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叱ることがない我が家

職場の同僚との話題はどうしても「育児」についてになる。
「最近、子どもたちに勉強しろしか言ってないわー」という言葉をよく聞く。
「勉強しろ」「宿題しろ」「ちゃんとしろ」「習い事行け」などなど。
そんな話を聞いて、うちはそもそも学校行ってないしなーと。
長女は不登校開始から約4年、ほぼ教室で授業を受けていない。し、宿題をやっていない。(私が把握することを諦めたのはナイショだよ)
次女はまだ学校行っている割合多めな不登校なので、宿題は一応毎日提出している。本当にイヤイヤながらやっているが・・・。
そんな、勉強とは距離を置きがちな我が家。「勉強しなさい」はここ数年言った覚えがない。


なぜ言わなくなったのか明確な理由が自分でもわからないが、きっかけは長女の不登校初期ごろだと思う。
体がだるそうでソファーから動けない。家族の外出にも一緒に来ない。決まった店にしか外食に行けない。部屋に閉じこもる。お風呂に入れない。
それは衝撃でこのまま娘が消えてしまいそうで、キツかった。
使い古された言葉かもしれないが「生きていてくれるだけでいい」と純粋に思えたのは初めてだったかもしれない。
そこにいてくれるだけでいい。それ以上を望まないからって思ったのを覚えている。


「勉強?死んだら意味ないじゃん」と娘を見て思ったあの時から、子どもたちを叱ることもなくなった。だけど、無理して言わないようにしているとも思わない。
自然なことというか、叱らずに対話すればいいじゃんと思う。
そして本当にやりたいことなら勝手にやるし、勝手にやることの中にその子の才能や方向性みたいなものがある気がする。
その方向性に自分自身が気づいた時に必要な勉強を勝手に始めるんじゃないかな、と思う。これも使い古された子育て論かもしれないけど。
そんなこと言ってたらゲームしかしなくなるわっていう意見も飛んできそう。


不登校をきっかけに我が家は対話が増えた。学校のこと、勉強のこと、将来のこと、子どもながらにしっかり考えていることがわかった。
対話なしに「勉強しなさい」は全然子ども中に入っていかないよね。
なんでもいい、子どもの考えていること頭の中のことをたくさん聞いて会話をして、何に興味を持っている?何に悩んでいる?子どもであっても立派に真剣に毎日を生きている。でたらめに生きたいだなんて思っていないから、親の不安を「勉強しろ」なんて簡単な言葉に乗せてしまわないようにしたいなーと私は思う。
こちらが真剣に向き合えば、子どもたちは理解し納得するはずだから。

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