それはゴミなのか宝なのか
ゴミ屋敷の片付け。
まさかそんな体験ができるとは思ってもいなかった。
なぜ私がプライベートの休日を割いてゴミ屋敷清掃の手伝いをしなければならなかったのか、それは話が長くなるので省略させていただく。言えることは、そんな経験をするべき事象が起きたからだ。
その家は、ただ散らかっているという表現だけでは物足りない有様だった。
翌日にはレンタルの介護ベットが運ばれるので、早急にそれを置くスペースを作らねばならない。
もしもゴミ屋敷の検定があるのなら、2級ぐらいには余裕で合格しそうな環境だった。
私は開始5分でその場から逃げ出したくなった。
しかし「手伝う」と名乗り出た手前そういうわけにもいかない。逃げたくなる弱い自分を奮い立たせ、ひたすらゴミをゴミ袋へと捨てまくった。
「またあったよ、これ」
連れの助っ人が苦笑いをしてマーガリンの空きケースを差し出してきた。
先程も何箱かのマーガリンケースを捨てた所だったのに、まだあったのかと驚かされた。
この家の老夫婦は、清掃について「全てまかせる」と言っていた。だから私たちがゴミだと判断したものは捨てさせてもらっていたのだ。
しかし、ティッシュの箱などの厚紙が長方形にカットされたものの束がダンボールの箱の中にビッシリと保存されていて、それが何箱もあると、さすがにこれは宝箱なんじゃないのか? と胸が痛み、一部は残すに至った。
マーガリンの空きケースは、さすがにゴミだろうと気持ちよく捨て去ってきたが、再び幾重にも重なったそれが出てきてしまって……。
「さっきも30個ぐらい捨てたけど、よっぽどマーガリンのケースが好きみたいだね。少しは残した方がいいのかな?」
「そんな事言ってたらキリがないって」
確かにそうだと思い、私は少しの罪悪感と共にそれをゴミ袋に捨て去った。
どうやらこの家の主は、瓶やペットボトル、ティッシュ箱のような厚紙類、そしてマーガリンのケースを溜め込むタイプらしい。
なぜなの……?
何でもすぐに捨ててしまう派の私には、それを溜め込む価値観が理解できなかった。
だけど、彼らからしたらこれは、光り輝く宝物なのかもしれない。
そう思いながらも、ここは鬼となり断捨離するしかない。考えるな。考えれば、ゴミ屋敷は2級レベルから3級になるだけの、結局はゴミ屋敷として落ち着いてしまうのだから。
次々にマーガリンのケースがそこら中から出没する度、私たちの頭もおかしくなってきたのか、笑いが勃発するようになっていた。
マーガリンケース=面白い! という思考に結びつくほどに疲れていたのだ。
何時間かを費やし、リビングだけは綺麗に生まれ変わった。その家の奥様は、「よその家に来たみたい」と言って、喜んでおられた。
ところがそれ以来、マーガリンを見る度に考えさせられるようになった。
あのマーガリンのケース、何年かけて集めたんだろう……と。
そして胸が痛んだ。
さらにトーストにマーガリンを塗る度に、このマーガリンが無くなったらケースは取っておくべきかな? 捨てた分の少しは返すべきかな? なんて思考に陥り、不味いトーストを味わう結果となってしまった。
いつの間にか私は、マーガリンケース溜め込み症候群の予備軍となっていたのだ……。
まだ自宅のマーガリンは半分以上ある。それが無くなるまでに、何とかこの気持ちを手放したい。本来の私に戻りたいと切に願った。
後日その家に訪問した時、まだ片付けが手付かずのキッチンを覗くと、視界にマーガリンケースの束が飛び込んできた。
まだこんなにもストックがあったのかと、ほっとさせられたのと同時に、マーガリンケースが宝に思えてきた。
これらは気付かなかったフリをしておこう。
そうすれば、私の中で芽生え始めたマーガリンケース溜め込み症候群も手放せそうだ。これらを残すことで、私の悩みは消えるはずだ。
やはりこの世はプラスとマイナスでできているんだと、納得させられた出来事だった。
この先自宅のマーガリンケースが空になったとしても、私は迷わずそれをゴミ箱へと捨てるつもりでいる。
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