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〝 喫茶・E〟に来ていた頃

紺屋坂を上りきると、兼六園と金沢城公園とで方向は左右に分かれる。
 
実際は左右というより、もっと複雑な感じだが、その中の左へと直角に曲がる道には、かつてよく足を運んでいた。 
その先に〝喫茶・E〟があったからだ。
金沢が今よりもはるかに静かだった頃の話だ。

はじめて店に入ったのは、東京(の大学)にいた頃の帰省時だった。
卒業して金沢で働きはじめた頃にも、家に帰るためのバスが兼六園下の停留所を始発にしていた関係でよく寄っていた。

久しぶりに、それも無理に遠まわりして店の前を通った。
近くにいたので、行ってみようかという思いもあったはずだ。
窓から女性客二人の笑い合うようすが見えると、すぐに足が止まった。

玄関には「珈琲」と書かれたシンプルな看板が立てられてあった。
喫茶・Eだろうか… と思ったが確認はできない。
建物はそのままだが、すでに喫茶・Eという名前ではないかもしれない。
自分の中ではそんな思いもあった。

そして、なぜか躊躇しつつ、店に入った。 
入るときに「よろしいですか?」と聞いたりもした。 
すぐに眼鏡をかけた店の女性が出てきてくれたが、「どうぞ」を二回も言われた。

お時間はありますか?と問われる。
コーヒーは豆を挽いてからなので、お急ぎの方はちょっと…… と話す。
観光客への対応が多くなっているのだろうと、余計なことがアタマに浮かんだ。美味いコーヒーのためなら、少々時間がかかるぐらい問題ではない。

外から見えた先客二人は、入れ違いに出て行った。 
店の中はさびしくなったが、コーヒーを注文してからしばらくすると、今度は観光客らしいミドルの女性五人組が入ってくる。 

少しはウルサくなるかなと思ったが、かなりウルサくなってしまった。
時間もたっぷりあるらしく、雑誌を広げて芸能界のどうでもいいようなニュースを話題にして盛り上がっていく。
金沢まで来てそんな話をと思うが、仕方がない。 

最後にこの店に来たのは三十数年前…… と、アタマの中で計算。
店の女性にそのことを告げた。 
すると、やさしいまなざしのその女性が、店はできてから五十年くらいになりますかねと答えてくれた。 
ということは、開店十年あたりからの数年間によくお邪魔していたということになる。
 
〝喫茶・E〟に来ていた頃

この店が喫茶・Eであることも確認でき、ようやく落ち着いた。

しかし、読みかけた文庫本はなかなか軌道に乗らない。
やはり例のグループがそれなりにウルサいのだと、人のせいにする。 
しばらくして、コーヒーが来た。 
横には果実を使ったお菓子が付いている。手づくりらしい。 

店の女性の雰囲気が、手づくりスィーツを連想させるに十分だった。
コーヒーも美味い、いやこの場合は〝美味しい〟だと、口の中で言い直す。 

記憶では、この店に来ていたのはいつも冬の寒い夜だったような気がする。
ということは、記憶の多くは大学を卒業してこちらに戻った後か。 
思い違いかもしれないが、なにしろ古い記憶であることに変わりはない。

当時は近くにまだ大学があったせいか、一階はにぎやかだった。
だから外の階段を上って、静かな二階に多くいたような気がした。
ただその二階も遅い時間には閉められていたような………

その頃はたばこを吸っていた。どうでもいいが、セブンスターという銘柄だった。どうでもいい話ついでに書くと、決まり切ったようにZIPPOのライターを手にし、火をつけ終えた後の蓋の閉め方には一応こだわってもいた。

〝喫茶・E〟に来ていた頃

そして、必ず活字を追っていた。
その頃ここで読んでいたものは何だったか?

濫読の時期だったから具体的にはわからないが、歴史や紀行もの、そして、さまざまなドキュメンタリーものだったかもしれない。
突然アメリカの現代小説に狂い始めたのもこの頃だったような………

大学時代、体育会のスポーツクラブに籍を置きつつ、ジャズやブンガクやその他モロモロをカラダ中に沁み込ませていた。
だからだろうか、アンバランスなカタチで調合されたそれらのエキスが、特異な感性や価値観などを形作っていると人から言われた。

かっこよく言えば、自分なりの世界を持っていると言えるのかもしれない。が、それをどう活かしていけばいいのか、さらにもっと言えば、その正体が何モノなのか理解できていなかった。

喫茶・Eにいた自分には、そんなことへの戸惑いも潜んでいたのだろう。

自分は何がしたいのか? どうなりたいのか?
人生というと大げさだが、それに近い次元で考えていたことがあったのに、その答を明確に出せないまま、いや出さないまま、もっと言えばそのことから逃げたまま日常に流されていた。

その頃の自分には今でも腹が立っている……と、今の自分が窓の外を見た。

喫茶・Eに来ていた時がいつも冬の夜だったという印象は、そんなことなどに繋がっていたのだろう。

そんな意味で、喫茶・Eは、その頃の自分の居場所としてふさわしかったのかもしれない。 

〝喫茶・E〟に来ていた頃

いつの間にか、例のグループも静かになっていた。

外には新緑が広がり、少しだけ開けられた窓から心地いい風が入ってくる。
鳥たちのさえずりも聞こえたりする。 

それからしばらく本を開き、十数ページ読んでから店を出た。
いい時間を過ごせた気がした。 
もう一度来ようと思っていると、うしろから〝またどうぞ〟の声。

まだ日差しの強い午後の時間。
今の自分には昼の〝喫茶・E〟が似合っている。
そんなことを思いながら、木漏れ日の中を歩きはじめた。 




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