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世界ごと、いつき先輩に恋してる––斧原ヨーコ『チーキーモンキー』

斧原ヨーコの『チーキーモンキー』という漫画のことを書きます。
なぜかというと、余りにもこの漫画が好きだからです。
よろしくお願いします。

『チーキーモンキー』は、パツキンでわがままで人懐こくて関西弁のいつき先輩と、彼の二個下の後輩・千賀崎(チガ)、二人のノンケ彼女持ちがなんでか恋愛しそうになるBL漫画です。
BLですが、最後の方で二回ちゅーするくらいなので大丈夫です。妄想でやらしーことをするシーンがちょこっとありますが、それも妄想なので大丈夫です。ていうか、上下二巻ものなのに一巻ではキスすらしなくて、それどころかずっとメイン二人のそれぞれの彼女とのエピソードの方が多くてびっくりした。
しかしそれがまたいいのです、『チーキーモンキー』は。

高校時代、実はそんなに仲良くなかった二人は、OBの飲み会で久々に再会したのをきっかけに、二人で遊びに行ったりするようになる。
二人とも彼女がいるのだけど、なぜかいつき先輩はやたらとチガの彼女のことを根掘り葉掘り訊いてくる。彼女と付き合って3年のいつき先輩に対して、チガのほうは付き合って日が浅く、向こうから告白されたのもあって、彼女をおろそかにしがち。
それを聞いたいつき先輩に「お前って「付き合ってやってる感」あるもんな~」と言われてしまう。

「付き合った以上対等な関係やで」
「自分のこと好きになってくれた相手やからな。ちゃんと愛情をもって返さんと」

見た目チャラついてるわりに、意外とまともなことを言ういつき先輩。
女の子が好きそうなレストランを教えてくれたり、チガが彼女別れようかなとこぼすたびに「もう少し様子見ろ」と言ってきたり、アレコレ取り持とうとする。チガのほうは、確かにそうだよな、と思って彼女を大事にしようとしてはみるものの、やっぱりあんまりそういう気にはなれなくて、彼女からの連絡や、会いたいというメッセージも、めんどくさいと思ってしまう。どっちかっていうと、いつき先輩と遊んでるほうが楽しいと思っちゃう。

そんな感じで、チガが彼女とは適当な感じで関係を続けつつ(でもやるこたやってる)いつき先輩とちょこちょこ遊んでいるうちに、実はいつき先輩も彼女とあんまりうまくいってないことがわかってくる。

倦怠期っぽくて彼女からの連絡がおざなりだったり、そのくせほかの男と食事に行ってたり、たまに連絡が来たと思ったらホテルに呼び出されてヤッたらまたバイバイだったり
そんな愚痴を、拗ねたようにぽつぽつとこぼす。

でも、愚痴を言うってことは、好きってことじゃないですか。
いつき先輩は彼女のことがまだ好きで、ほかの男と遊びに行ってほしくないから文句が出る。自分でもしょーもないとわかりながら、それでも呼び出されてホイホイ行ってしまうのは、やっぱりその子に会いたいから。
なんやねんこの女、って思っても別れないのは、別れたくないからじゃないですか。

ある夜、終電をなくして千賀崎の家に泊まることになったいつきは、そこに彼女の来た形跡が全然ないのに気づく。

「俺はお前の彼女に自分を重ねてるとこあるから」
「そういう扱い ちょっと つらい」

いつき先輩は別に、先輩ヅラしようとかそういうつもりであれこれ千賀崎にアドバイスしてたんじゃない。自分と千賀崎の彼女を重ねてたから、千賀崎に彼女を大事にしてほしかった。千賀崎に彼女と別れてほしくなかった。

「付き合った以上対等な関係やで」
「自分のこと好きになってくれた相手やからな。ちゃんと愛情をもって返さんと」

そう思うと、このセリフだって、全然違って聞こえてきませんか。
説教なんかじゃない。上から目線だったわけじゃない。
いつき先輩自身がそうして欲しかっただけ。

そういういつき先輩の、いじらしくみっともなく恋にもがく姿が見えてくる。浮かび上がってくる。だんだんと。
それをずっと見てたチガがこう思っちゃうのも無理はない。

(そんな女と付き合うより 俺とフツーに遊んだほうが楽しくない?)

BL漫画って、「性別なんか関係なくおまえに惚れたんだぜ……」という運命感演出のためか、受け攻めの両方か片方の男がノンケっていう設定はかなり多いです。だから、過去に彼女がいたという設定もよくある。
そんでもって、「男同士が恋に落ちる」という状況を不自然に感じさせないために、メインの二人だけにめちゃめちゃフォーカスして、それ以外のキャラクターの解像度を下げる。世界に二人しかいないように見せる。だから、元カノ設定があったとしても、「付き合ってたけど本気になれなかった」とかいう感じで処理されるし、その女に個性なんて全然なくて、すごくテンプレ的な人物に納まりがちです。そうしとけば、二人の世界の邪魔をしないから。

『チーキーモンキー』はむしろ逆で、いつき先輩と千賀崎、それぞれの彼女との関係性や彼女に対する感情にかなりページ数を割いている。
なんなら、いつき先輩の彼女とかかなりのクソ女で、最終的に浮気して妊娠した挙句別の男と結婚するんですよ。作中でも言われてるようにクソアマなんだけど、それゆえに、それでも彼女と別れたくないいつき先輩の感情がリアルになる。

かわいくて清楚で正直で一途な女の子を好きになるのは当たり前なんですよ。
でもいつきの彼女はそうじゃない。浮気性で自分勝手で、残酷にいつきを傷つける。
でもいつき先輩は、やっぱり彼女が好き。別れたくない。もう一回、自分のほうを向いてほしいと願ってる。
そういう、自分の感情ですらままならない恋愛ってもののリアルさが、『チーキーモンキー』にはある。
世界全体の解像度が上がることで、いつき先輩の存在がより鮮明になる。

いつき先輩って、別にフツーの人なんですよね。
パツキンで関西弁でキツネ目で、という特徴はあるけれど、飛び抜けて個性的なわけじゃない。フツーに友達がいて、彼女がいて、働いて社会人やってる。
すごいフツーに生きて、フツーに恋してて、いいところも悪いところも、感情の波もあって、それがあまりにもリアルで。
なんていうか、「いる」と思いました。いつき先輩という存在が。渋谷のスクランブル交差点歩いてたらうっかりすれ違っているんじゃないかって思うような、あまりにもフツーな、熱量と質量を伴う存在感を持っている。

そんないつき先輩のリアルが、いつきに恋しかけてる千賀崎の目にすごい立体感で飛び込んでくる。いつきが笑ったり、ムッとしたり、ふっと真面目になったりするその表情一つ一つに視線を奪われる。

今まで本気の恋をしたことがなかった千賀崎が、いつき先輩への気持ちを自覚して、初めて自分からアプローチしてく姿とか。
彼女に散々振り回されてしおらしかったいつき先輩が、千賀崎に追っかけられて調子づいて、だんだん本来の奔放さを取り戻していく様子とか。
読み進めるほどに、いつき先輩の魔性の魅力があふれ出す。
だって見てくださいよ、このお顔を。

はあ、いつき先輩良い。好き。いつき先輩に存在していてほしい。日本のどっかで、いつき先輩に本当にこんな感じで暮らしていてほしい。
そんでもって、いつきと千賀崎のチーキーな(使い方合ってるかわかんない)恋物語が、どうかこの世のどこかに実在しててくれ。

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ハッピーになります。