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豊饒神話と永遠の少年【物語元型論】

英雄譚は、成長物語と豊穣神話から成り立っています。前回は、豊穣神話の主役である地母神(グレートマザー)について解説しました。
今回は、新たな登場人物を加え、最古の豊穣神話について解説していきます。

大人になれない少年神

豊饒神話は、季節の変化と循環についての物語です。 主役である地母神は、大地の化身で、自然を象徴するキャラクターであることは、前回説明した通りです。

この物語には彼女の他にもう一人、重要な脇役が登場します。それが、少年神(または少年王)です。少年神は大地に生える植物、特に穀物をキャラクター化した存在。少年神は地母神の息子であり、愛人でもあります。

彼は大人になることがありません。なぜなら、大人になる前に母である地母神に食べられてしまうからです。地母神は豊饒神であると共に冥界神でもありました。つまり、植物を育てると同時に枯らす力も持っているのです。

農家が農作物の種を蒔き、刈り取るように、彼女は少年神を産み出し、喰らいます。
地母神にとって、少年神は食物のような存在です。彼を食べることで、地母神は再び力を取り戻すのです。

内容・食べた食物・として表されるものの摂取と取り込みによって変化・変容が起こる。食物摂取による身体細胞の変容は、人間が体験する最も基本的な、全く動物的な変容体験である。疲労した者・飢えた者・弱い者が元気のいい者・強い者・満足した者・満腹した者になるように、また渇いた者が生き返ったりアルコールによってまさに別人になるように、人類が続く限り変容は人間の根本体験であり続ける。

エーリッヒ・ノイマン「意識の起源史」より

二人の食うか食われるかの関係が、後の竜退治にも影響を及ぼしているのです。

少年の死と再生、春の到来

少年神は、地母神に食べられてしまいます。しかし、彼女によってまた産み落とされます。これは必然的なもので、運命ともいえるでしょう。

少年神の誕生と成長、死と再生のプロセスは、季節の循環を示しています(※1)。少年神が死んでいる間は、大地の下に種が埋まっていて姿が見えません。これは「冬」を表わします。一方、少年神の再生は、新たな芽が出るとき、つまり「春」の到来を示します。

英雄譚に現れる死と再生のモチーフは、この豊饒物語を源流としています。英雄自身あるいは世界の再生と復活に、自己犠牲がつきものなのも、ここに理由があります。すなわち、元ネタの豊饒神話において英雄の元ネタである少年神が死ぬから、後続の英雄譚でも同じことが起きるのです。

たとえば、物語の中盤で主人公がピンチに陥って死にかけることや、物語の終盤で主人公が身を挺して敵を倒すことが、これにあたります。場合によっては、その自己犠牲によって主人公は命を失いますが、その英雄的行為によって復活したり平和が戻ってきたりするのです。
先ほど述べた通り、この再生は必然・運命的なものです。

※1: 執筆中に見つけた興味深い参考資料(https://ja.wikipedia.org/wiki/死と再生の神)

破壊不能の女神と楽園

竜と異なり、地母神は倒せません。なぜなら、少年神と比べて彼女はあまりにも強すぎるからです。加えて、彼にとってとてつもなく恐ろしい存在であると同時に、どうしようもなく魅力的でもあるのがグレートマザーなのです。
地母神は少年神を噛み砕いて、モグモグごっくんと飲み込みます。少年神は八つ裂きバラバラになって、彼女に溶け込み吸い込まれて消滅してしまいます。しかし、彼にとってそれは不快なものではありません。その一体化は心地よさと愛を特徴としています。

母なる神に身を委ね、依存しきることこそが、まだ未熟な彼にとっての幸せなのです。たとえ日が沈んでもまた上るように、再び目を覚ますのだから、彼にとってそこは間違いなくエデンの園であり、楽園(パラダイス)なのです。

永遠の少年、英雄になり損なった者

永遠の少年の物語は、英雄譚の主人公の、失敗・破滅ルートを示しています。英雄譚において少年は大人になり、英雄となります。物語の始まりにおいて少年であることは、少年神も同様です。しかし、少年神は英雄ではなく永遠に少年のまま。なぜなら、大人になる前に死んでしまうからです。

物語における永遠の少年の「死」は肉体的なもの以外にもいろいろな形をとります。代表的なものを挙げると、精神的な死である「発狂・狂気」、彼にとって大切なものや象徴的なものを奪われる「略奪・去勢」、去勢の類型としての「服従・隷属」「幽閉・拘束」がこれにあたります。
これらを生じさせる黒い母もまた、地母神の姿の1つなのです。

この側面は悪い母としてイメージされ、具体的には死・ペスト・飢餓・洪水・本能の猛威・奈落へ引きずり込む甘美さ・などを司る残酷な女主人としてイメージされる。
……
我々が外界と呼ぶもののデーモニシュな威力は病気や死、飢饉と洪水、干ばつと地震をもたらすものである
……
いつ襲ってくるか分からない非合理的な世界は未開人にとっては存在するだけで恐ろしいものであるが、この恐ろしさは法則性を知ったからといってなくなるものではなく、むしろ死者・亡霊・魔神・神々・魔女・魔法使い・によって極度に高められ、不気味なものとなる。これらすべてのものから目に見えない力が働いており、この力の現われが不安・興奮・狂騒的憑依・心的な集団感染・春の性本能の襲来・殺人衝動・幻視・夢・幻想である。

エーリッヒ・ノイマン「意識の起源史」より

まとめ、そして竜退治へ

地母神によって産み出された少年神が、彼女に食べられ、再び生まれ出る。今回説明した豊穣神話は、その中でも最も古いタイプ物語で、(出典不明ですが)これは狩猟採集社会の豊穣神話に該当します

ならば、農耕牧畜社会のものもあるはずですね? この、次の世代の豊穣神話こそが、竜退治の元型となるストーリーなのです。

おわりに

物語元型論の第2弾は、英雄譚のキーパーツである豊饒神話を辿るものでした。次回は英雄譚に欠かせない二人、英雄と竜がついに登場します。よろしければスキを押していただければ幸いです。


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