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総じて嫌い

最近気が付いたことは、私は実はいろんなことが大嫌いだった、ということです。

何年も休みなく働いて、忙しいことが充実していると錯覚していたけど、本当は働くことが嫌だったし、

人に関わる仕事ばかりを選んできたけど、そもそも人間が大嫌いだったということにも気が付きました(笑)

お金に関しても、安定よりも、自ら仕事を増やすことで収入が増える喜びを感じていましたが、お金のことを考えるのも嫌だった。
お金なんかなくなればいいのにとか、むしろお金を憎んでさえいました。

総じて、人生の多くのことを嫌っていたのです。

私のことに関して言えば、もはや好きも嫌いもないというか、無視に近い感じで、とにかく気持ちを抑えて、他者のために生きるみたいなほぼ世捨て人とか、菩薩のような気分でいました。

当然、お金にしろ、仕事にしろ、満たされて幸せそうな人がいればうらやましい。
だけどそんな気持ちは微塵も出さず、菩薩のような張り付いた笑顔で、自分のところに来てくれないものを恨んで嫌っていたんですよね。

正直に、好きだから来てくださいって言えばいいのにね(笑)

どうせ私のところには来てくれないよ、とか
こんな私じゃだめだよ、とか
私なんか、と

なんだかんだ理由をつけて、こじれまくっていたと思います。

育った環境とか、経験でなかなか素直になれないことはあることかもしれません。

ただ、いくら満たされた環境であっても、そうは思えない人はたくさんいるでしょう。

ですから、こういう話題になった時、たいてい自己肯定感に高さが挙げられると思いますが、私はそれが理由とは思っていません。

これは、私の経験上からですが、素直な気持ちを言うのが恥ずかしいのです。

意地っ張りとか、プライドが高いとかでもなくて、おそらく引っ込み思案なんです。

言いたくないとか、心を開かないとかではなくて、ただの引っ込み思案なんです。
私はとても人見知りですし、何人かでいたら必ず聞き役に回り、いつも黙ってしまっています。

ですが、話をしたくないとかでもないし、自分の事を言いたくないというわけでもないのです。

ただ、引っ込み思案なんです。
どうして引っ込み思案をこんなに繰り返したかというと、そういう人って多いんじゃないかなと思ったんです。

明るくて前向き、人気者だったり、満たされている人を見ると、それをうらやましく感じて、そうなりたい、周囲からもそうなるように言われる。
けれどなれない。

その理由を考えた時に、私はこう思っていました。

私は自己肯定感が低いからだって。
だからダメなんだとか、
明るく笑ってとか、
そのたびに心を奮い立たせていました。

その結果、自分ではない何かになろうとしたり、自己肯定感を上げようとしたり、いろんなことをしていたことがありました。

ですが、それらは何の意味もなさなかったし、むしろ何をやっても良い方向に向かわなくて、どんどん疲れていきました。

なぜなら、仕事もお金も人間関係も、いつも私の特性とは真逆なことをしていたんですから。

例えば、犬に水中生活をしろって無理だと思うんですよね。
多少は泳げますから、時々は水には入ることはできても、魚のように一生そこで暮らしなさいって言われてもできません。

そんな時に皆さんはこう思いますか。
『あの犬は本当にダメな奴だ』と。

きっと思わないでしょう。
それどころか、犬に水中生活を強いる方が間違っていると思うのではないでしょうか。

犬自身も、
『私の自己肯定感が低いから、水中で生活が出来ないんだ。私はなんてダメな犬なんだ』
とは思わないでしょう。

それと同じで、特性に合ったところで生活をしていないだけなのに、
『私はダメな人間だ。』
と頑張って自己肯定感をあげようとしても無理だと思うのです。

だから、自己肯定感をあげようとする前に、私は一体何が好きで嫌なのか、その特性と今いる場所は果たして合っているのかを、見てあげることは必要だと思います。

犬とか魚みたいに明らかに見た目が違ったり、種類ごとにいる場所がわけられていればいいですが、同じ姿形であれば、中身も特性も同じであると思うかもしれません。

ですが、10人いれば10通りの特性や生き方があって、同じ人は一人もいないのです。

いろんなことが嫌いになったのは、嫌なことを私自身にずっとさせられていたからであって、お金や仕事、人が悪いとかではなかったと思います。

今は、その特性に合った生活を静かに送りたいなと思っています。

皆さんはいかがでしょうか。

今日もお読みいただきありがとうございます!



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