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新しく学んだ歌たくさん、新しい出会いたくさんの日@イスタンブール

今日はBelgîzがリモートワークの日なので珍しく一緒に朝ごはん。トルコの美容事情を興味深く聞く。

ボトックスは当たり前、眉毛タトゥーも当たり前。鼻の整形のブームは第2派の真っ只中。第1波のときは、「呼吸がしづらい病気で、、」などと言って整形を隠していたが、第2波の現在は事実を隠さず堂々としている。「鼻の整形をするほど裕福だ」というアピールらしい。

Serbestの元カノはピアニストで、顔に13回の「改造」を施し、原型を留めていない、とBelgîzが笑う。

ちなみにボトックスは男性も普通に行うらしい。

トルコの美容事情について、現場からは以上です。

さて今日のレッスンは”Ho Dilo”。民謡ではなくLaWjeが2ヶ月前にリリースした新しい曲だ。とても美しい曲で、アレンジも素晴らしい。クリップでは終始Gever平野の息をのむような風景のモンタージュが流れる。



Mihemêd Taha Akreyîという人が作った曲で、Behdinan地域(現在のイラククルディスタン北部Dihok、Zaxo、Amêdî、Akreなど)の方言があらわれる。

終わってしまった愛の哀しみ、心の痛みを語るように表現する。

「素敵なものを全て捨ててしまった。楽しいことを全て放ってしまった。草原や川のほとりでの踊りや宴も。私たちにはもう何も残っていない。夏の暑さや冬の寒さ、雨や雷からも守ってきた大切なものを、私たちは簡単に手放してしまった。知らなかった。知らなかった。知らなかった。愛が私たちから引き剥がされた。足の爪で引っ掻くように。ああ、こんなにも心が痛むなんて。」

Aliの柔らかい声、抑えた表現、ピアノと弦楽器のミニマムなアレンジによって、一層心に迫る作品だ。

例によって、一筋縄ではいかない細かいビブラートがたくさんつけられていて、音程も上めを狙う部分がとても多い。これらの技術がクルドの歌独特の情緒をもたらしているので、どの歌を歌うにしても欠かせない技術だ。後頭部から真っ直ぐドンピシャの音程を狙って声を出す訓練しかしていない私にとって、同じ「歌う」という行為でも技術的には何もかもが異なるので、新しい楽器に取り組んでいるようなものだと思う。

おそらく何百回もLaWjeの音源、Aliの声を聞いているはずだが、ゆっくりと分解して歌ってもらうと気づいていなかった細かいことがたくさん隠れていた。一つ一つ丁寧に、真似をしながら習得していく(習得しようと頑張る)。当然ながらできないことも多いので、場合によっては、施す技術を半分ぐらいに減らしたバージョンも提示してくれるところがありがたい。最終的には95%を目指すのだが、それによって「曲を仕上げる」という一つの達成感を得られるのが嬉しい。

最後に通して一人で歌ってみる。繰り返し繰り返し聴いてきた美しく哀しい歌、教わった通りに歌うともっともっと歌に近づいている感覚があった。

私が歌い終えると、Aliは、立ち上がり、深々とお辞儀をして、「ありがとう」と言ってくれた。そして「えりかは生徒だけど、生徒じゃなくて、アーティストだ」と言ってくれた。技術的には当然不足だらけで、多分半分くらいの完成度だと思う。でも、表現という点において、そんな風に見てもらえたことが本当に嬉しかった。

次回はまた民謡に戻る。
Berdêlîという風習にまつわる嘆きの歌。Berdêlîとは、ある男女が結婚したいという状況において、例えば女性側の父親が、娘を嫁がせる条件として、相手側の娘を自分の息子と結婚させ、自分のところへ嫁によこさせる、という風習だ。交換条件として好きでもない相手と結婚させられる女性は、たとえ心を決めた相手がいたとしても諦めなければならない。現在もかなり数は少ないものの、行われている事例はあるそうだ。部族社会、強い父権主義の社会で、女性の地位が極めて低いことが反映されている。

さて、レッスンが終わると、「夜のグループレッスンで新しい曲を3曲くらいやるから、よかったらおいで」と誘ってもらったので、もちろん100%の勢いで「参加します!」

レッスンまで時間があるので、Gever出身の人が経営しているパブへ一杯飲みに行く。その店のことは複数の人から聞いて知っていたが、まだ行ったことがなかった。店へ行くと、開店前だったが、「やぁぁぁぁ先生!よく来てくれました!どうぞどうぞ!」と大歓迎されるAli。私に対しても、「えりか、よく来たね!元気?さあさあこっちに来て座って!」と、初対面なのに、当然のように名前で呼びかけてくれて、驚くほどの温かさで出迎えてくれる。彼らの玄関には扉がついていないのだと思う。選挙を終えて、これからますます生活は厳しくなるし、クルド人にとってはその人生は一層難しいものになるよね、という深刻な話が中心になってしまうが、合間合間に私にも気を遣って楽しい話題をふってくれる。



そして店を出る時、「先生、お代なんて結構ですよ」「いやいや、払わせてよ」「いやいや、そんな。次回いただきますから、今日は本当にご馳走させてくださいよ」こんな光景もよく目にする。飲み物や食べ物をどんどん出してくれて、売り上げとか経営とか、そんなことよりも、もてなすことの方がよほど優位にある価値なのだ。

夜のグループレッスンでは、前回お邪魔した時のメンバーが揃っていて、「えりか、来てくれたの!嬉しい!」と言ってくれる人もいて嬉しくなる。”Teymez”、”Heyran Dê Rabe”、”Qutkanê”の3曲。いずれもColemêrg(現在のハッカリ県)の民謡で、Colemêrgらしさに満ち満ちた、威勢の良い、とても楽しい歌だ。

飛び入り参加で全く予習をしていない状態で、さらにグループレッスンはトルコ語で進行されるので、歌詞の意味がよくわからないままだったが、頑張ってついていく。明後日のレッスンまでに不明点をピックアップしておこう。

今日はレッスン2発で4曲もの歌を学ぶことができた。知っている歌が増えるとシンプルに嬉しい。

レッスンを終えて帰宅途中、メトロから降りたところで、背後から「えりかだよね?」と声をかけられる。振り返ると、見覚えのある顔。Twitterで興味深い投稿をしていたのでフォローしていた女性だった。「あー!Gulan Mizgîn?!私、あなたのこと知ってるよ!SNSフォローしてるよ!」容姿も発言も印象深い人だったので、名前もすぐ出てきた。「えりかによく似てるなぁと思っていたら、本当にえりかだった!会えて嬉しい!」彼女はジャーナリズムや芸能など幅広い業界で活動していて、Amedで暮らしているが、出張で数日間だけイスタンブールに来ているのだという。帰り道で少し話して、「また会いましょう!」と言って別れた。

たくさんの歌を学んで、たくさんの新しい人に出会った一日だった。

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