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心のもやもや

言葉で表せないとか、言葉にならないけれど、何となく感じた心のもやつきは、そのままにしないで、小さなことだからと無視を決め込むのはやめた方がいいでしょう。

だからと言って、それに対して何とか解決しようとしたり、もやつきを今すぐさっぱりすっきりしようとするのではなく、一旦それを正視する時間を設けても良いと思います。

ほんの小さなことだからと、気にせずそのままのしておくと、心の中に澱の様にたまっていき、最後には溢れ出てしまうことがあります。

例えば、毎回一滴一滴、コップに水滴が落ちていくとします。
一滴はほんの少量であっても、それがたまっていくとコップから水があふれ出るようになるでしょう。

ですので、その一滴を少量だからと考えずに、澱をため込んでよどませないことが大切です。

ですが、澱を感じたとしても慌てないで、今のもやもやは一体どこから来ているものなのか、その正体を知ることが先です。
相手の正体がわからず、何の分析もできていないのに、いきなり戦いを挑むのは無謀だからです。

一旦深呼吸をし、その一滴をよく見てみましょう。

そして、一体何に対してもやついているのか、どうなったらそのもやつきはなくなるのか、そうなるにはどうすればいいのか、と自問自答していくことが必要です。

その時に、もう大人だから妥協するとか、我慢する、といった大人の事情を持ち出すのはやめます。

誰にも見せることはないので、正直に素直な気持ちで考えてみることが必要です。

ほとんどの人が、たくさんの自己啓発本やネットの情報、権威者の言葉を信頼し、何かあればそこに相談をしに行きます。

道に迷った時に、頼れる道しるべになるものが欲しいからです。

ですが、本当の答えは心の中にあって、どんな本でも、とても偉い人であっても、人生の生きる道しるべを示せるのはその本人でしかありません。

例えば、失敗と思われることばかりしてしまい、周りから批判されたり、叱咤される経験が多ければ、その人は自らのやり方に不安を覚えるでしょう。

そして、道しるべとなってくれる存在であったり、宗教の教義に依存してしまう場合もあります。

どんな経験も間違いというものはないし、すべては予定通りに進んでいると思います。

確かに、人から批判されたり、叱咤されるのは確かにちょっと嫌ですが、それはあなたの存在価値とはなんら関係ないことも知っておきましょう。

ですから、心に素直に生き、信じて、もやもやするときも、その感覚を受け入れてあげるといいのではないでしょうか。

また、前述のように、批判されたり、叱咤される経験が多かったり、出来ないことで責められることが多い人生だと、なかなかそのようの思えるようになるまで時間がかかるかもしれません。

ですが、どのようであっても、責めないで、世界中があなたを批判しても、何があっても味方でいればいいのです。

始めはその繰り返しにはなりますが、焦らずに。

ただ、どんなことでももやついたらそれを放置したり、見て見ぬふりはしないで、気付いてあげることから始めてみるのはいかがでしょうか。

なんとなくもやもやしていることを言語化してみることで、頭の中が整理され、すること、しなくていいことも分類できるようになります。

そうすることで、いきなり爆発するような怒り方をしなくて済みますし、嫌なことがあっても、それを冷静に伝えることもできます。

もちろん、怒ってはいけないということではありません。
感情が出てくること、もやもやが一体何の感情なのか、怒りなのか、悲しみなのか、くやしさ、後悔、などいろいろありますから。

私がいまもやもやいしているのは、一体何の感情なのかを知ることも必要です。

爆発的に感情を出してしまうと、何かを壊す大きな破壊力も生まれますので、その結果人間関係や仕事、家族など、本来そのつもりがなくても壊れてしまったら、辛いこともあると思うのです。

その時は、爆発する瞬間は壊れも良いと思ったりしても、あとで冷静になれば、そこまで爆発する必要なかったようなこともたくさんありますから。

いかがでしたか。

ため込みやすいなと思う人がいれば、まずは吐き出してあげることから始めましょう。

そして、批判や叱咤ばかりされてきた経験があれば、今後は自分を信じることが出来るようになるよう、認めてあげる言葉をかけ続けてみましょう。

今日もお読みいただきありがとうございます!


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