たまにはお金を元の価値に戻して考えてみる

ということをしています。

元の価値ってなんでしょうか?
元々、貨幣とは、物やサービスを同一の価値基準に置き換えたものです。
農家は魚が欲しいが、漁師は米野菜が今は必要なく酒が欲しい。
農家は魚を手に入れるために、酒蔵に酒と米野菜の交換を持ちかけて、改めて漁師の元に交換を打診しに行く・・・。
こういった物々交換をスムーズに行えるようにしたのが貨幣です。(多分)
元は貝殻を用いていたので貨という漢字に「貝」の字が入っている。というのは本当かガセビアかは不明です。

で、元に戻すというのはどういうことか。
手始めに、身近なところで自分の時給分のお金を自分の1時間の労働で生み出せる価値に換算して、売っているものと比べてみます。
そうすると、普段特に疑問を持っていない物の値段が、「あれしきの労働でコレが交換できるのか」とか、「1時間懸命に働いてこれと同等か・・・」といった感想が生まれ、新しい視点で物の価値を見出すことができます。

さて、この視点をもっと大きい規模で用いてみるとどうでしょう。
経済を語る上で、「消費」というのは推進されている行為というイメージがあります。消費がもっと増えれば景気が良くなる、暮らしが豊かになる、と。
でもお金というのは、我々が生み出す物やサービスが形を変えたものなのです。
作ったものが余って余って仕方がない、サービスを提供したいが暇で暇で仕方がない。という場合なら消費を増やしてお金を循環させることで暮らしが良くなるでしょう。
しかし、一生懸命働いているのに仕事が終わらない・・・という場合に消費を増やしても、更に仕事をして価値を提供しなければならない状況に進むだけではないでしょうか。

今の社会は、どちらかというと価値の提供に追われているが、暮らしが豊かになっていると実感できない状態にあると思います。
ここで、社会をそれぞれが物やサービスを分け合って暮らす集落だと考えてみます。
働いても働いても豊かにならない、というのは以下のどれかが当てはまるのではないでしょうか。もしくは複数、全部か。

1.労働の効率が悪い
沢山耕した畑にちょっとしか野菜を植えてない。保存の利かない野菜ばかりを育てて、旬が過ぎると大量に廃棄している。1匹釣っては岸に戻り、また沖に出て1匹釣っては岸に戻りを繰り返している。週に一度の漁で釣りすぎて腐らせている。
自分一人の労働だとそんな馬鹿なことはしないと言い切れますが、何百人、何千人、何万人、と生産に携わっていると、実はこういうことも起きているかもしれません。
実際、大量のフードロスが昔から問題になっています。効率化を求める過程で仕方のないことという意見もありますが、その効率は廃棄される食料以上に豊かさに貢献しているのでしょうか。

2.生み出した価値を無駄にしている
みんな朝から晩まで必死に働いて、多くの価値を生み出しているのに、食べきれず捨てている。または特に価値を感じないものに交換している。
物価が高くなりはしましたが、飽食の時代・物が溢れている時代といわれてから大きな変化はないように思います。
必死に働いて維持しているこの生活、本当に必要な価値なのでしょうか?

3.価値を生み出していない者がいる
誰も欲しいと思っていない物をひたすら作っている。働かずに奪うだけの者、働いているように見せかけて働いていない者がいる。
一人一人の顔が見える集落なら浮き彫りになるでしょうが、ものすごい数の人が暮らす世界ではうまく見えなくなっているのかもしれません。

以上、乱文をつらつらと書き綴ってしまいました。
たまに思い出してこういった考え方をしてみてはいかがでしょうか。

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