見出し画像

桜咲く

今日は長いですが。書き残しておきたい
私の
Journeyお付き合いください

2022年3月23日
桜がちらほら咲き始める頃、
母が旅立ちました。

遡ること、2019年7月1日
父が亡くなった数時間後の来客中に母は自宅で倒れ
急性期の病院へ運び込まれました。

結果、脳卒中との診断で半身不随、意思疎通不可、失語。
となり、、これまで病院と介護施設へ転々とし
かれこれ家を空けてから約3年半くらい経つのでしょうか・・?

途中、コロナ対策もあり、なかなか面会できなかったり
母に触れる事も思うように
出来ないままにこれまで過ごしていました。

母が倒れた当初に戻ると・・こんなことってあるの?って言うような、
事態で周りからも情けを受けような事もあり・・私にとって、これ以上の悲惨な
事態は起こらないだろう?・・・底辺?のようであっかと・・。

父の葬儀の仕切りと母の容態が不安定でだったので病院とのやり取りを
何からどうすべきか?私は1日1日色々な選択に追われ迫られ
何も優先順位なんてつけられなかったし、
親戚や知り合い、誰にどう連絡すべきなのか?も分からず。

もう、なるようにしかならない!!と思ってやり過ごしていた日々。
急性期の病院で母の延命処置を選択せず、
父と一緒に逝かせてあげた方が幸せなのかも?とさえ思った。

決めきれない私の状況を見て母の主治医からは、
父の葬儀までの間は母の命をしっかり預かるのでお父様をまずは
見送ってあげてください。という、一言があり、

そっか!今、そうすべきなのか…???と
気付かされ、これまでの私の判断は
流れに任せていた、2019年7月だった。

今でもそれが果たして正しかったのか?なんてわからない。

だって、その時、一言かけてくれた医師が経済的なことまで考えてくれて
言ってくれてるとは決して思わないし植物状態に近くなると宣言された
母をどうやって面倒見ていけば良いのか?
明日、明後日、近い将来が全く想像も検討もつかないので。
無責任って突き返してしまえばそれまでだった。

そんな事も全てひっくるめてなんとかやり過ごしてきたけれど
1つだけ、、、時が経ったからこそわかったことがある。

そこに存在している。のと、存在がなくなる。
居るのと居ないのでは、安心感が全く違うということ。

当たり前のような事も底辺にいるときは気が付かず。

例え会話ができなくても、会えなくても
存在してくれるだけでありがたかったのだ。

言葉のやり取りがなくても繋がっている。
そういう事を3年かけて母は私に教えてくれていたんだ。
・・そうと思うと。
私の寂しさが少しでも和らぐようにこれまで存在していてくれて、
気づかせてくれて・・・。

荼毘に付いても心が温かくなるし、
本当によく母は頑張ってくれました。。
ありがとう。という感謝しかない。

そして母の生き様は最期まで本当に素晴らしかった。
倒れてから言葉を失い、末期乳がんの診断を受け、
対処療法でしかないと言われながらどんど悪化し、
患部は腫れ出血したりと、目に見えて悪くなりつつ、
流行りのコロナも施設で感染し
コロナは自力で快復できた過程があっての急変。

倒れてからこれまで肉体を駆使し、
何度となく、生命の危機に陥り、
呼吸を止めるタイミングはいくらでもあった筈。

だけど最期に母は自分で。
もうそろそろ逝こうかな。家に帰るよ。
母が決めた日。それが2022年3月23日
最後の最期に意志を示してくれて。

本当に頑張ったね。お帰りなさい。
って約3年ぶり自宅で迎えられた。

実際亡くなったことは
やっぱりすごく悲しいし、寂しくて仕方ないけど、

だけど、父の時とどこか違う感覚もあり、、、
うまく言えないのだけど、
母は3年かけて準備してくれていた。

今回のお別れは今、存在する私たち家族が
どう思って、どう感じて行動するか・・?
を大事にしたのだけど、家族葬のあり方も
故人を思う気持ちがそれぞれ違うから難しく、
家族葬って言いながら、やっぱり目上の先輩からは体裁や
とか立場が。とか言われて、すごく難しく
ここでも勉強させられながら、手放しの感情
自分が未熟だから。って流すことにした。

私、もう簡単に使えない言葉。「感謝しかない」
ありがとう。私のお母さん。

輪廻転生。またいつかどこかでお会いしましょう。
そんなことを桜の季節
私の脳裏に深く刻んでくれているかのように
思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?