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MMM2009-2018:SOS(MMM2015)

2015年。2015年2月に博士論文を無事刊行し、宝塚大学の仕事も慣れてきていて、いろいろなものからぼくは解放されていた。

2014年に感じた「鑑賞者」でいることに対する「もやもや」の解消はMMMではなく、他の場所で発揮していた。この年は、新宿区中井で新しいアートイベント「プライベート・パブリッシング」(〜2016)を作ったり、自分の作品『developments』を発表したり、博士論文を活かして外部で発表したり、そういう年だった。

MMMの活動は2015・2016代表の浅野くんがスタートした那珂湊第一小学校のワークショップに人が足りなかったので宝塚大学の学生と一緒に加勢に行ったことと「いばらきデザインセレクション」の書類を作ったことぐらい。前年同様コミットは多くなかった。

ただ2014年と違うのは、那珂湊やMMM関係者から相談、というかSOSを受けることが増えたこと。

今回の写真は、印象に残っているSOSを受けた時の一枚。兵庫県の大手前大学で行われた、9月上旬の地域活性学会の写真。小規模地域アートイベントに関する発表をしている。MMMの取組を通して得た知見を発表していた。その日は、地域アートイベントの研究をしたいと言っていた宝塚大学の大学院生の小野寺真央と一緒に発表をしていた。

実はその直後、那珂湊から電話がかかっていた。ちょうどMMMは終わったばかりの時。詳細は述べないが、簡単に言えば「このままだとマズい」というものであった。そんなことになっているのか…。

この年、ぼくがずっと関わった「みなとカフェ」も終了してしまった。終了の際には、店舗があった場所には、アーティストの田中彰さんからのご提案があり、ここを活動の拠点にしてくれた。このことについても、何度か相談を受け、一度は那珂湊に向かった。

MMMを発展させた立役者MMM2012・2013代表の(高草)まさおは一年の留年を経て卒業した。MMM2014代表の笠間も、ずっと副代表で関わってくれたこむぎ(山田晴香)も卒業した。ぼくが知っていたMMMの体質が、この年で大きな区切りを迎えていた。と、同時に動ける者が動かないといけない状態に来ているように思えた。

この年の最後に、ぼくとプロデューサーの中村さん、チーフキュレーターの橋口さんと一緒に何度か話し合いをして、根本的な体質改善を決めた。大きな決定が、新しいアートディレクターの就任であった。そこには先述の大学院生の小野寺が就くことになった。それを含めて、根本的な体質改善をみんなで進めることになった。

…実は執筆している今はMMM2018クロージングの朝。実は、昨日もこの体制について激しく話し合った。この構造もそろそろ変化が必要かもしれない。


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