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短編小説【コンビニの水】

ある朝、スクランブルエッグを食べながら、ポーチドエッグはなぜ白身が固まって黄身がトロトロなんだろうという疑問がふつふつと湧いてきた。気になったら調べずにはいられない性分である。幸い現代を謳歌する身としてはスマホという魔法の板がその答えを教えてくれる。だが私は板を使わず音声を使ってこう言った。
「どうしてポーチドエッグはあんなふうにできるの?」
彼が答えた。
「酢を入れてるからじゃない?どうして酢を入れるとあんなふうになるのか、という質問はなしね。知らないから」

そんな私がある週末に1人でドライブに出かけた時の話だ。
海が見たくなり、独りになりたくなり、広い場所で寝転びたくなった。10年乗っている可愛い愛車のシートに座り、エンジンを掛けて車を出す。5分ほど経ったところで水がないことに気がついて舌打ちをした。海へ続く道をずっと走っていると右側や左側にコンビニという現代のオアシスが流れていく。取り立てて綺麗な景色でもないが、いやむしろこの風景に慣れている私や私たちの感性がおかしいのではないか?とすら思うのだが、海を目指す私としては途中のオアシスで水を求めるなどということをしたくはない。
ここは砂漠でなければ、私は砂漠で死にかけている旅人でもないのだ。ただ単に都会の砂漠というだけのことなのだから。

というある一日を過ごす私が先日ある事件に巻き込まれた。
事件と言ったのは話を少しばかり大きくしたいための誇張なのだが、たまにこういった誇張癖がむくむくと私の理性を押し退けては前に出ようとする。全く困ったかまってちゃんなことだ。私はこのかまってちゃんを許し、恩寵を与える神のように、幼児のイタズラを可愛いと思える母親のように、よしよししょうがないなぁと甘やかしてしまう。
ところで事件というのは案外身近なところでいくつも起こっているものだ。
ところで良い話と悪い話のどちらから聞きたい?というセリフがあると思うのだけど、あれを言う人ってどんな心境なんだろう。勿体ぶった言い方をするのはかまってちゃんだからなの?さっさとどっちも言ってくれ、などと思ってしまう。
そういうわけで良い話と悪い話がある。
とある抽選で2名様モナコへの旅ご招待が当たった。賛辞を持って喜ぶべき良いニュースだ。だがまぁ、こういう時私は取り立てて感情が動かない。ふぅん。いいんじゃないの?そういうこともあるよとシビアにクールに思う。といってクールを装っているわけではない。私は何かを装うことが嫌いなのだ。
悪いニュースは奇想天外なことなのだが、そのモナコ旅行に行く日程がどういうわけか1年前だったということだ。もちろん私にもわかる。普通の人ならなんで今当たった景品が1年前のものなの?と強く疑問の思うだろうことを。人によっては大声で怒り出すかもしれない。人によっては悔しさを笑いというバネに変えて言いふらしまくるのかもしれない。だけど私にそのような趣味はなく、よく不思議なことに思われるが、私にとってはごく自然で当たり前のように「まぁそういうこともあるか」と、何事もなかったかのように思ってしまうのだ。

だが私も愛されるべき人の子であるのだ。
それゆえ一応この話を彼にした。わざわざこのような話をする私を私は好きだ。
すると彼はこんなことを言った。
「この話、つまり良い話と悪い話と言いながら、無関心ではないにしろ、どちらにも薄い反応しかできない君が『事件』だなどといって話を盛り上げようとするのは、なんというか・・・偉いね?話してくれてありがとう」
それを聞いて私はいたく感心した。
感心したことは3つもある。といっても教訓めいた話ではないのですぐに忘れるのだと思う。
まず彼が1年前のモナコ旅行について何も言わなかったことに多少なりとも驚いた。私に比べると彼は真面目な社会人であり常識人だ。まるで私のような言い様をするので驚いたのだ。
そして、この人は私のことをよくわかっているなぁと思った。感銘さえ受けた。取り立てて人にわかってもらう気がない私ではあるが・・・・もちろんかまってちゃんが可愛くしゃしゃり出てくる時は別だが・・・・よくもまぁ話の中身を無視して私めのことを喋ったものだ、などと思った。
最後が極めつけ、静電気が流れた時にビクッとするぐらいの強力な印象を私に与えたのだが、この彼は私にとって、一体オアシスなのかそれとも海なのか。どちらもなのか、どちらでもないのか。奇妙で不可思議な感覚を伴う疑問が湧いてきた。
だから私はこう聞いたのだ。
「ねぇ、ちょっとわからなくなってきたんだけど、あなたってオアシスなの?海なの?」
一瞬の間とよく見ていなければ誰も気がつかないほどの微妙なモーションで首をかしげ、彼はこう答えた。
「コンビニで売っているペットボトルの水のようなものなんじゃないかな。どういうこと?っていうのはなしね。わからないから」
私はそういうこともあるなぁではなく、こういうこともあるのだなぁと思った。

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