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棄てられない

月夜の浜辺

月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際(なみうちぎわ)に、落ちていた。
それを拾って、役立てようと
僕は思ったわけでもないが
なぜだかそれを捨てるに忍びず
僕はそれを、袂(たもと)に入れた。
月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちていた。
それを拾って、役立てようと
僕は思ったわけでもないが
   月に向ってそれは抛(ほう)れず
   浪に向ってそれは抛れず
僕はそれを、袂に入れた。
月夜の晩に、拾ったボタンは
指先に沁(し)み、心に沁みた。
月夜の晩に、拾ったボタンは
どうしてそれが、捨てられようか?

 中原中也は悲しみを描く詩人だと思う。そういう感覚に襲われたとき心の底から現れる。何かのきっかけでぼんやりしていた画像が鮮明になるのだ。

だれもが映像や文章でどこかでみかけたであろう夜の海岸のイメージがあるそれが浮かぶのはとぎすまされた適格なことばだからだろう。

それがわたくしの体験と結びつく。私はあります。暗い海を見ながら花火をしました。一緒に行った人の孤独をしみじみ感じました。

そして、その人のその孤独のわけをどうしようもできないと思いました。




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