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#24 予祝2023年の年頭に

この連休、ぎゅぎゅっと3日続けて過去と未来を考えるワークに参加した。

最近「いまここ」を生きる感覚が馴染んできて、あまり過去を振り返ったり、将来どうしようとか、どうしたいとか考える機会が減っていたなぁと気付きつつ、改めて過去も未来も、そして今ここの現在もすべて「同時にある」という感覚が体験出来たような気がする。(なんのこっちゃかもですが)

新年というのは多くの人が、「新年の抱負」や「今年の目標」を設定する時期であり、それだけに集合的なエネルギーも未来志向でポジティブな状態になっている気がする。

そして、それを一人ではなく、他の人とも一緒にやることで、「抱負」や「目標」、「それを達成した自分の状態」へとベクトルが一気にギュイーンと向くのではないかと思う。

過去現在未来と続いている「私」という存在は一本のラインの上にあるようでいて、実は現在の自分は四方八方に伸びるラインのハブの位置にいる。

過去のひとつひとつの体験、それの解釈やそこでの選択次第で、様々な可能性があり、そのうちの一つを「今の自分」として体験しているけれど、過去の体験に対する解釈や感情体験が変わると、変わらないと思っていた過去も変えることができる。

そしてもちろん未来に関しては、無数に無限に選択肢がある。現在の自分からは予想もつかないような場所にいるかもしれないし、予想もつかないことを間違いなくやっている。
なぜなら、今の私は10年前の自分が予想もつかなかったことをやっているから。

1.セルフイメージのアップデート

今回のワークの前段として、セルフイメージの見直しをした。

セルフイメージとは、無意識的に「自分はこういう人間」としてもっているもので、今までの体験や、周りの人に言われたこと、様々なビリーフから作り上げているもの。自分では意識してそう振る舞っているわけではないけれど、周りの人は無意識的にそれを受け取り、その人をそのセルフイメージ通りに扱うことになる。

なので、人間関係がうまくいかない、周りから評価されない、愛されない、などの悩みがある方は、まずこのセルフ・イメージの設定がどうなっているのかを見直すことをおすすめする。(ちなみに過去の私は「私は理解されない人間です」「私は見えない存在です」「私は中途半端で責任感のない人間です」「私は受け取る価値のない人間です」みたいのをザクザク持っていた。これを「私はいるだけで場を明るく暖かくする存在です」や「愛と光が内側からミチミチと滲み出し、それを広げていく存在です」のように書き換えた。セルフイメージの書き換えについてはまた別途詳しく書こうかな。。。)

年明けハイクで
人生も分岐点がいくつもあるけど、どのパスをとっても
結局行きたいとこに行くんだな、と改めて思う

2.描いた夢を阻む信じ込みの洗い出し

と、ちょっと脱線したけれど、このセルフイメージは夢の実現にもとっても大事で、その夢が叶っている状態の自分とセルフイメージがかけ離れていると、いくら努力をしたり、引き寄せやアファーメーションのワークをしても実現しない。

でも、その夢が描けるということは、どんな壮大な夢だったとしても、それを叶えられる自分というのが現在の自分の中のどこかにあるということでもある。そこで、必要になってくるのが、その自分の中にある夢を実現する自分を尖らせていくというか、その部分を掘り出し、磨き上げ、ちゃんとディスプレイしてあげること。それを叶えている自分は、何を感じ、どう考え、誰といて、どんなことをしているのか。

その自分は、ひとつひとつの出来事に対して、どのようにアクションをとっているのかを明確にイメージし、そのように行動していく。

それが夢を叶えるということで、だからこそセルフイメージの設定が大事になってくる。

夢が大きければ大きいほど、今の自分では実現不可能のように思ってしまい、それを叶えられる自分を埋もれさせる。だから夢を描けるということは、それを実現する自分が必ずいると信じることをしてみてほしい。

同時に、夢が実現した状況をありありと想像したとき、(その状態の自分がどこで何をしているのか、人間関係や仕事はどうなっているのか、経済状況はどうかなど具体的に)体の状態、感情感覚に違和感がないか意識をむけてほしい。

喉や胸がきゅっとする、背中がこわばる感じがする、お腹のなかに冷たい感覚がある、などがあれば、それが実現すると困る、または実現を恐れている自分がいる。

これがあると、やはり夢は実現しない。なぜならば実現すると困ってしまうからだ。なので、自分はここでいったい何を恐れているのかを見ていき、その恐れを書き換えていく必要がある。

私の場合、パートナーがいて、子供がいて、家族、家庭をもっているというイメージなのだけれど、パートナーがいて、子供を抱いているイメージや、朝家族でごはんを食べている様子、夜、家族それぞれの一日にあったことを聞きながら、キッチンで料理したり片付けたりしているイメージはありありと浮かぶのに、こと「結婚」となるとイメージが沸かないというか、喉がしまる感じや体が緊張する感じがあった。

