枝縫

石川県在住

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最近の記事

能登の(素)は死なない

能登の素(す)の部分に潜んでいた脆さを、今この時になって思い知らされた気がする。 そして、大好きな能登が、じっと耐えている。 しかし、能登の素にはそんな言葉など聞き流す、 もっと言えば、静かに受け入れてしまう何かがあったのかもしれない。 能登の、特に奥能登の素とは、 紛れもなく〝自然に育まれた自然な生き方〟にあったからだ。 だからこそ、能登はずっと、能登だったのだ。 飾らない、言葉に頼らない、実直で、逞しさとやさしさを表裏一体にもつ。 そんな風土を、能登は当た

    • 2010年の秋 伊集院静氏について書いていたこと

      東京への出張のお伴として、久々に伊集院静氏の本を一冊持って行った。 『ねむりねこ』という可愛いタイトルの付いた文庫のエッセイ集で、一度読んではいるのだが、あらためて読み返してみたいと本棚から抜き出し、カバンに入れたのだ。 文章も音楽も、絵画も写真も、時にはニンゲンも含めて、その時のさまざまな環境によって感じ方が異なるものだ。『ねむりねこ』というタイトルから内容を連想できないでいるこの文庫本一冊でも、ひょっとして新鮮な何かをもたらしてくれるかも知れない。それほどテンションを

      • 稲見一良のこと

         稲見一良という作家の存在は、広く知られているというわけではないだろう。「一良」と書いて「いつら」と読むこともめずらしく、ほとんどの人はそのとおりに読めないに違いない。知っていればこそ読める名前なのだ。  ボクと稲見一良との出会いは、もう30年くらい前になる。出張時、神田・三省堂本店の一階フロアで手に取った一冊の本から、ボクにとっては稀なケースと言える付き合いが始まった。  その本が『ダック・コール』である。タイトル写真にあるのは文庫で、ボクは当時出たばかりの単行本を買い、す

        • 母のこと

           赤いカーネーションが、窓辺に置かれている。ボクにはもう母親はいないが、子どもたちが自分たちの母親のために買ってきたものだ。  母が死んでから何年が過ぎただろうか…と思った。実は、ボクは人が死んでから何年が過ぎたかということに関して、非常に記憶力の弱いニンゲンなのだ。  亡くなった父のことも母のことも、実兄のことも、義兄のことも、後輩のことも確かな答えが出てこない。およそ何年ぐらい前というのは分かるが、どうしても正式な年月は出てこない。ただ、そうかといって、当然のことながら、

        能登の(素)は死なない

          控えめな黒子ではなかった…

          ドイツの黒ビールを手にした大先輩から、 「アンタも私も、基本は黒子(くろこ)なんやて…」と言われた。 ボクはその時、たまたま同じドイツの白ビールという、 よく分からないものを飲んでいたのだが、 そんなこととは関係なく、その言葉に間違いはないと思った。 ボクとその大先輩とは、大きなイベントの仕事をしてきた。 やり方の仕組みが出来ていなかった時代、 いろいろと悩み考え、試行していたことは、 正式に仕組みが出来上がった段階で 初めて世の中に認められるようになる。 そして、その仕組

          控えめな黒子ではなかった…

          ベンジャミン 

          観葉植物と映画『卒業』と歯医者行きのことなど 居間に観葉植物を置いてから1ヶ月ほどして、その木が「ベンジャミン」という名前であることを知った。 なぜ知ろうとしたのかというと、あまりに落葉が多く、その対処法を調べるために木の名前が必要だったからだ。 そして、落葉に対する処置はすぐに分かったのだが、その「ベンジャミン」という木の名前が気に入ってしまった。 ベンジャミンは、映画『卒業』でダスティン・ホフマンが演じた主人公の名前だ。 たしかベンジャミン・ブラドック。スペルは

          ベンジャミン 

          祖父が逮捕されていたという話

          ◆新聞記事の中の祖父と生まれた頃 何だか物騒な見出しの新聞記事。その記事の中に祖父の名前が出ている。 昭和28年(1953)石川県内灘村で起きた「内灘闘争」という事件。 その写真展に一緒に行っていた仕事の相棒が、祖父の名前を口にし、知っている人かと聞いてきた。 彼が指さした先に、漁民たちの逮捕という新聞記事の写真があり、その逮捕された8人の主犯格として祖父の名前があった。 「オレの祖父さんだよ」 身内に逮捕歴のある者がいるなどというのは、どう考えても普通ではない。 だが、そ

          祖父が逮捕されていたという話

          〝 喫茶・E〟に来ていた頃

          紺屋坂を上りきると、兼六園と金沢城公園とで方向は左右に分かれる。   実際は左右というより、もっと複雑な感じだが、その中の左へと直角に曲がる道には、かつてよく足を運んでいた。  その先に〝喫茶・E〟があったからだ。 金沢が今よりもはるかに静かだった頃の話だ。 はじめて店に入ったのは、東京(の大学)にいた頃の帰省時だった。 卒業して金沢で働きはじめた頃にも、家に帰るためのバスが兼六園下の停留所を始発にしていた関係でよく寄っていた。 久しぶりに、それも無理に遠まわりして店の前

          〝 喫茶・E〟に来ていた頃

          ◆北信濃・温泉町のひまわり

           何年か前の夏、北信濃の温泉にある古い宿に泊まった。  宿の部屋に入ってすぐ地震があり、短い時間だがかなり揺れた。なんとその宿のある町が震源地だった。生まれてはじめて、震源地で地震を体験したのだ。  その出来事も衝撃的だったが、その宿の風呂場もかなり衝撃的だった。豪壮な木造建築がそのまま風呂場になったような感じで、中でも外(露天)でもとにかく見上げてばかりいた。  そしてもうひとつは、翌朝早く、朝飯前の散歩で出逢ったひまわりだ。  普通のひまわりと言えばそれまでだが、信州の

          ◆北信濃・温泉町のひまわり