとは


遥か昔に発明されたネジ(螺子)、火薬、羅針盤。そして近代では、内燃機関、飛行機、コンピューター、インターネット…と、人類史を大きく変えた画期的な発明は無数にあります。その影響は甚大で、それぞれのエピソードを紐解けば、きっと千夜一夜の物語のように語り尽くすまでに幾年も幾年もかかるでしょう。

近年こうした形ある発明は、革新、英語でイノベーションという言葉で表現されることが多い様です。たとえばスマホや、直近ではChatGPTに代表されるAI等々。しかし、その多くは、スマホやAIそれ自体を「イノベーション」と捉えています。例えば、次のイノベーションはVRかな、いや核融合だよ、それよりバッテリー性能を飛躍的に改善するイノベーションが待ち遠しいね、という様に。

不十分なinnovationの言語定義

改めてinnovationの意味をOxford Dictionaryで調べると、「the introduction of new things, ideas or ways of doing something (新しいもの、アイデア、または何かを行う方法の導入)」と記されています。
簡潔ですが、惜しい、実に惜しい。この定義は一番肝心な点を見落としています。

イノベーションとは、「新しいもの、アイデア、または何かを行う画期的な方法の “導入・普及により社会全体に生じる、巨大な動的変化の過程” 」と定義することが適当ではないか。私はそう考えています。
ある特定のものや個々のアイデアが凄いのではなく、それが社会に浸透してゆく中で生じる、進行形としての変化が一番重要だと思うのです。

それは動的変化の過程

イノベーションの核は「生み出される動的変化の過程」にあります。
例えばコンピューターを例にして考えると、単体で見れば古くは電子計算機、汎用的に表現しても「二進法を用いて情報をデジタル処理する機械」に過ぎません。この機械自体がイノベーションなのではなく、この機械が社会の隅々にまで浸透することにより、世界中の人々に新しい様式と「劇的な能力の拡大」をもたらし、科学・芸術・音楽・政治・文化・日常生活に至るまで、ありとあらゆる領域で画期的な変化を今も「生み出し続けていること」こそが、コンピューターのイノベーションの本質です。

かつて産業革命を生み出した内燃機関も同様です。
内燃機関そのものが重要なのではありません。発電機をはじめとする動力装置、船や鉄道や自動車といった輸送機関が生み出され、これらが様々な産業や社会に導入されることで、社会に決定的な構造変化をもたらしました。この構造変化こそが重要であり、今も綿々と続くその変化の過程こそが内燃機関が生み出した偉大なイノベーションです。

この内燃機関を契機とするイノベーションは、決して良いことばかりを生み出した訳ではありません。行動力と生産力の天文学的な拡大は、著しい経済格差を生み出し、市民を巻き込む大量破壊といった力の行使をも可能としました。そして、莫大な量の化石燃料の消費・燃焼に依存する構造を生み出し、産業革命当初は誰も予想し得なかった地球温暖化という、著しい負の変化を生み出したことも忘れてはなりません。

スタートアップだけがイノベーションの担い手ではない

昨今、イノベーションが重要だ、イノベーションこそが未来の鍵だという声をここかしこで耳にします。
イノベーションに関心が高まることは、社会変化を考える上で良いことだと思うのですが、ちょっとおかしな見方も増えつつあります。
おそらくコンサルティング業界が発信源の様ですが、優れたイノベーションを生み出すためには、もっとスタートアップを増やすことが必要だという見方です。多くの民間企業はおろか政府や教育機関までもこの考えに嵌ってしまい、スタートアップこそが魔法の様な経済成長の起爆剤と思い込んでいる節が伺えることに、深い懸念を覚えます。

※素朴な疑問なのですが、そんなに強力にスタートアップを他人に推すのであれば、なぜコンサルタントが自らスタートアップとなり、提唱されるアイデアや実践的な解決策を自ら開発・提供しようとされないのか、もう不思議でしょうがありません。。。

