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ながれもの

桜木町駅近くのライブハウスで私は立っている。スポットライトは汗が滲むほどに眩しい。ギターボーカルの後ろ、キーボードは正直目立つ場所ではない。だけどもステージの上は特別だ。支えが無ければ音に厚みは出ないし引き出せるものも引き出せなくなる。曲に意味のない音など存在しない。ボーカルの音が大きいのにどこか遠くに聞こえた。

小さなライブハウスの割には人が集まっている。大学生にしてはまぁ上出来だろう。自分以外のメンバーは今日で音楽を辞める。自分一人取り残されてしまう。自分は一人でも音楽を続けるつもりで今もここに立っている。


 打ち上げは朝まで続いた。ライブの後に楽屋で号泣していた先輩たちはカラオケで今までのコピー曲を歌って騒いで思い出に浸る。利用時間の限界がきてバンドは解散した。今日からは一人。ぼんやりと帰路を辿りながらイヤホンを耳に入れる。充電がギリギリだけど少しは持つだろう。目が乾いているから早く帰ってコンタクト外した方がいい。少しだけ早く歩こう。すれ違う小学生たちにぶつからないように、下を向いて歩いた。



 一人の部屋はいつ帰ってきても散らかっている。片付けができない性格らしい。よく高校のロッカーも散らかって友人にからかわれた。何回も散らかさないように気を付けてはいるのだが数日たてばどうでもよくなって変な折り目の着いてしまったプリント達が発見されるのだ。それが一人暮らしの部屋ともなれば当然散らかるので当然のようなところがあった。

背中のキーボードを降ろしてギターの隣に置く。コンタクトを外して眼鏡をかける。鏡の中には眠たそうなハイライトの無い目があった。

 敷きっぱなしの布団に寝転がって歌う。さっきまでカラオケにいたけれど、あまり歌ってはいないから物足りない気持ちがあった。あのバンドで主張することは無かった。しようとも思えなかったのは趣味の曲じゃなかったからってこともある。

終わったことを考えてもしょうがないから、バンドのことは忘れようと水を飲んで頭を冷やす。眠いような眠たくないような妙な気分でどうしようもなくなったのでベランダに出た。キャメルの黄色い箱から取り出してなかなか火がつかないライターに苦戦する。禁煙する人から貰ったライターに文句を言っても仕方ないから何回も親指を動かした。十回ほど繰り返してようやくついた火を煙草に移動させることができた。最初は吹かすだけ、その後は煙が脳に回るまで吸って吐くのを繰り返す。それだけ。

 隣の部屋の住人はすでに出かけたようでいつも聞こえているラジオは無い。静かな平日。空は曇天で風はまだ冷たい。煙の空気は風のままに流れていく。

 ぼうっと考えていると思考が始まってしまう。早くなにかを始めなければならない。なにかが終わっていく度に、自分に価値が無くなっていくように感じる。いつもなにかをしていなければならない、そうでなければいけない。すぐに行動に移さなければ惰性でどんどんダメになっていく気がした。ただ心だけがひたすらに焦って進めなくなってしまう感覚があった。どうしよう、どうしよう。前はどうやって進めていたか思い出せなくなってなんだか苦しい。なにもできない苦しさが精神的に一番よくない。煙草の灰が膝に落ちて正気に戻された。服に着いてしまうと洗わないと落ちないこの汚れにため息をする。

灰皿に煙草を押し付けて部屋に戻る。風向きのせいで部屋にも匂いが入っていた。服を脱いでシャワーを浴びる。どうせ今日はなにもないのでゆっくり寝たい。匂いの着いた髪に温水をしばらく当ててからシャンプーを泡立てる。ポンプの音が軽いのでそろそろ新しいものを買わなければならない。泡を流して、適当に体を洗う。洗顔も適当でいいと思っていたけど肌が荒れることに最近気付いたから少しいい洗顔料を使う。思ってもいないところで金が減っていくことは一人暮らしをして知った。

タオルを用意するのを忘れたから少しだけ体が乾いた頃合いで浴室を出る。日が差す部屋は穏やかで騒々しさとはかけ離れていた。充電しておいたスマホに通知が来ていたから下着だけ着てその連絡だけ見ることにした。

『久しぶり』

アイコンを見ても誰だかわからなかった。アプリ開いて名前を見ると一年程前によく遊んでいた友人だった。彼女やら彼氏やらができたとかなんとか言ってしばらく会っていなかった。

『久しぶり、どうした?』

 どうせすぐに返事なんて来ないから煙草を吸うことにした。ベランダに出ると近くの商店街の店の音が聞こえて街が動き出したようだった。髪がまだ乾ききっていないから頭がまだ冷えて寒かった。髪がライターに当たらないように火を着ける。最近好きなアーティストがサブスク解禁されたからそればっかり聴いている。長いこと応援しているアーティストだから聴いていると過去のことばかり思い出してしまう。なんだかずっと一緒に生活を送ってきた曲だらけで感慨深いものを感じた。もう歌詞なんか見なくてもわかってしまって、ライブの情景だとか映像まで流れ込んでくるようだった。五、六曲聞いたところで返信が二通きた。

『今日空いてたらごはん行かない?』

『久々に話そ』

 今日なら暇だし、誰かと話したい気分だったからそのまま承諾した。約束の時間は渋谷で午後六時、だから四時半過ぎには家を出なければならない。今は午前十時半過ぎ、今からならあと五時間は寝れる。どうせオールしようとか言い出すやつだから今のうちに寝ておこう。部屋に戻って布団の上に倒れこんだ。丸まった掛け布団を適当に体にかけてスマホのタイマーをかける。そのままSNSを巡回する。十五秒ぐらいの動画を数十本見終えたときにようやく瞼が重くなってそのまま目を閉じた。


 午後五時四十五分、少しだけ早く着いてしまった。それと同時に三十分遅れるとの連絡があった。毎回遅れてくる人だったことをこの時思い出した。仕方ないので駅ビルに入っているカフェで時間をつぶすことにする。愛想のいい店員におすすめを聞いてそのまま注文する。数分待つとにこやかにそれが用意された。カフェの二階のおひとり様用のカウンタースペースに座る。耳にイヤホン挿してお気に入りのプレイリストを流して飲み物を紙ストローで飲む。思っていたよりホワイトチョコレートの甘さが濃くて目が覚めた。食事の前に飲むものでは無かったかもしれない。若干の後悔をしながらそれを飲んだ。やることがなかったから次に作ろうと思う曲の歌詞のネタ出しでもしようとスマホのメモを開く。メモの中のとにかく思いついたものを乱雑に書き殴っているページを眺める。何かいい言葉思いつかないかと周りを見て人間観察をしていたらいつの間にか四十五分経っていたらしく『着いた』とメッセージが届いた。飲み物も飲み終わったので片付けて待ち合わせ場所へ向かった。

「ごめんね、遅れちゃって」

「相変わらずだねぇ」

 久々に会ったそいつは髪型が変わっていた。しかし先ほどの様子から見るにさほど中身は変わってないのだろう。少し安堵しながら店を探した。均一の値段を推している居酒屋に入った。生ビールと適当に焼き鳥やら枝豆やらを注文する。すぐに生ビールは運ばれてきて乾杯をした。少し飲んで二杯目を頼んだ頃合いだった。

「そろそろ身を固めようかと思うんだよね」

「え、なに、結婚でもすんの?」

「うん」

「でもまだ学生じゃん」

「そうだけど」

「学生結婚かぁ」

「うん」

「でも急ぎすぎてる気がするけど」

「でもこの先これ以上の出会いがあるかって言ったらないと思うんだよね」

「確かにそれは言えてる」

 学生のうちに出会っておかないとこの先なかなか出会いが無いって親戚の集まりで従兄弟がぼやいていたのを思い出した。従兄弟は学生の頃に知り合った彼女と三年続いていて今年結婚するらしい。

「家族には言ってあるの?」

「いや」

「これからか」

「そう、なんだけど向こうの親が厳しめなんだよね」

「じゃあ結構きついね」

「そっちは何かないわけ?」

「そうだなぁ」

 出会いが無いわけじゃない、こいつに会わなかった一年間だって何人かと付き合って、離れてがあった。けれど特出して話すことも思い浮かばなかった。

「まぁ、ほどほどにって感じ?」

「基本その感じだよね、長く続いてるの見たことない。最長どれぐらいよ」

「七か月とか?」

「え、覚えてないの」

「自然消滅だったし」

「一年前のあの地味目の子は?」

「あー、振られた」

「いい子そうだったじゃん、なんで」

「堅実な人がいいって」

「なるほど」

「こんなふわふわ音楽やってる奴よりあの子にはまじめな奴が似合うよ」

「でもお前、実力あるから別のバンドでもよばれてたりするじゃん、あとサポートで出たりさ」

「ありがたいよね」

「やっぱりプロ目指すん?」

「うん、就活しないでフリーターやりながらプロ目指すわ」

「いいじゃん」

「不安定だけどね」

「まぁその不安定を支えられる子じゃないとお前には厳しいか」

「そうだねぇ」

「うわお前3Bのうちの一人じゃん」

「そうだよ」

「常に誰かしらいるイメージだわ」

「そんなこともないけど、ここ一ヶ月ぐらいは特に何も」

「セフレは?」

「いるけど重くなってきたからそろそろ切る」

「うわ」

「そんなもんでしょ」

「さすがバンドマン」

「バンドマンだからではないだろ」

「いや、生き方が出てるわ」

 たこわさが思ったよりわさびが効いていて少しきつかった。

「お前だって割と遊んで無かった?」

「丁度一年前ぐらいか。まぁ今の子と出会って落ち着いたんだよね」

「そっか、お前もう上がった側か」

「羨ましい?」

「別に」

「いるだけ違うって」

「安心感とか?」

「うん。でも向いてなさそう、いいじゃんセフレの子」

「重いのきつい」

「重いぐらいがいいって」

「位置情報とか把握されるの嫌じゃない?」

「慣れるよ」

 なんとなく監視されるのが嫌で今までの相手とも全部断ってきた。

「そんなにやましいことしてんの」

「お前だってしてるだろ」

「そん時だけ切ればいいだけだろ」

「それもそうか」

 四杯目を飲み切る頃には向こうの顔が赤くなっていた。前そんなにこいつ弱くなかったよなとか思いながら残りを飲み干した。

 もう一軒行ったところで解散することになって、駅で別れた。席が空いてたから座って三十分ぐらい経った。

『ねぇ、いま暇?』

『どうしたの』

『会いに行っていい?』

『今電車だから少し時間かかる』

『どれくらい』

『一時間はかからないと思う』

『駅で待っててもいい?』

『うん 寒いから上着着てね』

『わかった』

 噂をしていると人はどうやら寄ってくるものらしい。変に話をしてしまったから、緊張している気がする。いつもと同じ顔を向けられるだろうか。酒をそこまで飲んだつもりもないが浮ついている。電車に乗っている時間がやけに長く感じた。

 改札を出ると薄手のコートを着た見慣れた人が居た。

「ごめん、結構待った?」

「ううん、急に呼んでごめん」

「全然いいよ、どっか行こうか」

「うん」

 手を差し出せばすぐにつないできて、従順で少し笑ってしまった。

「公園でも行く?」

「寒いじゃん」

「居酒屋?」

「飲んできてるんでしょ」

「別に飲めるよ」

「家がいい」

「今散らかってるけど」

「いつものことじゃん」

「まぁそうだけど」

「宅飲みのがいい」

「じゃ、途中で買ってこ。今家に酒無いから」

「前のは?」

「飲み切った、それよりめっちゃ手冷たくない?」

「そんなことないよ」

「結構待ってた?」

「十分ぐらい」

「そっか」

 まだスーパーがやっていたからそこで酒と適当につまみを買っていく。家について電気をつけて暖房入れる。酒を缶のまま開けて飲んだ。

「なんかあったの?」

「誰かと話したかった」

「そっか」

「どこ行ってたの?」

「友達と飲み」

「まだ飲めるの?」

「時間空いたし飲める」

「強いもんね」

 葡萄味のチューハイを両手で飲みながらその人は言う。

「ねぇ、バンドマンってどう思う」

「えー、どうだろう。軽いとか」

「そっか」

 こっちを見て笑った。

「大概軽いでしょ」

「そんなつもりないけど」

 飲みかけのチューハイを一口貰った。

「そういうところ、よくないと思う」

「じゃあ嫌い?」

「嫌いじゃない」

 そのまま流れでどうにかしようと思った。


 目が覚めて、煙草が吸いたくなってベランダに出た。スマホを見ると、ライブのサポートのオファーが来ていてそれを了承する返事を送った。煙草に火を着ける。空は曇っていて緩い風が流れている。とりあえず、今はこのままでいいような気がした。二本吸い終わる頃、後ろで物音がした。

「おはよ」

「うん、おはよう」


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