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近すぎる人間関係に潰される人たち

大学進学をきっかけに、18歳で実家を出て東京に来た。何か夢があったわけでも、使命に燃えていたわけでもないけれど、なんとなく生まれた地を離れてみたかった。

地元が好きだったか、と聞かれると返答に困る。気楽な友達もいるし、大好きな家族もいる。だけどすごく居心地がよかったわけではない。どちらかというと、すれ違ったら挨拶はするけれど、実際お隣さんがどんな仕事をしていて、というか何人家族なのかすらよく知らない、いまの生活の方が、なんだか息がしやすい気がしている。

大学時代から、地元を離れた場所から見つめてきた。昔はどうやって表現したらいいかわからなかった気持ちを心に抱えていたが、経験とともに気持ちに名前をつける術を身につけてきた。

そう、地元は、息苦しかった。
常にみられていて、評価されていて、目をつけられたらおしまいという感覚があった。そしてそこで暮らす人たちは、生まれた頃からそんな環境にいるからか、目立たずうまくやることを、意識せずともできるようだった。あえて疑問を抱かない、まるで一つの信条に従う人々のように、むしろ圧倒的な権力が幅を利かせる世界で自由を制限された人のように、規律を持って動いていた。

離れた場所から見ることも、もう10年になり、だんだん"中の人"の感覚は薄れてきている。だからこそ、この見えない規律の中でうまく立ち回れず、苦しくなってしまう人の気持ちもよく理解できる。

私の弟がそうだ。 東京に旅立って行った兄弟と比べられ、自分の夢より先に周りの目が気になり、認められず、苦しんだ。親すらも、言葉でこそ言わないが、なんとなく比べて、そしてもとより諦めているように見えた。

その親だって、もとはといえば近所の目があり、職場の目があった。私の親は教師で、だから自分の子育てでつまづいているなんて、おくびにも出せなかったのだろう。子を思う愛の前に、世間体が横たわるとは、なんと悲しいことか。

困っている人への支援は、国外の絶対的貧困にアプローチするところから、ここ10年ほどは国内にも目を向けられ、子供の貧困がクローズアップされている。私もこの子供の貧困解消に向けて貢献することが、自分の生まれてきた意味だろうと思っていた。

しかし経済的に貧しいことだけが苦しみの原因なのか。貧しさのように定量的には表しにくいが、狭い社会の中で、いつ飛んでくるかわからない銃弾に怯えるように生き、ガスのように重たく周囲をとりまく同調圧力や世間体というベールに潰されそうになっている人も多くいるだろう。

そんな人たちが人目を気にせず、自分の選択ができる社会に近づけるためには何をすべきか。他人に関心をもたない社会にすること、だとしたら少し寂しすぎるか。


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