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癒された場所

職場の屋外北側にある木製ベンチは、私の癒しの場所だった。大抵私は貸切でそのベンチに座り、虫や鳥や猿に癒されながら心のデトックスをしていた。
緑豊かなマイナスイオンで満ち溢れた癒しの場所は、職場での秘密基地だと思って長い年月を過ごしてきたが、私は今更とある事実と向き合うこととなった。

木製ベンチの頭上2メートル辺りにある排気口、あれはどこの空気を排出しているのだろう……?
何となく気にはなっていたけれど、ここは私のとっておきの場所だからと考えるのを放棄していたのだ。

私はこのベンチに座り、マイナスイオンに満ち溢れた気持ちの良い風を感じながら、時には深呼吸なんかして、暖かい季節には弁当を食べたりもした。

そのままで良かったのに、なぜだろう。
とある日から無性にあの排気口の先が気になるようになってしまったのだ。
施設の造りは知っている。しかし今まではそのパズルのピースを組み立てなかっただけ。頭の中の設計図を外の方角に当てはめ真剣に考えたら、衝撃の事実が判明した。

あれはデイサービスの利用者様が使うトイレの換気扇の排気口なんじゃないのか!?

私はその風を肌で感じ、肺に取り込み、その下で食事をし、喜んでいたというわけだ。

こんな場所にベンチを置いた人間、一体どこのバカなのか。もっと置く場所を考えて欲しいものだと憤りを覚えたが、そのトラップに引っかかって喜んでいたのは紛れもなくこの私だ。
おそらくそこにベンチを置いた人は考え無しだったのだろう。そしてそこに座り続けてきた私。どちらも排気口を考えない事で成り立った。つまりそこに排気口は無かったに等しい。

しかしトイレの排気口はあったのだ。
そこからの風も雑音も、自然風に草木の擦れる音と混ざり合いながら私の鼓膜を震わせていたのだろう。それが現実だ。

新たな秘密基地を探そうか……。
それかあの排気口、粘土か何かで塞いでしまおうか? 排気口もその記憶も無かったことにして私の秘密基地はそのままの癒しの場所として美化させておけばいい。
しかしそんな小細工をした所で、トイレの排気口の下だという記憶を消すことは難しそうだ……。

それからというもの、私の癒しの場所は過去の物となり、徐々に足は遠のいて行った。
この先またあの木製ベンチに座って深呼吸をし、風を感じて心から喜べるのかと聞かれたなら、自信が無い。

同じ場所であっても、見方によっては真逆の世界が存在するのだと思い知らされた。
気にしなかったあの頃の私は、幸せだったのか、不幸だったのか……。

どちらにせよ、そこで過ごした過去の記憶はキラキラと輝いて私の中にあるのだから、まあそれでいいんじゃない? と笑って、考えるのをやめにした。

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