「結婚」に対する抵抗があるんだなというのに気づいたのだ。そしてそれを見ていくと、「結婚」に対して「自由を失う」とか「自己犠牲」とか「力を奪われる」というイメージを無意識にもっていたことにも気づく。これは文化的なもの(結婚をすると女は夫の家に入るとか、夫に従うとか、夫唱婦随的な古い結婚感)、集合無意識的なものもあるし、妻が夫より仕事が出来たり、夫より稼いではいけない(夫婦円満でなくなる)とか、常に夫のプライドを立てなくてはいけない(そのために少し自分を下げる)とか、結婚後も自由に好きなことをやっていると「悪妻」と言われるとか。。。

まぁまぁ色々信じ込みが出てくるわけで(笑)

そこであらためて書き出したこれらを眺め、本当にそうなの?と問い直したところ、自由な形の結婚でいいし、パートナーとお互いが満足できるように、どちらがどちらに従うとか、優先するとか、犠牲になるとかなく、固有の形の夫婦になっていけばいいんだ、という答えがぽんっと浮かんできた。

3.過去を振り返り未来を描く

セルフイメージのアップデートをしたら、今度は新しいセルフイメージの自分で今年の、そしてさらにその先のビジョンを描いていく。


何年も前のビジョンボードの写真
大好きな人と星空を眺めながら夢を語り合いたいという夢
これもいつの間にか叶ってたなぁ

実際に体を動かしながら(モビリティを取り入れることで脳がイメージを描きやすくなる)過去を振り返ったとき、今までの自分への愛しさと感謝が溢れてきた。大変な時も辛さの中にあった時も、孤独だと思った時も本当によく諦めないでここまで来たねと、抱きしめたくなる想いとともに、自分のことをとても誇りに感じる。そして次に、過去の様々な出来事を改めて書き出して、それを改めて眺めたときに、周りの人々、特に両親に対して感謝と愛がふつふつと湧いてきたのに、今回とても驚いた。決して一人だったことはなかった、こんなにも愛されていたし、この人達は本当に私が幸せになることを願ってくれていたんだと、改めて腹落ちしたのだ。

人は例え親であっても、自分が望むように愛してはくれない。これは違う人間であり、それぞれに望む愛され方が違うから、それぞれが自分がされたいような愛、または自分が受けてきたような愛しかわからないので仕方がないことである。

でも幼い子どもは自分が望む形でない場合、愛と認識できなかったりするし、親によっては愛の表現が出来なかったり歪んでいる場合もあるので、「愛されていない」と感じてしまう。そして「愛されない」のは自分が悪いから、自分が間違っているからだという信じ込みを作ってしまうのだ。

「愛する」「愛される」という感覚はとても主観的で、「愛」と一口にいっても様々な形がある。でも私達の多くはそれが違うことに気づかず、無意識に相手も自分と同じような愛し方をするだろうと期待し、自分なりの愛し方をすれば相手に伝わるだろうと期待している。だからこそ、「愛の誤解」や「行き違い」、関係性における不満や不安が生まれるのだと思う。

どんなに近い相手でも、むしろ近い相手だからこそ、自分の愛のカタチや望みを明確に伝え合うことが大切で、自分が居心地が悪ければそれも正直に伝えることが大事だと思う。してほしいことはして欲しいと言い、して欲しくないことも理由を説明してしてほしくないとはっきり伝える。(そのためにはまず自分がして欲しいことと、して欲しくないことが明確にわかっていることが前提=自分を知ることが愛への第一歩)

これが出来るようになってくると、過去を振り返ってみて、ああ、あれは愛だったんだと気づくことが出来たりする。

人生を振り返り、ただただ愛と感謝が湧いてきたのを感じて、ああ、ようやくここまで癒やしが進んだんだなぁと改めて実感するとともに、これまでもこんなにも沢山の出会いがあり、サポートをされ、愛されてきたんだと感じることが出来た。なんと多くの人が私の幸せを願ってくれていることか。。と思うと、本当にありがたくて温かい気持ちになるし、それをまた繋いで行きたいとも思う。私を応援してくれる人がいるように、私も大好きな人達を応援していきたい。そして面白い世界を作っていきたい。

そんな望みとともに、これからも、ちゃんと必要な時に必要なサポートが入るだろうし、必要な能力も身についてどんどん成長していけるんだろうなという希望と自信も持てた。

4.最期に

昨日の最後のワークでは今の延長線で見える未来(世界中を旅するとか、その各地で料理会、食事会をするとか、私とパートナーと子供たちと自然の中をハイキングしてるとか)を書ききったあと、さらにぶっ飛んだものが出てきて面白かった。それは財団を設立するというもの。

私はとにかく面白い人、変人と言われる人との出会いが好きで、その規格外のアイディアを聞くのが好きなのだけど、そういうアイディアを実現する(役に立つ立たないは度外視)するための基金、子供でもお年寄りでも、面白いネタを持った人たちに投資をする財団を創るというのが出てきた。

死ぬまでに出来ているといいなぁと思いつつ、死ぬまで好奇心先導で、自由に生き生きと面白く生きること。満足しながら、関わった人たちの顔を眺めながら、じゃーねー\(^o^)/と肉体を離れる。そんな最期を迎えたいと思う。

01/09/2023 ジャーナル


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