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私たちの退屈な日常@イスタンブール

昨日Geverからイスタンブールに帰ってくると、Belgizが大きなハグで迎えてくれた。トルコ国内の移動なのに、「帰ってきた」という感覚。イスタンブールで過ごす残り一週間は、日常に戻るためのバッファだ。

遊びに来ていた彼女の友達と3人、バルコニーでビールを飲みながら、2週間の旅について話す。

Belgizは村の人たちをよく知っているので、あの人が結婚する、あの人には赤ちゃんが産まれる、あの人は昔あの人と昔付き合っていたけど、今はあの人と付き合っている、など、ゴシップも含めて話がはずむ。

一人きりだったらきっと感傷的になって、つらい夜になっていただろうけど、Belgizがいてくれて、たくさん話せて楽しい夜になった。

夜中まで話して、おやすみを言って、旅の疲れもあってすぐに眠りに落ちたのだけれど、夜中に何度も何度も目覚める。

あぁもうここはBefircanじゃないんだな。朝目覚めてもNene(お母さん)の歌うような「おはよう」が聞けないんだな。さっきまでのことがもう遠いことのように思えて、恋しくて、涙が出てくる。

陽がのぼり、窓を開けて、リビングでぼんやりしていると、Belgizが起きてきた。

「えりか、すごく悲しそう。Befircanが恋しいの?」

そう尋ねられると、なんとか持ち堪えていた感情が爆発して、一気に涙が溢れてくる。

「別れるとき、Neneが泣いていた。お父さんの手を握ったときにこっちを見つめていた。そういうことが頭から離れなくて」

静かにうなずくBelgiz。

「クルド人はとても感情的なんだよ。中でも、村の人はもっと感情的だと思う。誰かが来て、去るたびに彼女たちは泣いている。変化のない日常に引き戻されることがつらくて泣いてるんじゃないかな、と私は思ってる」

Belgizはいつもとても冷静だ。

私たちは日常生活において、毎日たいてい同じことを繰り返している。そこに外部から誰かがやってくると、非日常の刺激になる。面倒くささもあるが、緩慢とした日常に束の間の彩りが生まれる。

たしかに、Belgizの言うことも一面としてあるのだと思う。そして、村の多くの人にとっては、私は「村に束の間の変化をもたらした日本人」くらいの存在だったと思う。

でも、Neneの涙はそうではないと信じている。毎日歌うように「Erika delala min hevala min xwişka min(私のかわいい人、私の友達、私の妹)」と言って手を握ったり抱きしめたりしてくれることが嬉しくて、Neneの行く先々について行った。どんな作業をする時もNeneは歌っていた。その深く響く歌声が大好きで、ずっと聞いていたかった。

家族みんなで介護をしているので、お父さんのそばで過ごす時間も多かった。時々お父さんと二人だけになった時にお父さんの手を握って歌を歌ったりしていた。お父さんはじっとこっちを見つめていて、そのたびに、何か言ってくれないかな、と密かに願っていた。

Neneやお父さんとの時間は、少なくとも私にとってはとても特別な時間だったし、Neneの涙も、きっと純粋な寂しさの涙だったのだと信じている。

そんな話をしていると、Belgizの友達が何やら忙しなく調理を始めた。何かと思えばボレキ(ミルフィーユ状のパイ)!



そういえばAysunも、私が大好きだと言ったポアチャ(スコーンぽいパン)を私のために朝から作ってくれたり、Amedでお世話になったFerayも夜にケーキを焼いてくれたり、面倒な料理を苦もなく助走もなく、さくっと作ってくれた。

ポアチャ
えりかのために作ったから全部食べて!という
そしてたぶん10個は食べた



ほうれん草とチーズのボレキ、とても美味しい。クミンやCatir(オレガノ)で香り付けし、表面を炙ったゆで卵も、クレソンとトマトのサラダも抜群のセンス。

朝食のあと、Belgizは旅支度を始める。彼女とSerbestは今日からギリシャの島へバカンスに出かける。帰国したとき、私は既に日本だ。

出発する彼女と、今日でお別れ。ウィーン出身で医師である彼女は、クルド人的Mêvandarî(もてなし精神)と、欧州のインテリ的マインド、多様な面を持っていて、私は随分と刺激を受けた。

Belgizを見送ると、途端に通りの喧騒が孤独を際立たせるように感じる。週末のカドゥキョイは特に騒がしい。

しばらくすると、Semroからビデオ電話。出てみると、村の人たちが踊る姿が写し出された。今日はAyşeの結婚式だ。

Serdar、Bêro、Doxo、Şerivan、Esra、Mehdî、Memo Mamo。みんなが楽しそうに踊っている。電話の先に私がいることに気づいて手を振って話しかけてくれる。「えりか〜!えりかがここにいればよかったのに〜!結婚式、本当に退屈だよ〜!」と言って笑うSerdarとSemro。

彼ら彼女らはこの夏も、何時間も踊り続ける退屈を毎週繰り返し共有しながら過ごす。私は私の退屈な日常に返る準備を始める。

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