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内藤礼 すべて動物は、世界の内にちょうど水の中に水があるように存在している 2022

葉山に行ってきた。
内藤礼さんの展覧会を観るために。
神奈川県立近代美術館葉山館のすぐ近くの宿を取り、休みを取った。

神奈川県立近代美術館葉山館

エントランスの面している中庭にはイサム・ノグチの『こけし』が展示されている。

この作品はもともとは神奈川県立近代美術館の鎌倉館に展示されていたものなのだそうだ。
鎌倉館は鶴岡八幡宮内にあって鶴岡八幡宮が建物の貸主だったらしい。ル・コルビュジエの弟子の板倉準三がデザインした建物で、さぞかし県立近代美術館にふさわしい建物だったのだろうが、鶴岡八幡宮の敷地内に建っているという事情から老朽化に伴う改修がはかばかしくなく、閉館となった。
鎌倉館のあとは鎌倉文華館という、鶴岡八幡宮が経営する美術館となっている。
鎌倉館とか、鎌倉文華館とか、名前がややこしいけど、さらにややこしくしておくと、神奈川県立近代美術館には鎌倉別館というものもある。
とにかく、今の神奈川県立近代美術館の中心は葉山館という位置付けだ。
『(閉館となった)旧鎌倉館で親しまれてきた壁画や野外彫刻の多くは、2016年に葉山館に移設されました。』と公式サイトにも書かれている。

今回見にきた内藤礼さんの作品も、鎌倉館から移植されたものだ。

展示作品

展示されている作品。

美術館で配布されている作品の配置図

1 恩寵
2 世界に秘密を送り返す
3 地上はどんなところだったか(母型)
4 帽子
5 風船
6 精霊(私のそばにいてください)
7 恩寵
8 母型
9 世界に秘密を送り返す

コレクション展 内藤礼

このリストを見てお気づきかもしれないけど、内藤礼さんは、何度も同じタイトルで作品を作る人で、どれがどれのことやらタイトルだけではわからない。
内藤礼さんにとって、タイトルとはなんだろう。
テーマのようなもの?

今回はそこを中心に、今日の展覧会のことを書いていこうと思う。

出会い

最初に内藤礼さんを知ったのは、瀬戸内国際芸術祭の中心的な展示でもある、『豊島美術館』と『家プロジェクト きんざ「このことを」』だった。
どちらも衝撃的な体験となった。

豊島美術館

豊島美術館は内藤礼さんのひとつのインスタレーションを恒久展示している施設だ。貝殻を伏せたような大きな白いドームに空にむかって大きな円形の穴が二か所、開いている。そこからの自然光が、この美術館の照明だ。床から無数の水滴が生まれだし、転がり、偶然のちからで統合されながら流れていく。人々は靴を脱ぎ、床に座り、寝転び、水滴が何かの精霊のように踊り、走っていくのを見つめている。
冬は、どうなるのだろう。夜は、どうなのだろう。雨の日は、嵐の日は、どんな顔をみせるのだろう。
想像もつかなかった。この初夏の日差しのなかでだけ現れ出でる繊細な自然現象のように感じられた。
窓には白くひかる糸がたらされ、風に揺れている。ドームの中は青ざめたグレーに翳り、水滴がひときわ輝く。外では棚田を抜ける風の音がする。すぐそこが海だ。

家プロジェクト きんざ「このことを」

家プロジェクトはさまざまなアーティストが古民家を改造してアート作品にしている。
きんざもまた、豊島美術館と同じく、恒久展示となっている。
時間の制約が設けられたアートで、ひとりしか中に入れない。予約制だ。
中に何があるのかは説明されない。
窓も、ない。
中に入ると暗闇の底が浮き上がるように光って、床上何センチ分かにスリットがぐるりと入って、光を採っていることがわかる。
床は土間だ。
何本かの柱は残され、部屋を仕切っていた内壁は全て取り払われ、奥の床には家屋の短い辺の端から端までいきわたるような輪が設置されている。輪は数十センチと幅広く平らで、腰かけられそうに見える。
しかし規則で奥まで立ち入ることは許されていない。手前の空間が、立ち入って良い場所だ。
許可された場所から奥の輪がある場所までを、天井近くに設置されたドラム缶大の短いパイプが繋いでいる。魂だけが奥に入っていけるのだ、とも感じるし、輪の中のくろぐろとした陰からまがまがしいものが湧き出て襲ってくるのだとも感じる。
見学者はここで15分を過ごすことができる。

