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ゾク・坊さんと、わたし。

少し間が空いてしまいましたが、つづきをば。
前回は↓こちら。

今思えば、そのようにしてわたしの中に
坊さんあるいは仏教へのお楽しみイメージが
淡く敷かれたのだと思う。

大学を卒業し、CMプランナーやコピーライター
をしたのち、モヤっとしていたとき。
池尻大橋にある世田谷ものづくり学校の講座に
通って、何か新しい道のヒントを得たいと思って
いた。
ちょうどその頃、お経にメロディをつけて歌う
「声明」を知って心惹かれ、高野山から通販で
CDを購入。
高野山への興味がムクムクと湧いて、溢れんばかり。
そこで、高野山の宿坊を予約。
その話を、大阪から講座へ通ってきていた女性に
すると、高野山には何度も行ったことがあるとのこと。
難波で待ち合わせて、案内してくれることになった。
そうしてわたしは、初めての仏教聖地
高野山に足を踏み入れることとなった。

2月。待ち合わせの難波はすでに雪。
南海電車に乗ると、どんどん景色は開けていった。
数時間して「極楽橋」に到着。
ケーブルカーに乗り換え、ものの5分で高野山上へ。
バスに乗り換え山の中を進んで行くと、
想像以上に整備された小さな町にでた。
とはいえ、どこもかしこもお寺だらけ。
真綿のような雪が降り積もった風景はまばゆく
秘められた里といった印象だった。
そして、町の真ん中でバスを降り、
女性に山内をいろいろと案内してもらいながら巡った。
高野山の山内は狭い。
夕方頃にはなんとなくだいたい周り終えて、
女性は大阪へ帰宅。
わたしは予約していた宿坊へチェックイン。
その宿坊ではとても面白いことがたくさんあり、
数年後思いがけず京都に住むことになった後も
ご縁が続いたのだが、その話はまたいつか。
ともかくこれが、わたしの高野山デビューだった。
思えばこれを境に、お坊さんや仏教との繋がりが
急速に深まっていったのだと思う。

それからしばらくして、
世界のデザイン雑貨や家具を扱う店の日本一号店に
勤めた。しかし歌舞伎の解説の仕事を始めることに
なったため、更新とともに辞職。
そのとき、同じ時期に辞める同僚から、
高野山で開催されるアートフェスに出展しないかとの
誘いが。高野山と聞いたら、黙っていられない。
二つ返事で誘いに載って応募し、無事に当選。
店を辞めて数ヶ月後、
同僚たちと東京から6時間かけて高野山へ向かい、
アートフェスに参加した。

このアートフェスでの出会いもなんだかものすごく、
今の人生にまで大きな影響を及ぼしているのだが、
この話もいつか機会があれば。

高野山から戻ってきた後、
わたしは解説者の仕事を本格的に始めることに
なったため、某ニュースサイトでアルバイトを始めた。
歌舞伎の解説の仕事は、なかなか通常の会社員では
やりにくい。
調べ物や解説づくりは家でできるが、まずもって
締切までに時間がない。
台本の到着が早ければいいのだが、
お稽古開始の1週間前にようやく到着ということもある。
そして、お稽古期間と初日、二日目くらいまでは
劇場に入って解説のチェックと録り直しがあり、
連日拘束される。
解説者のほかに仕事をするなら、スケジュールに
都合をつけやすいものを選ぶ必要があった。

そうしてニュースサイトで働いていたある日、
そのバイトで一緒に働いていたライターの女性から
夜な夜なメールが入った。
「なんか面白いお坊さんの雑誌が、
 テレビで特集されてたよ」
わたしはすぐさま雑誌名を聞いてネット検索。
編集長のお坊さんに、メールを出したのだった。

と、今日はここまで。
こうやって思い出しながら書くと、なんとも
面白いご縁がつながっていったなとしみじみ。
それではシーユーネクストタイム。

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