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意味はない

歩いているとふいに、いいことを思いついたりする。それまで、自分の中でうまく言語化出来なかったものや、単語と単語がピタリとハマって1つの気づきになったり、聞こえてきた音楽や街の音、誰かの会話、目についた広告…それらの情報が一瞬にしてつながる瞬間がある。

それはまるでアハ体験のように、少し興奮する。1人なので、心の中でニヤリとする程度ではあるのだが・・・笑


ひたすらに歩くというのは、おもしろい。

ただひたすら歩いていると、それはもう瞑想に近い状態になる。いや、もはやそれは歩く瞑想なのかもしれない。

そんなフロー状態で気づきは起きる。

気づきが起きてしまえば、起きる前のことを忘れてしまう。後戻りはできない。そして、その一瞬に起きたことは、すぐ忘れる。こともある。

いや、記憶力のない私はその“言葉”を覚えていられないのだ。

何か気づいたということだけ覚えたまま、内容は忘れてしまう。

そう、だから気づきに意味はないのかもしれない。このことを書いているこの文章にも意味はないのかも、しれない。


ただ、覚えていたいという気持ちが私にペンとノートを持たせてくれる。

気づいた時にメモをするのだ。そこから数日、見返したりもする。そして、やがてそのことも忘れてしまう。結局、意味はない。


生きることに意味はない、のかもしれない。

ただ 今、生きている。 以上。

それでいいのだ。それがいいのだ、きっと。

人生とはそういうものだ、たぶん。

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