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HSP小学生とピアノ教室【エッセイ】

 ピアノ教室に通い出したのは、小学生低学年のころだった。

 私が行きたいと両親に駄々をこねたのか、実妹の娘(私にとって同年代の従姉妹)も始めたからという理由で母が一方的に通わせたかったのか、きっかけは遠い記憶の彼方だが、

気づいたらリビングに、YAMAHAの黒いピアノがあって、お尻に優しい長椅子にちょこんと座った、初心者の入口楽譜「バイエル」と睨めっこする私がいた。


 ピアノの練習が学校の宿題をやるより面倒で大嫌いだったことは鮮明に覚えている。
 ということは、母に腕を引きずられるように通い出したのかもしれない。



 私のピアノ嫌いはピカイチだった。
 角を出した母親にこっぴどく「練習しなさい!」と言われても、私は体をクネクネさせて徹底的にぐずった。

 マンション住まいで、真上に同級生が住んでおり、彼女はとても成績も良く、おまけにピアノも一生懸命だった。
 バイエルは幼稚園に卒業していそうな大人っぽいメロディーが常に聞こえた。


「ほら、まなみちゃんはあんなに練習してるのに!」
ぐずぐずしない!と母の教育方針は怒声が大半だった。

 しかし私のぐずぐずは増す一方で、壊れたフラワーロックのようだった。
 今思うとキモイの一言だ。




 なぜだろう?
 鍵盤に手を乗せると、ぐず子が降臨する。
 耳元でぐず子が呪いを囁き、私の脳内を占領する。



 ピアノ教室もつまらなかった。
 私には場違いだと思い込んでいた。

 極めつけは、中年女性の先生がすばらしく意地悪だった。



 今なら分かる。ピアノ教室に馴染めなかったのは、自分がHSP気質であることと関係していたのだろう。


 なぜなら、私が通っていたピアノ教室は、同じ時間に3人~5人が来ていた。
 一人ずつ練習の成果を披露していくのだが、その間、他の生徒は後ろで横並びになって監視官のように静かに立っているのだ。


 失敗しようとも、下手くそでも、まだそこやってるの?と思われようとも、譜面に先生がつけた赤印がどんどん溜まっていこうとも、ずーっと冷淡と見られているのだ。


 私はそれが苦痛でたまらなかった。
 どれも毎日経験するからだ。



 どうしてピアノ教室というのは、あんなにも怖くて緊張して恥ずかしいのだろう。

 公開処刑ではないか!

 そんな風な気持ちでいつも挑んでいた。
 
 後ろの監視生徒が気になり、指が自制心を失い思うように動かなかった。

 くず子の囁きはここから誕生したのかもしれない。
 母に怒られてもなおぐず子を続けていたのは、このストレスを母に発散し、気づいてほしさ含めた、小学生少女のSOSだったのかもしれない。

 だから私の弾く音色は、元気がなくて、小鳥が鍵盤の上を飛び跳ねているのと似ていた。



 みんなが平気そうに鍵盤を奏でる様を、私はただただ不思議でならなかった。
(恥ずかしくないのかな?)



 なかなか上達しない私に、先生は、日頃の鬱憤晴し人形のように意地悪をするようになった。

 背が低かった私と高身長の下級生と背比べさせ、
「みなさん、どっちがお姉さんだと思う?」
と、私を侮辱した。


 そんな数々の嫌がらせが続いたがしかし、ぽーっとしてスカートの裾をいじくる私に、先生はしびれを切らせたようで「もう来なくて良い!」と目を釣り上げ、とうとう激昂した。



 目をぱちくりさせた私は、ぽーっとしたまま帰宅した。

 あぁやっと自由だ…。


 怒られたはずなのに、私は恍惚に浸っていた。

 先生の唇が震えていたのを覚えている。
 ピアノをバカにするなとでも今にも口が裂けそうだった。


 先生からの嫌がらせは母には言っていなかった。
 特に言う必要がないと思っていたし、先生がヘンな大人だと思っていたからだ。



 ただ「もう来るな」と言われてしまえば話は別だ。

 言葉そのまま母に伝えた。
 
 母は納得いかない様子だったが、私のピアノ嫌いも酷いものだったので、私を引き連れて最後の月謝を手に、教室へ向かった。

 外は真っ暗。


 ピアノ教室生徒専用玄関のインターホンを鳴らし、重量のある洋風のオシャレな扉が開くと同時、私の顔をその瞳に捕らえるなり、先生は突如として吠えた。

「なんで来たの!もう来なくて良いと言ったでしょ!!」

 隠れていた訳ではないが、母が扉の影から姿をスッと出すと、先生はあたふたと口をつむぎ、バツ悪そうにこうべを垂れた。


「お世話になりました。今月分です」
 いたって母は冷静だった。

「あ、はあ。わざわざすみませんねぇ」
 ホホホ。と、わざとらしく笑い、5000円が入った月謝袋を躊躇なく受け取る先生。
 何となく惨めだと思った。

 私は黙って先生の裏表の顔をまじまじと見ては、こんな大人にはなりたくないなと幼い心にそっと刻んだのを覚えている。



 帰り道、母が言った。
「あんな先生だったなんて。もっと早く言ってくれたら良かったのに」

「うん」
 私はそれだけしか言わなかったが、足取りは蝶になったように軽かった。

 明日から自由だ!


最後までお読みいただきありがとうございました!
また来てね★


~おまけ~

今は、ピアノを続けていれば良かったと思っている。
ショパンの幻想即興曲を優雅に弾けたらどれだけ格好良いだろうか。
例えば、ピアノがある公共の場やホテルなんかで弾いたら、たちまちその周辺だけの有名人だ。
妄想する。飲み会などで「ピアノ上手なんでしょ?何か弾いてよ」と上司に言われたとして、難しい曲を披露できたら、どれだけ気持ち良いのだろうと。。。
既にその妄想が格好悪いのだが。


続編です↓
メンバーさん限定ですが途中まで無料公開しています。是非読んで下さいね🎵🎶♬


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