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【言語心理学】あなたがチョコを食べたくなる本当の理由


■よい理由は本当の理由ではない


人が「良い理由」を言うことがある。
例えばチョコレートを食べたいというときに、なぜ食べたいのかと聞くと、
・脳に糖分が足りない
・甘いものが食べたいと思った

など色々な理由が言えると思う。

チョコレートは美味しいし、そういった理由でもいいじゃないかも思うのだが、実は人がこういう理由を言ったとしても、美味しいとすら思ってないという可能性が高い。

あるいは難しい話を聞いて、もう脳みそが疲れた、甘いものが必要や、というときに、その目の前の甘い物は関係がなかったりする。

理屈で言うと、脳に必要なのはブドウ糖であって糖ではない。
甘い物を食べたからといって脳に入るわけではない。
では、何のために食べたの?という話になる。

つまり我々はまず第1に自分を説得するため、第2に他人を説得するために、

最もらしい理由を持ってくる

ことで、自分も他人も説得しようとしている。

そりゃ正しいわというものを用意しないとたちまちつっこみを受けて、「間違っているよ」とか言われて、「それはやめておきや」とか言われて、話がややこしくなるかもしれない。
それは非常にまずいので、誰も否定できないような良い理由を使おうとする。

まず第1に気持ち。こんなに甘いのが好きなのだから食べていいじゃないかと言ったときに、食べると幸せだという気持ちを言われると誰も否定できなくなる。

次に理屈。
これはハーバードで何年も研究されてそういう風に証明されていること。
正しい理由や良い理由、特に良い理由によって会話というのは「そうかそうか。」「そりゃそうですよね。」となるようにできている。よい理由を言うと話が終わるようにできている。

例えば1人でいる時に口寂しいというのもあるけれど、チョコが食べたいとなったとする。なぜ食べたいのだろう。
とにかくチョコのあの味が欲しいと思ったとする。
それ美味しいと思っているのですか言われると、実は実際問題あまり感じていないということがある。

チョコというものにそこまでコミットできていない自分だということがある。実は別に好きではないということ。
口寂しいだけだったら別にチョコじゃなくてもよかった。

そうなのだが、この話のややこしいところは、別にチョコでなくてもいいじゃないかとなった時に、いやいやあの全種類考えてやっぱりチョコはナンバーワンですからと言い始めるところがややこしい。

それも脳が作っている。
だから脳が理由を作ってまでチョコを選んで、そういう風に感じて、これが1番。

僕そういう人ですと言われるとみんな納得する。
だけどそれ自体が幻想だったりする。
ならば例えば絶対にチョコ食べないで1年間過ごしてみてってなった時に、実は何も困らなかったりする。

では本当は何がしたかったのだろうと探そうとしてるのだが、頭で不整合が起こって、それを求めようとしてるといる段階ではさほど問題ではないのだが、答えを出そうとする段階で必要のない才能が動き出すと問題になるという感じであややこしい。

その作用が良いことと正しいこと。
でも結局ほとんど全てが脳が作っているということ。
8割くらいそうだと思ってよい。

■客観的事実であるかどうかが大事


先ほど僕がカフェオレを買ったのもカフェオレでなくてもよかったし、別に飲まなくてもよかった。
食後に何か飲みたいときに、これまでの習慣とか、それを正当化するために何か脳が理由を作っている可能性もめちゃめちゃあるということ。

僕もほぼ毎日コーヒー飲むのだが、僕の理解はどういう理解かと言うと、習慣だから飲んでいるなという理解をしている。

でも習慣だから飲んでいるなということも左脳が作っている。
その可能性を疑わないといけないという感じ。
疑う余地はあるものの現時点ではそのように理解している。

この疑いを考える時に

客観的事実であるかどうか

ということを見るのが1番。

良さというのも完全に主観。
正しさは外の世界の正しい理屈なのだが、自分の主観のために引っ張ってきた理屈なので信頼性が薄い。

なので単純化するというのが大事で、あの人毎日コーヒー飲むよね、別に理由なんていいじゃないか、ということにすると一番分かりやすい。

必ずしもそこまでは割り切れなくても、理由を考える時は疑うところからスタートするということ。
この脳のメカニズムからすると、脳がごまかしてくるので、ごまかされないぞという態度で挑んむのがよい。

■そんなわけはないだろうからスタートしてみる


例えば「夫婦関係いいですよ」とか言われると、100%信じるようなところがある。
それが脳のバイアスなのだが、基本的には、少しも聞いていなくても

「そんなわけないだろう!」

からスタート。

「うち仲がいいんですよ。」と言われると、どう仲がいいのか、なぜそう言えるのか、ということを説明し始めた時に、よい理由が出てくる。
このよい理由が間違っていると思ったらいい。

よい理由の内容そのものは間違っていない。
こんなに仲いい時があったり、こんな風に尊重しあったり、こんなケースがあったから仲がいいとう内容は間違っていない。

だけどそのよい理由をして仲が良いとイコールではないというところを見ないといけない。誰でもいいところを探そうと思ったらいいところは見付けられる。

どんな物事にもいいところを見付けようと思ったら見付けられる。
そこにフォーカスすると、さもすごくいいことのように聞こえるが、
いいところを持っていることは何に関しても当たり前。
悪いところを持ってくるのも、何に関しても当たり前。

それをどう判断するのかとなると、全体を見るしかなくて、このいいも悪いも、そして間の何でもないも含まれた全部を見た時にどういうことが言えますかということが、言語心理で、客観的な事実ということになる。

そんな人はいないが、そこまででとめられる方が言語心理的にはニュートラルという考え方になる。

■よい理由は証明にはならない


結論は、

よい理由は証明にはならないということ。

なぜならよい理由も悪い理由もニュートラルな理由も全部探そうと思えば探せるから。

なぜ毎日コーヒーを飲んでいるのかと言われた時には、客観的事実は「習慣」だから。
まずそこまでははっきり言えるというところから押さえていく。
今のところ、それは習慣でやっている。
ここまでだと間違いがないというかただの客観的事実なので、そこスタートという感じだ。

なぜそんな個性を追求して生かそうとするのか。で色んな理由がある。
それぞれ価値があり、順番があるとも言えるのだけど、もうちょっと大きな枠で言うと、
「生まれてきたから、しゃあないから、明日死ねないから」
というのが理由。そこら辺からスタートするという感じだ。

全体で見るとどういう人間なのか、そういうことをするのはそういう人間だからと考えるといいのだが、もう1つ上のことがある。
スタートして、その次に例えばそういう人間であるかどうかということが来るのであれば人には様々な容量があって、自分のことに興味関心を示すことが多い人もいれば少ない人もいるとか、追求する人もいればあまりしない人もいるとかいうようになってくるので、どうやら全体で見たらそういう傾向がある中で、自分はこういう特徴を持っているらしいぞというところまで見る。

そして、自分はそういう人間ですと言い切ってしまうと勘違いではないのかという余地が残るので、勘違いを正したり、確認するということも必要だ。


■タバコをやめられない理由


同じようにタバコをやめられない理由も説明できる。

タバコやめられない人という人は、

「タバコを吸っているからだ」

ということはまず1つ言える。やめられないからと言えそう。

フィジカルとメンタルを分けて考えた方がいいのではないかと思う。フィジカルだけで言うとやっぱり中毒性ある物質を摂取すればどんなにメンタル強くたって流されるということがあると思う。

メンタル面なのだが、タバコを吸いたい、タバコをやめたくないというよりはやり続けて何があかんのか、やめて何がいいのか、まるでよく分からない。

このままでいいんじゃないかというものがある上で、やめる必要性が才能でまとまらないのでただ続けるという感じ。習慣ということはそういうものだ。

別にタバコに限らず普通の日常週間でも、肉を何キロも買うのをやめられへん人がいる。
毎日畑に出るもいる。続けた方が理由はよく分からないけど、いいんじゃないかという想定の元、やめた方がいい理由もないという消極的なこともあると思う。

言語心理的に客観的事実を捉えようとするとそういう言い方になる。
ということを覚えておくといい。




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