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イエス・アンド法の罠:議論には批判も必要

最近、グループでディスカッションをして発表するという機会がありました。そんな中で、議論で最近良しとされているイエスアンド法に関して感じたことがあったので記事にしてみたいと思います。

ディスカッションとはいっても1時間ぐらいのものではなく、それなりに時間をかけて、新規事業を提案し発表するという内容でした。

具体的には一か月ぐらいのスパンはあり、そうはいっても使える時間は限られており、4時間×3回ぐらいの時間でアイデアの立案と発表資料まで作るという内容でした。

グループで意見を合わせて新時代の事業提案となると、トータル12時間ぐらいあってもなかなか厳しいものがあります。

イエス・バットとイエス・アンド

有名な議論の進め方として、イエス・バットとイエス・アンドがあります。

イエス・バットは、はじめに肯定して、後から否定するというやり方です。

「いいですね、でも…」

みたいな感じです。

こちらも良しとされていますが、バットの部分で否定されるので、相手が多少気分を害する可能性があるといわれています。

最近はそれよりも、イエス・アンドの方が良いといわれていたりします。

「そうですね、それなら○○もありますね…」

みたいな感じです。

内容としては「でも、○○もありますよね」といってもいいところをあえて、否定しないで追加するという言い回しです。

流行りとしては、イエス・アンドが推奨されることもあって、活発なグループディスカッションが実現されるなんて言われていますね。

そして、幸運にも私の属したグループは人を非難することなく、気づけばイエス・アンドを実行していました。誰も意識することなくやっていたのは面白いです。

そして、驚いたことにイエス・アンド法を使うと、あっという間に話が進んでいくんです。他のグループが全然話がまとまらない中、自分たちのグループはかなり早い段階で発表資料まで作ることができました。


だから、イエス・アンド法が素晴らししいです!、なんて話がしたいわけではありません。

イエス・アンドの弊害

ここで、一つこの手法の足りない点を感じることになりました。

イエス・アンドが続くと何が起こるか、そうです、否定的な仮説がないんです。クリティカルシンキングとも呼ばれる批判的な思考ですね。


通常、物事を思考するとき、リスクやうまくいかないシナリオを考えます。批判的な、懐疑的な視点がなければ、より良いものはできません

実際、私たちのグループも及第点の取れる発表はできましたが、傍から見て素晴らしいと呼べる発表ではありませんでした。

そもそもモチベーションがそんなになかったので、皆が及第点を狙っていたというのも原因としてあると思います。とはいえ、イエス・アンドが染みつき過ぎると、批判点を見つけようにも出てこないんです。

そうやって考えると、たまにはノー・バットも必要なんじゃないかと思います。当然、はじめから批判されると気持ち的には落ち込んでしまいますが、せめて相手を思いやったイエス・バットはあってもいいのかな、なんて感じます。

最後に

今回は、最近流行りのイエス・アンド法の弊害について書いてみました。洗練されたイエス・アンド法では、もしかしたらこんな弊害は起きないのかもしれません。

そんな方法があれば、是非教えてほしいですね。


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