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原点、と目的(パーパス)




原点とはなにか

大学生時代の環境活動でやっていたギャザリングという合宿のテーマで、ある年「原点へ」というのがあった。毎年夏、1週間ほどの合宿が行われていた長野県北部の小さな村、聖地のようになっていた場所を、春に火事で失った夏に行われたギャザリングのテーマだ。そもそも聖地時代には行ったことがない中で、失われたその直後のギャザリングに参加。その場に込められた想いの大きさを、知らないながらに感じた。「原点へ」。たかが20歳前後の大学生の「原点」ってなんなんだろう?大人になった自分がふと思うと、何だろなと思う。けど、ハタチの頃の私には衝撃の場所だった。みんな自分のルーツや、行動に至る思いの原動力となるものを探していた。

「原点」:(距離などを測る時の)基準にする点。数学では、座標を定めるための基準点。比喩的に、物事の根源を成すところ。(Oxford dictionary)

私にとっての「原点」とは、まさに、行動に至る思いの前後にある経験のことを指す気がする。今行かなきゃ、というそういう感じ。

人生の目的Purpose(パーパス)と、原点の関係

パーパスということばが流行ってる。
目的、存在意義を示すパーパス。自分は何者で、何のために、何を為すのか?人生を進めていく間の出会いによって、時代の変化によって、微修正しながら進めてよいもの。

それなら原点は?人生の目的が変わると、原点も変わるのだろうか?いやぁ、原点は原点じゃないのかな。人生の目的がどう変わっても、原点は変わらないのでは…?あまり真面目に考えていなかったこんなことがふと気になった。

今の自分の人生の目的は、自分の子ども達を自立したご機嫌な大人に育てて社会に送り出すこと。自分の子ども達の周りの子どもたちのことも、できる限り幸福感をもって社会にでていくために支援すること、という感じ。書き出してみると、確かに自分の子どもの存在がなかった20年前とは違う。っじゃぁ原点は…?あらゆる行動の根源をなす原点って?

フットワークが軽い自分の原点は、好奇心。知りたい、やってみたい、行きたい、見てみたい。きょうだいに邪魔されようが、親や先生になにかいわれようが、制約を制約とも感じずにやること。飽きっぽくてすぐやめちゃうこともあっても。わ!おもしろそう!と瞬時に思える気持ち。わ!悲しい、とドラマのシーンを見て3秒で泣ける共感性。据えての原点で源泉なのは、自分から湧き上がる知的好奇心。それを、時代や文化や、自分のまわりとの関係性を考えて、どうふるまうか。それをその時にあわせてそれっぽく目的化するってことかもしれない。かっこよく、パーパスといってるけれど…

私は原点を大事にする方向で行く

いつでも新鮮な目で社会を見る。事象を見る。共感する。一喜一憂する。知りたいことを知る、見たいものを見る、行きたいところに行く、会いたい人に逢う。好奇心、それこそが原点。自分らしさの源泉。カッコつけない。そのままで。

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