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海蔵寺 卯月

 桜色一色に染まったあと、躑躅、さつき、藤・・・一気に様々な色の花があちらこちらで咲き始めた。真っ青な空に新緑が目に鮮やかなこの時期は、特に白い花が眩しいほど映える。海蔵寺で見た、白い石楠花も見事だった。本堂の前に、人の身長より高い背丈の木に、それぞれが握りこぶしほどの、大ぶりの白い花いくつかが一つにまとまり、大きな花手毬となっている。そうした豪華な大輪の花をいくつも咲かせて、『私を見て。』と言わぬばかりに咲き誇っていた。立派なカメラを首から下げた人も、スマホを持った人も、何枚もその純白の石楠花の前でシャッターを切っている。

 それほど豪華な石楠花が、ここ、花のお寺で有名な海蔵寺に、一株しかない。植える余裕はあるのに、なぜかたった一株。一点豪華主義なのか、あるいは本堂とのバランスを考えて、花が目立ちすぎないように考えたのか。 と思いながら境内を見回すと、視界の端に黄色い花の影が映った。振り返ると、石楠花と反対側の本堂に沿って、突き当りの庭園の入口まで山吹の黄色い花が埋め尽くしていた。

 (やはり、石楠花だけではなかった。)と納得して、本堂脇の階段に腰をおろして目の前の黄色い花を眺める。白い大輪の石楠花も見事だったが、明るい黄色の小さな花も可愛らしい。山吹の後ろは切り立った崖になっており、見上げると上のほうは新緑に覆われ、下部には目の前の花の向こうに、古いやぐらがいくつか並んでいる。 鎌倉石を掘って作られた、中世からそこにある穴である。数百年の年月を重ねてきた墳墓の暗がりが物言わず、今もぽっかりと口を開けていた。風が吹くと、暗いやぐらの前の山吹が賑やかに揺れるが、風が止むと花の後ろのやぐらが浮き上がる。山吹と、やぐらと交互に焦点が移動するうちに、次第にこの寺の庭の主役が誰だったのか、ぼんやりとわかり始めた。

 やぐらの中に入れるようになっていた。一番奥のやぐらの前で手を合わせると、そこだけは内側に光がさして明るい。反対側の本堂の白い漆喰壁が、レフ板の役目を果たし太陽の光を反射して、それが内部を明るく照らし出していたのだった。やぐらの奥まで入って振り返って見た風景は、ノミで削った跡がまだ見られる岩穴を額縁にした、回遊式池泉庭園。この時期の、いまこの時間の太陽の角度でしか見られない、まさに一期一会の風景だった。

 境内では、ご住職が植え込みの中の葉を拾っておられたが、石楠花も、山吹も、やぐらへ導くためのものだったか確かめる前に、庫裏の中に入ってしまわれた。

 石楠花の脇に、まだ若い夏椿が植えられている。真夏の太陽が照りつける頃、暑さを忘れさせるこの花の様子を楽しみに、山門を後にした。

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