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どこに行っても椅子がない

ここ最近、自分のいるべき場所がどこにもないように感じることが多い
いや、一応場所はあるのだけど、いつも椅子におしり半分で座っているような、文字通り座りの悪い、誰に対するものかわからない申し訳なさみたいなものに絶えずさいなまれている。

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私は漫画の編集の仕事をしている。
そう言うと、十中八九「忙しそうだね」「大変そうだね」と言われる。
でも実際は、この仕事の重さは「どこまでやりこむか」でかなり変わってくるものだと思う。

例えば、一つの作品についてどこまで多く資料を集めて取材をするのか。
どこまで作家と密に連絡を取ってスケジュールを合わせるのか。
作家を何人抱えて、何本仕込み(連載準備中のこと)を持っておくのか。
その辺りは、ある程度担当者の裁量に任される。

だから、やり込もうと思えばどこまでものめりこめるし、どこまでも時間をかけられる。
もちろん、編集だけじゃなくて、プライベートと天秤にかけて仕事にどこまでエネルギーを注ぐかという問題は誰にでもあると思う。
でも、エンタメという正解のないものを扱っているだけあって、その深度には果てがないように感じる。

この業界にいるのは、望んでこの職業についた人ばかりだ。みんなマンガ好きだし、エンタメ好きだし、プライドもあるし、こだわりもすごく強い。
そういう人がのめり込んで仕事をすれば、作家には何時だろうと即レス、会社に寝泊まりして不規則な生活を送る、「いわゆる編集者」があっという間に出来上がる。

そういう人たちに囲まれながら、でも私には、そこまではできない、と思う。

もちろん、担当作品には愛着があるし、こだわりもある。
なるべく良いものにしたいし、納得できるまで話し合うし、なるべく作家さんに便宜を図って、できることはしてあげたい。
でも、突き抜けてしまっている人たちを目の当たりにすると、私はあそこまではいけない、と打ちのめされた気持ちになる。

理由ははっきりわかっている。
私が自分で文章を書きたいからだ。
こうやってちまちまエッセイとか小説とかレポートとか書き続けているのは、
自分自身が創作で生きる道を捨てられないからだ。

創作するには時間がいる。
手を動かしている時間だけじゃなく、考えて、練り上げる時間も必要で、だから時間なんていくらあったっていいし、その時間を全部つっこむくらいじゃなければたぶん本当にいいものはできない。

でも私には仕事がある。

日々の一定の時間を、絶対に仕事に費やさなければいけない。
そして、そこで相手にしているのは、私がこうありたいと願う、創作で生きている人たちなのだ。

自分の望む場所にいる人間を目の当たりにし続けながら毎日仕事をするのは苦しい。
どうして私はそちら側にいないのだろう、と思う。
そうすると、心のどこかから声がする。

(才能がないからだよ)(努力が足りなかったんだよ)(私は選ばれなかったんだよ)

わかってるよ。わかっていて、それでも捨てられないから苦しいんだよ。

この間、同僚が編集を辞めた。
その人も自分で同人誌を描いたりしていた人で、編集という立場に身を置くことに耐えられなくなって辞めていった。
その話を別の人から聞いた時に私はこう言った。

「身を裂かれるみたいな気持ちで仕事してたんでしょうね」

人ごとみたいに言ったけど、まるっきり自分のことだった。

実は、編集者にそういう人は少なくない。自分でも何かを創作していて、でも形にならなくて、それでも創作現場から離れられなかった亡霊のような「クリエイター気質」の編集者たちが。

そのことを知って、自分もその1人だと自覚して、ここすらもありきたりなのか、と思った。

少しでも望む方に近い場所を目指して頑張って、転職して、やっとここまで這い上がってきて、でも近づくほどに苦しくて、それすらも「よくある話」でしかないのか。

私だって、仕事は真摯にやっているつもりだ。
漫画家という仕事をリスペクトしているし、自分には創れないものが生み出されていく現場にいて、少しでも関わって、それが良いものになっていく手伝いができるのは楽しい。
作家さんに意見を出して、それが納得してもらえたら嬉しい。
それがバシッとハマって形になった原稿を見るのは嬉しい。
それがヒットしたらもっと嬉しい。

私みたいなクリエイター崩れじゃなくて、純粋に編集職になりたい人も、それでもなれなかった人もいっぱいいるのもわかってる。
その職に就けただけでも相当ラッキーなこともわかってる。

私だってプロフェッショナルになってみたいよ。
四六時中その仕事のことを考えて、心血注いで、そのために生きているような生活をしていて、それが苦しいけど苦じゃなくて。
プロフェッショナルとか、情熱大陸とかで取り上げられたいよ。
スガシカオの曲をバックに格言残したいよ。

でも、できない。
プロフェッショナルに取り上げられるより、私は「向こう側」にいきたい。
仕事に振り切ることができない。
当たり前のように人生のほとんどを仕事にぶち込んでいる同僚を見ているとそれを思い知らされる。

どこまで行っても中途半端だ。
どこまで行っても椅子がない。

……違うな。
椅子がないんじゃない。

私は私の分の椅子をちゃんと持っていて、でもそれを置きかねているだけなんだ。
ここにいていいよと開けてもらった場所を、でも本当に座りたい場所じゃないから、腰を据えてしまったらずっとそこにいることを認めることになってしまう気がして、だからおしり半分でしか座れない。

全員分の椅子がある矛盾した椅子取りゲームで、私はずっと負けている。

答えはまだない。
一生出ない気もしてる。

今はただ、本当に椅子を置きたい場所を遠くから眺めながら、すわりの悪い椅子にすがっている。

#エッセイ #コラム #仕事 #夢 #創作

ハッピーになります。