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【言語心理学講座】mustの束縛 あなたは不快慣れしていませんか?


■思考のステップの多さがストレスにつながる


人の知覚とか認識に関わることで何かを理解するのにどれだけステップが必要かによって、たとえ理解できたとしてもストレスを感じたり不愉快になったりするようになっている。では、どういうことがステップの多さにあたるのかと言うと、単純に言って、数が多いものはステップが多い。心理学の実験では40個の缶詰の中からベストの缶詰を1つ選んでくださいと言われるととてもストレス感じるが、5つぐらいの選択肢に絞られると画然やる気が出るということが分かっている。1番美味しいものを選ぼうという気持ちになるということだ。

■不快と利益 どちらをとるか


快不快で言うと、前段は不快の方。では快の方は何かと言うと「分かりやすい」ということに尽きる。おそらく僕の話していることや書いていることは不快が結構大きい。だから読まない人がいっぱいいると予想がつくが、それでも読み続ける人がいるのはなぜかと言うと、その不快を超えたメリットが大きいからだ。その人にとって、シーソーゲームになっている。不快と利益を天秤にかけてどちらが勝つかみたいなことだ。で、我々特に日本人は日常でコミュニケーションの方が勝つ。そうでないといけないという風にしている。どんなに不愉快で、プロセス多くて、NOを換気されて、否定的なことを言われたとしても、ここで関係を切るのもどうかなとか、ここで揉めるのもどうかなというので、割と不愉快慣れしている、そういう傾向がある。

■不快に慣れた人の心理・言動


不快慣れするということは不快なことを「しないといけない」=mustと思っているということを表している。このmustが背景にある時は「その通りやらないといけない」、「守らないといけない」というのが背景にある。この時は当然「やりたくない。でもやる。」という状態に置かれる。心理的にはやりたくない。強度が大きいか小さいかは別として、そういうものだとか、会社員だとそうしないといけないとか、仕事はそういうものだとか、家庭とはそういうものだとかいうことがあるとやらなければいけないという立場に立たされる。心は嫌でも現実はやるという不整合がおこればおこるほど、自分の中の誤った重要度が高まるという傾向にあって、つまりそれはもう絶対やらないといけない、そういうものだという強度が強まる。かつ、それを外で目にした時、つまり別の誰かがそれをやっていないとかできないとかいうことを目にした時に、「お前それはあかんやろ!」という状態になりやすいという心理の動きがある。つまり自分がやりたくなければやりたくないほど、しかもやる時に難度が高ければ高いほど、そしてクリアしていればしているほど、「絶対そのようにしないといけない」みたいなモードになるということが分かっている。なので、言語的に言うと、強く何かを絶対こうだとしている時は、本当に重要だからそうしているのではなくて、本当に重要な何かの理由を持ってきて自分は「絶対やりたくないけど、やらないといけないことをこんなに頑張ってここまでできるようにした。なのに、なぜあなたはやらないの?」と言っている、と捉えるといい。こういうことは結構色々な場面で見かけると思う。そうでなくてはならないとなった時に、背景には自分も本当はやりたくないことをやって、今更引くことができない状態にあるという理解をすればいいかと思う。少しだけ応用編になるが、逆に「musutはやらないといけないとかじゃなくていい。緩く行きましょう」というmustをやっている人もいる。なので、緩くいかないのを見て、それはあかんぞという状態になる。

■脳の配線と快不快


脳の持つ理解とか物理的に言うと配線のシステムに乗っ取っているか乗っ取っていないかによって脳の配線がスムーズだったら、「ああいいことを言われた」、脳の配線がスムーズじゃなかったら、「ああ嫌なことを言われた」という風な判断に変換されるということが顕著に出てくるわけだ。乱暴に言うと今の私の脳の配線はとても良かった、いい人だとかいいこと言った。逆に脳の配線がとても悪かった、ダメな人だ、悪いこと言ったという風になっていく。特に混乱するとより悪い心理になっていくことが分かっている。私を混乱させる人間みたいな、もしくはあなたは私にストレスを与える人間だという感じで理解されるということだ。なので、コミュニケーションばかりしか考えない目先のスキルを言う人たちは相手にストレスを与えずにスムーズにやるということばかり言うが、それは一理あるとしてもそれをやるとある種の問題が起こる。つまり簡単なことしかできなくなってしまうというのがポイントだ。我々共通言語とか共通認識に乗っ取っているとすぐに分かる。

また共通言語じゃない、外国語で何か言われた。でも一生懸命言ってくるとなった時に、理解しようとするのはすごく労力かかる。何を言っているのだとうちょっとジェスチャー見ながら判断しないとみたいな、とても困ってそうだなこの人。どうにかしてあげたいけどどう言ったらいいのとなる。その時、自分にもストレスがかかっている。

同じ日本語でも自分があまり使わない単語であるとか、言い回しが自分はしない言い回しをされるとかというだけで、たったそれだけでちょっと仲良くなれないみたいな判断を下したりする。本当に仲良くなろうとか本当に良い人間関係とか深い人間関係を築こうとしても、言語を合わせていくという作業が必要で、だから長年の夫婦とか会話が似たような表現になるとか、言い回しが似たような感じになるとか、使う単語が同じようになるとかいうことが起こる。ここでまとめて大事なことを言うと脳の配線によって心理的に快不快が決まる。合っていれば快、合っていなければ不快という風になっているということになる。



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