見出し画像

人生に余白を、そして子どもの頃の遊びを全力で本気で遊ぶ時間を

大人になるについて、先が見えて、効率良く考えることが出来るようになり、無駄なことや疲れると感じることは避けるようになる。

子どもは目の前の遊びにいつも全力で、手を抜くことや先の事なんて考えない。トランプもドッチボールもレゴもおままごとも鬼ごっこも全力。たったひとつのクッキーもこだわって型抜きしてアイシングしてラッピング。大人になるとやらなくなる。効率的が優先。
子どもに誘われると、無意識に考えてしまう。「お皿洗わないと、昼ご飯作らないと、お客さん来るから準備しないと」、そんなことに時間使ってる暇はないの、と忙しいことや疲れていることを理由に子どもの誘いを断る。もしくは「一回だけね、ちょっとだけね」と返答し、その先の時間管理や体力管理やタスク管理があり、今の目の前のことに全力投球出来ない。頭で他の事を考え続けている。手抜きもするし、遊んであげているという感覚のときもある。

いつからそんな生き方をするようになったんだろう。
この目の前の生産性もない、やる理由もないような遊びに、付き合ってられないよ、時間の無駄だよ、遊んであげてもいいよ、と考えるようになったのはいつからだろう。

子どもと向き合って全力で遊ぶことは、共に時間を過ごし、信頼関係を築いたり、安心安全の場の提供だったり、子どもを知ることに繋がったり、そして私の心を豊かにしてくれる、と子どもと全力で遊ぶようになって気づいた。子どもにとっては、一緒に遊んでくれることで、私の事を見てくれている!愛されている!と愛情表現になることもある、と本で読んだ。
今となっては身近な人に、トランプしよう!と誘って、全力で大人同士で対戦することもあるほど、子どもの遊びの楽しさが私の中にある。

非効率、非生産、無意味、ただ疲れるだけ、そんな風に思い込んでいる遊びの時間。それを全力で楽しむことに意味があるのではないか、と感じる今日この頃。閃きが出たり、創造性が上がったり、心身共にリラックスできたり、全身で大声で笑ったり、喜怒哀楽の感情を感じたり、人間らしくなれる。先のタスクや時間のことではなく、どうやったら勝てるか、、、と考え、今に集中することができ、ある意味マインドフルネス。
子どもに遊んであげる、ではなく、一緒に遊ぶという捉え方にも変わった。
ポイントは年齢にもよるが、手抜きしないこと、全力で本気で遊ぶこと。子どもとも対等に関わること。

人生に余白を、そして子どもの頃の遊びを全力で本気で遊ぶ時間をとる。
これこそが、人生をもっと豊かにしてくれる秘訣なんじゃないかと思う。

この記事が参加している募集

夏の思い出

アウトドアをたのしむ

よろしければサポートお願いします!いただいたサポートはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます。