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Art|ルノワール《劇場にて(初めてのお出かけ)》 どっちがエロい?

毎週火曜は、アートの日。今週も3/3から開幕する「ロンドン・ナショナル・ギャラリー展」に出品される作品の中から、1点を取り上げようと思います(開幕まであと半月!)。

12月から編集を担当し、展覧会当日の3/3に発売される「ロンドン・ナショナル・ギャラリー展 完全ガイドブック (AERAムック)」も、Amazonで予約開始になり、情報も解禁! 2020年の西洋美術展では一番の注目なので、引き続き作品を解説していきたいと思います。

何の作品について書こうかな、と思っていたら展覧会の公式Twitterがおもしろい動画を作ってくれていたので、このルーレットで解説する絵を選んでみようと思います。

ドゥルルルルルルル~、ジャン!この絵です!!

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ルノワールのこの絵なら、「ロンドン・ナショナル・ギャラリー展 完全ガイドブック (AERAムック)」で、展覧会の監修者である国立西洋美術館の川瀬佑介さんに取材させてもらった際にお聞きした、2枚のルノワールの絵の話と、ロンドン・ナショナル・ギャラリーのコレクションの性質のことがおもしろいなぁと思いましたので、まとめてみたいと思います(記事にできなかった部分が出せてうれしい!)。

劇場は現代のクラブ!?

ロンドン・ナショナル・ギャラリー展」では第7章、つまり展覧会の最後の方で紹介される印象派の巨匠ルノワールの作品です。

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ピエール=オーギュスト・ルノワール《劇場にて(初めてのお出かけ)》 1876~77年 ロンドン・ナショナル・ギャラリー

実はこの絵以外にも、劇場にいる女性の作品を残しています。ちょうど3/15まで愛知県美術館で開催されている「コートールド美術館展」(3/28~6/21は神戸市立博物館に巡回)に出品されています。

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ピエール=オーギュスト・ルノワール《桟敷席
1874年 コートールド美術館

ロンドン・ナショナル・ギャラリーの《劇場にて(初めてのお出かけ)》は、桟敷席にいる2人の女性が誰かを探しているかのように、演劇ではなく客席を見渡しています。

さらにコートールド美術館の《桟敷席》にいたっては、探し人を発見したように女性はまっすぐにこちらを見つめていて、さらに背後の男性は、あからさまに上の階の見上げるようにオペラグラスを覗いています。

当時の劇場は、演劇を鑑賞する場所のほかに、男女の出会いの場という側面がありました。

じっさい《桟敷席》の女性は、娼婦で相手を見つけたその瞬間の女性の表情だという解釈もあります(背後の男性は、娼婦を探している)。

その点《劇場にて(初めてのお出かけ)》は、それほど強烈に性的な瞬間を想起させませんが、女性が階上から見下ろしている情景は、やっぱり劇場が観劇の場だけではないことを暗示させます。

たとえば、現代のクラブやバーのような雰囲気と説明すればいいのでしょうか。単純に音楽を聴いて躍ったり、酒を飲むだけでの場所ではないことを現代人が想像するように、19世紀後半の劇場は、「その後の情事」を想像させるテーマだったのです。

コレクションの成り立ちに注目してみる

ロンドン・ナショナル・ギャラリーの《劇場にて(初めてのお出かけ)》は、繊維業で財を成した20世紀初めの実業家サミュエル・コートールドが設立したコートールド基金によって、1923年に国が買い上げた作品。

もう一方の《桟敷席》は、同じくコートールドが1925年に購入し死ぬまで手元に置き続け、コートールド美術館に遺贈されたものです。

コートールド基金による国の作品収集には、コートールド自身も選定に参加したとされています。つまり、どちらもコートールドが購入に関わったとされる作品なわけですが、同じ「劇場にいる女性」をテーマにした絵でも、美術館に収められる絵と、個人が所有する絵は、どんな選定がなされるのでしょうか。

それにはまず、ロンドン・ナショナル・ギャラリーの設立経緯を知る必要があります。

ロンドン・ナショナル・ギャラリーは、フランスのルーヴル美術館やスペインのプラド美術館のように王室のプライベートコレクションが基礎になった美術館とは異なり、1824年に国家制定法によって、ロンドンの市民がお金を出し合って、自分たちのために設立した美術館でした。

現在の美術館の中心コレクションはヨーロッパ美術です。それらは、古代ギリシア・ローマに源流を持っていて、おおざっぱに言えば、イタリアとフランス、フランドル(現在のベルギーとオランダ)が、その文化の発信地でした。そのためそういった国々の王室には、名品がおのずと集まっています。

しかし、イギリスのように西洋美術に源流と呼べるものがなかった国にとっては(アメリカや日本なども)、西洋美術のまとまった良質なコレクションなどなく、ゼロから作品を集めないといけません。そういったある種の西洋美術後進国が、美術館開設のロールモデルにしたのがロンドン・ナショナル・ギャラリーです。

そのため、コレクターの色濃い好みのようなものがない、客観的なコレクションになっているのが特徴です。

公共美術館に収めたい絵はどっちだ?

1874年にパリで若手画家たちが開いた第1回印象派展が、歴史事実としての「印象派の誕生」といえると思います(様式としての印象派の誕生は、その10年ほど前)。

その当時は、前衛絵画とされ、パリでは大きな評価は得られませんでした。19世紀末にアメリカでようやく印象派の絵が評価されるようになってフランスに逆輸入されるわけですが、コートールドがルノワールの絵を購入した1920代のイギリスでは、依然評価が定まらない前衛芸術でした。

じっさいにコートールドがフランスの近代絵画の収集のきっかけは1922年にロンドンで開かれたヒュー・レーン卿のコレクション展だったといいます。

まだまだ、印象派への理解が深まっていない時代に、あきらかに性的な香りをプンプンとさせる《桟敷席》よりも、エロティックな雰囲気を少しぼかした《劇場にて(初めてのお出かけ)》の方が、国の収蔵品になりやすかったのではないか、というのが川瀬さんのお話でした。

ただ、じっさいコートールドが基金で《劇場にて(初めてのお出かけ)》を購入する際に、《桟敷席》の存在を知っていて検討したのかや、男女の出会いの場として「桟敷席」を描いた画家は他にいたことなど、調べてみたいことが多いですが、しかしそれでも《劇場にて(初めてのお出かけ)》の購入に関わったコートールドが、より官能的な《桟敷席》を気に入り、購入したというのは、なんだか納得できそうな話です。

じっさいコートールドは、コートールド基金のために寄付した5万ポンドのおよそ半分のおよそ2万2600ポンド(11万ドル)で、1925年5月に《桟敷席》を自己最高の支払額で購入していることは、なんらかの執念のようなものを感じます。

コレクターから美術史を俯瞰する

このように、プライベートコレクションとパブリックコレクションがあることを少し知っていると、1作品を観るのではなく、美術館のコレクションの性質を考えたり、美術館の所蔵を超えてコレクターの性質も観えてくることもあります。

画家だけでなく、絵の顧客や絵の収集家についても知識の欲を広げてみると、西洋絵画の鑑賞はもっと面白くなりますよ。

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