こうしたスタートアップ頼みの政策は、先に挙げたイノベーションについての誤った解釈に起因しているのではないでしょうか。スタートアップ = 画期的な発明 = イノベーションという様に、要素と変化がない混ぜになり、さらに希望的観測に基づく近視眼的な願望だけで発想している、非常に危うい思考です。

両面の剣を使う意識

1938年に物理学者オットー・ハーンとフリッツ・シュトラスマンによる核分裂の発見は、後にレオ・シラードによる核連鎖反応の可能性探究へと繋がります。その偉大な発見と研究は原子力の可能性を示すと同時に、絶望と希望の両方が詰められたパンドラの箱の蓋を開けました。

原子力そのものがイノベーションなのではありません。この科学発明と様々な開発過程、そこから生み出された放射線治療や原子力発電といった正の成果物と、核兵器や放射線廃棄物という負の成果物が生み出した強烈な社会変化の全てが、原子力がもたらしたイノベーションです。

私たち人間は無限の可能性を秘め、世界を変える力を持っています。
その創造性をどの様に発揮し、どの様な変化を生み出してゆくかは、私たちの意識にかかっています。問題なのは、その私たちの意識が未成熟であることです。そのため、偶発的な発見と発明を実利重視の偏った視点で扱い、無邪気な応用を試みがちであるため、原子力のイノベーションの様に時に招かれざる恐るべき事態を生み出します。

この視点に立てば、コンピューター、それを結ぶインターネット、その情報の海から生まれたAIを多くの人がダモクレスの剣の様に恐れるのも、ある種自然な反応なのかもしれません。

今この瞬間もイノベーション、動的変化の過程は進行しています。その先にある未来を恐れるのであれば、闇雲に短期の結果だけを求める前に、イノベーションの本質である発明と社会変化の構造を理解し、その変化の過程をどの様に設計するのか、どの方向に向けるべきかを真剣に考察しなければなりません。

より良い未来を創造するためには、その未来を生み出す変化の過程であるイノベーションの全体像に注目し、適切な選択を下しそれを統べる意識、いわゆる「社会の設計哲学」を探究してゆくことが致命的に重要だと思うのです。

スタートアップこそが救世主と他力本願的に考え、彼らがイノベーションを創ってくれると過剰な期待を寄せることは不適切であり、偏って思考停止した危険な発想です。いつまで経っても期待する魔法を見せない魔術師がかつて火炙りにされた様に、期待と異なる、思い通りにならない予想外の悪い事態が生じれば、たちまちスタートアップはその諸悪の根源として糾弾されがちです。

かつてTwitterと呼ばれていたX。そのXに浴びせられる昨今の非難の様子を見ると、私たちが抱くそうした潜在的な性向と意識の未熟さを感じるのです。

私たち全員がイノベーター

かれこれ30年近く、世界中の様々なスタートアップと出会い、彼らの夢と悩みを聞き、共に未知の世界へ挑戦してきた経験から言えることは、彼らは優れた創造性と行動力を持つ創造者ですが、彼らだけがイノベーターではない、ということです。

正確には、彼らは社会に変化の契機を生み出し、眠れる可能性を発火させる点火装置(igniter)。彼らが創造したもの・アイデアを受け入れ使いこなしてゆくことで、弛まない変化を生み、可能性を拡げてゆく私たち一人一人が、画期的なイノベーションを創造するイノベーターです。

世界をどの様に見つめるか。あるべき未来はどの様な姿か。誰もが幸せな社会とはどの様な社会か。その実現に向け目指すべき方向はどちらか。そのために必要な選択の基準は何か。私たちはどの様な意識を持ち、どの様な行動をとるべきか。
イノベーションの起点を創造するスタートアップだけでなく、現代を生きる私たちは全員、これらを意識し行動することが求められています。

未来を生み出すイノベーションは、あなたの中で今日も生まれ、変化を続けています。
目の前に流れる変化、その流れにどの様に関係してゆくか。
イノベーションは、その動的変化の過程です。

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