豊島美術館ときんざ「このことを」は、ひなたとかげのように対になって私のこころに残っている。幾度となく思い起こし、そのたびに新たな印象を残す。

これが、私と内藤礼さんの作品との出合いだ。

葉山美術館と夕陽

葉山へは、美術館に行く前日に逗子・葉山駅からバスで着いた。すぐそばに宿を取って、その日は美術館前の一色海岸を散策することにした。
美術館は休館日だった。

「海が見たい」と言っていた娘と海に沈む夕陽を眺め、スマホでたくさんの写真を撮った。

海が見たかった娘


葉山から見る富士山は東京より大きい


夕陽

撮影禁止と言語化

翌日は、曇りだった。
内藤礼さんの作品は人工光を使わず自然光だけで表現する。白く天井の高い部屋に窓と入口からの光が採られているだけで、天候にはもろに影響を受ける。

内藤礼さんの展覧会は撮影禁止だ。

ここから作品について語っていくわけだけど、写真なしであれこれ言ったものって、意味があるんだろうか。
『出会い』で既に書いたような、個人的な体験として作品に触れるというのは、それはそれで意味があると思う。幾千、幾万とある個々人の体験のひとつとして。
作品の性質としても、個人の体験として捉えるのが適切だというのが私の考えだ。
豊島美術館もきんざもひとつの建物が宇宙として包み込むように存在しているため、むしろその体験は視覚的な資料では説明しきれない。

一方で神奈川県立近代美術館で展示されている作品は、一つの部屋が全て内藤礼さんの作品だし、どの角度からどんな姿勢で見ても統一感あるんだけど、それらは一つの曲ではなく、互いに反響し続ける変奏曲のようなものだ。

これを視覚資料なしで説明できるだろうか。

遍在する恩寵

私が権利を持っている画像はないので、こちらを見てもらうとして、話しを進めよう。

上記の展覧会情報を見てもらうと、今回展示されている作品の一部をうかがい知ることができる。
うかがい知ることが、という真意とは?
例えば、『恩寵』というタイトルの作品。
同じ名前の作品が多いので、整理すると、写真で掲載した配置図だと①に相当するもので、展覧会情報のタイトル画像になっている作品のことである。
このタイトル画像は、葉山の近代美術館に展示されているものの写真ではなくて、今はなき鎌倉館で2009年に展示されたものの写真なのだ。

「透明のビーズが通したテグスがたるみをつけて」、今はなき鎌倉館の軒先から池の水面に近づきながら低木の木立に結わいつけて展示している、ということがこの写真から読み取れる。

実際にいま葉山の近代美術館に行って観ることのできる展示と、写真の共通点は、上記の鍵カッコ部分、つまり、「透明のビーズが通したテグスがたるみをつけて」展示されているということだけなのだ。

でもね、さて果たして、観る者として、鎌倉館の写真を見たときに「透明のビーズが通してあるテグスがたるみをつけて」という部分の占める割合って、どのほどのものだろう?

