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塩工場のおじさんを見て、「綺麗な」仕事を恥じた

必死でやっている時は、何か大きなものを動かしている実感があった。

何日間か離れてみたとき、それがすごく小さな世界での話だったことに気がついてしまった。

私はある企業で、スタッフ職についている。新規事業開発に関わることが多く、試行錯誤しながら案件を前進させてきた。自覚はなかったけれど、それなりに評価もしてもらえるようになっていた。悪口を言い合えるような、気の合う同僚にも恵まれている。

ただ、年次の若い社会人にはよくあることなのだろうが、私もご多分に漏れず、自分がやる意味や人生の目的みたいなことを考えてしまうことがふとある。

それでも普段は、定期的にくる打ち合わせや、ひっきりなしに届くチャットのおかげで、すっかり集中した思考が奪われ、刺激に反応する人に成り下がることで、なんとか日々への疑問をかき消し、やり過ごしている。

だからこそ、少し休みがあって他のことに意識を向ける余裕が出た時、心の底に眠っている気持ちがまた、むくむくと起き上がってくる。

旅行先で休憩がてら入った塩工場で、おじさんが工場案内をおすすめしてくれた。その気はなかったけれど、15分くらいならと聞いてみることにした。結論すごく興味深いお話を伺うことができ、目もくれていなかった塩製品をたくさん買ってしまった。

このおじさんは、全然期待していない旅行客に、一生懸命説明をして、結果楽しませてくれた。この会社の経営者は、買ってもせいぜい数千円の旅行客に対して、15分かけて説明することで、長期的視点でのブランディングができると踏んでいる

自分の普段の仕事を振り返ってみた。誰にも文句のつけようがない数字や、権威のある人の言葉をかき集め、判断を仰ぐこと。意思決定層の顔を思い浮かべながら、資料を作成すること。途中でひっくり返されないような、根回しのスキルばかり上がっていく実感。

お客さんを売上を生み出す機械としてでなく、ブランドのファンとしてみることがよしとされる環境が、なんて幸せなのだろうと思ってしまった

もしかしたら中を覗けば売上至上主義で、厳しいKPIを背負わされているのかもしれない。けれど少なくともあのおじさんが説明しているあの瞬間、「楽しませよう」の気持ちが、心の底から滲み出ていたのを、私は感じていた。

だからといってすぐに離島に移住するわけでも、安定した給料を投げ打ってやりがいを見つけにいくわけでもない。ただ、いま「綺麗な」仕事をしている自分を認識し、そして人生の中のどこかのタイミングで、この思いを昇華させられるよう、少しずつ経験を増やしていく。

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