見出し画像

TAKRAM RADIO|Vol.189 「聖と俗」の言葉〜詩と小説と翻訳を考える

6月22日の深夜に放送された「TAKRAM RADIO」のトークセッションパート、ゲストは文芸評論家・翻訳家の鴻巣友季子さんだった。テーマは「『聖と俗』の言葉〜詩と小説と翻訳を考える」。

鴻巣友季子さんの仕事

冒頭、翻訳の効果が語られる。翻訳することで、その作品の本質があぶり出される。たとえば、エミリー・ブロンテ「嵐が丘」のヒースクリフの性格。恋愛の場面において、日本の男性が口数少ななのに対して「イギリスの男性はずーっとしゃべっている」。イギリスと日本の恋愛観の差異があぶり出される、など。

鴻巣さんご自身のお仕事としては、小説の翻訳をメインにしていたところに、最近では詩の翻訳が増えてきた。バイデン米大統領の就任式で自作の詩を朗読したアマンダ・ゴーマンのデビュー詩集を訳したときのエピソードも語られた。蓋を開けると、とてもアバンギャルドでビジュアルアート的。俳句調の詩もあれば、イメージや言葉の飛躍もしょっちゅう起こり、難儀したという。

文学史総ざらい

文学は、韻文(つまり詩)から始まった。詩とはrhyming、つまりリズムの法則をもつ。ホメーロスの「イーリアス」「オデュッセイア」のような叙事詩に代表される。叙事詩とは歴史的な事件や、英雄を描くものだ。
シェイクスピアの時代になると、押韻しないBrank verseが登場。そして散文(つまり小説)の勃興へとつながっていく。元々散文は、事務的、記録的な内容を表現していた。
このようにして、定型詩の「束縛」から徐々に解き放たれていく。

散文の歴史としては、17世紀のセルバンテス「ドン・キホーテ」が大元と言われ、18世紀に花盛りを迎える。「ロビンソン・クルーソー」「ガリバー旅行記」など。スウィフトは小説を通して政治批判や社会風刺を行っていく。
19世紀にはディケンズ、ブロンテ、フローベール、ドストエフスキーらが活躍する。
ルネサンス以降、神が否定され「個人」が着目されるようになった。叙事から叙情へ。小説は私たちの生活言語に近いため、感情移入しやすい。individualityとmodernismとが結びついた。

ここで康太郎さんが、俳諧を例に話し始める。

元々貴族や武家のものだった俳句を、芭蕉は生活や農民など俗事にフォーカス(正岡子規や高浜虚子はその最たるもの)。
「聖」から「俗」へ、というテーマは、言い換えると教会・神から人間へ、ということになる。

17〜18世紀は、ひとりの語り手が登場人物の心の中を覗き込む形で小説が描かれた(いわゆる神の視点)。19〜20世紀にかけては内面視点が発達し、カメラが登場人物の胸の中に入ってしまうような描かれ方がされる。「意識の流れ」や「内的独白」の手法がとられる。たとえばヴァージニア・ウルフなど。

ジュンパ・ラヒリ

インドのベンガル語にルーツをもつ英語作家、ジュンパ・ラヒリ。彼女は最近では小説家としての仕事にとどまらず、翻訳家としてラテン語の英訳にも取り組んでいる。
translate「移動する」という言葉があるが、全てはtranslation。

ラヒリは、アメリカで作家デビューしたがある時突然イタリアに移住する。英語のレベルには到達していないイタリア語で小説を書くことは、いわば言語のステージを下げるということ。彼女はなぜそんなことをするのか?
鴻巣さんの見解では、つねに自分をtransしたいのがラヒリなのかもしれない。「不知」の者でありたいということをラヒリが言っている。

完全さから遠ざかり、第二言語どころか第三言語を用いる。翻訳する。
これは文学の問題というよりは、アイデンティティの問題なのではないか??

続きは次週! ということで、前半のトークはここまで。

康太郎さんの問題意識

不器用な自分と、その自分が見ているものは何か。「上手くない」状態、「悩んでる」状態と、「その時その人が何を見ているのか」「その時その人に何が起きているのか」を知りたい。私もそれを考えることにした。
自分にとって不慣れなジャンル、まだマスターしていないこと。直近のテーマである妊娠・出産・子育てをテーマに深掘りしていくつもりだ。

同時に、本や映画など、他人と共有しやすいものの中からも何か見つけたい。

日本人の言語に対する意識について(断片的に)

ジュンパ・ラヒリの話を聞いてふと考えたことだが、日本で生まれ育ち暮らしている、第二言語をもたない日本人が多いと思う。そういう日本人は言語に対する意識や感覚が鈍すぎるのではないか。

帝国主義による植民地支配の結果として、第二言語をもつ(強制的にもたされた)国の人々は多い。ラヒリのルーツ、インドであればもちろん英語である。自然と英語を話せる、話せてしまうという状況がそこにはある。

日本は戦前から戦中にかけて、朝鮮や台湾に対し皇民化政策を行った。言葉を奪い、名前を奪い、相手のアイデンティティを破壊する政策。考えただけでゾッとするものだが、今でも年配の方が日本語を話せるというエピソードを耳にしたり、旅行先で日本語を聞いて喜んだりといったことがあると思う。その無反省な無邪気さに私は嫌悪を感じる者だ。

朝鮮や台湾だけでなく、忘れてはいけないのは沖縄だ。戦中、沖縄の言葉を禁じたり、「方言札」を首にかけさせたりした事実を私たちは忘れてはいけない。言葉を奪うということ。

スキやシェア、フォローが何よりうれしいです