葉山館でこの作品は、白い部屋に、窓からも若干距離がある場所に展示されている。風もなく。
ビーズの粒の一つ一つが、昇天を待つ人々の列であるかのように連綿と続いている。

私が鎌倉館の写真から受ける印象を言葉にすると、木漏れ日や水鏡、軒に反射した池のさざなみ、といった生の喜びに満ちた世界に遍在する神の祝福、……といったところだ。

要するに、借景が過ぎるのである。

悪く言っているのではない。
私は鎌倉館の写真は素晴らしいと思うし、葉山館のシンとしたデリケートな展示も琴線に触れた。

ただ、この両方があり得るということを知ってしまうと、この作品って、いろんな場所に繰り返すように置いておくような展示の可能性もあるんじゃないかなという気がするのだ。
実際こういう垂らしたテグスって豊島美術館の開口部にもある。

こういった繰り返しが、この作品はどこにでも存在しうるものだと私に教えるし、この作品を見て以来ふとしたとき、私はある空間の中に恩寵を感じるのである。

展示の中には恩寵という名の作品が他にもあって、それは配置図で言うと7番。説明に書いてある通り、8×7.8cmのプリント布が壁に貼り付けてあるだけなのだ。額装もなく直接。その布のプリントというのも滲んで失敗したリバティプリントの試供品みたいなもの、百円ショップや手芸店の端切れコーナーにあるような布がただ貼ってある。
これってある見方をすると3Dに立ち上がってきたりするのだろうか。

恩寵という名前が同じでも、作品の姿としてはかなり異なっている。

内藤礼さんの作品にとって、タイトルというのは非常に大事なもので、作品の一部なのだと私は思う。

この布のように、ここまで行くと、…つまり作品そのものが持っている美がここまでそぎおとされていると、ということだが、作品から受け止める印象よりも、吸い取られた自分のパワーが増幅されて発射されてくるのを受け止める、時空が歪むようなエネルギーが生まれる。
つまり私は、何かを探している。
期待したものがそこになかったときにも、人はそこに何者かを宿らせる性質があるのだろうか?『そこ』とはすなわち何の場所なんだろう。
ここを見なさい、これが作品ですよ、という場所だけがあって、美術品らしきものがそこに無い場合において。

それでも不思議と、今思い出の中で、その増幅は続いているのだ。

内藤礼さんは昨日ここにいた

何も買うつもりはなかったけれど、ミュージアムショップに立ち寄った。
見かけたら欲しくなったので、内藤礼さんの作品集を買った。1万円弱。
内藤礼さんって詩のようなものを作品に添えていることがあって、それも読みたいし、高いけれど美しい作品集だったので、宝物のひとつとして持っておこう。

レジに持って行ったら、ショップの店員さんがバタバタして、
「ちょっとこのままお待ちください、値段がわからないので美術館のほうに聞きに行ってきます」
という。

戻ってきて会計してくれた店員さんが言うには、
「昨日、内藤礼さんいらしてたんですよ。それで、この作品集にサインしていかれたんです。だから、その時にパッケージを取ったのでレジで読み取るバーコードがなくて。」
「そうなんですか。」
昨日は美術館が休館だったので、その機会に作家が見に来たのだろう。
私がその前の海岸にいたときに。

夕焼けの中で

もしも。
前日のように夕陽が差していたら。
観に行けたのが前日だったなら。

あれから何度も考える。

展示室の窓は西の海に向かっていたから、長い橙の光があの白い部屋を染めるのは明らかだった。
私の想像の中で、どの作品もあの日見た白寄りのモノトーンではなく、橙色を帯びている。
その中を、しずかに女性が歩いている。
私ではない。
私が感じているのは作家の気配だ。彼女は目次のページにとてもとても小さなサインをして、そっとそこを去る。

部屋は繰り返される。

③『地上はどんなところだったか(母型)』も、この展示室のリフレインとして私の中に存在している。この作品は木でできた小さな平屋の住宅模型のようなものだ。⑦『恩寵』で使用されているのと同じプリント布が一部にあしらわれている。
過去の展覧会でも同じ名前、『地上はどんなところだったか』という作品が展示されていて、それは人が入れる実寸大で実装され、見学者は中に入ることができた。
私はそれをミュージアムショップで買った作品集で見た。

延長する夕陽の中で、最後に橙が差し込む部屋は、小さな私の心臓だ。
心臓は前日に受けた夕陽に、まだ染まっているのだ。


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