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【IB・MYP・Science】Unit”もの”の探究(ものシリーズPart4:概念的理解の再構築編)

今回は授業の実践ではなく、カリキュラム設計のお話です。
なんと、Unitが始まり1ヶ月ほど経った頃にカリキュラムの根幹であるConceptを再構築することにしました。非常に安直で大雑把な理由なのですが、「しっくりこない」のです。今日はその再構築に至るまでの流れとその再構築を実際にどのように行ったのかについて、書き溜めておきます。
以下リンクに、その「しっくりこない」概念やそれ以外のカリキュラムの設計について流れを記録しております。そちらから読まれることをオススメします。


カリキュラムの再構築に至るまでの経緯

大前提の話なのですが、
本校には決まったカリキュラムが存在しません。
MYP校として認可されていないということもありますし、そもそも
MYPカリキュラムを履修する生徒の前例が本校にはいないのです。
言い換えると、ある程度形になったUnitPlanner(カリキュラムのことをそう呼んでいます)が全学年、全教科存在し、そのすでにあるPlannerについて吟味をするという段階の学校ではありません。
つまり、0からプランナーを書き出しています。

というもともとの環境は良いか悪いかPlannerの変化の余地を生みます。
「やってみてどうか」の世界ですね。
それでConceptが「しっくりこない」のであれば、じゃあ考え直そうか
と自分の中で再構築に踏み切ったわけです。

で、なぜ「しっくりこない」と感じたのかです。
きっかけは本校の他教科の実践を見させていただいたことです。
本校は「Math」「PHE」「Individual and Society」「Science」の4教科においてMYPカリキュラム的な実践をしております。

「Math」ですと、社会の不平等や格差を数字で紐解く
「PHE」ですと、ルールの発展要因を視点変化から探る
「I and S」ですと、人類の組織化を具体事象の再現によって体験する
(これらはあくまで実践を見た私自身の解釈に基づいた言葉です。Statement of Inquiryでもありません。)

とまあ、かなり抽象度の高いコンセプトを根幹に置いてそうな実践をされているわけです。
一方の「Science」はと言いますと、ものは条件変化することを理解する
んー・・・なんだか「はい、知りました」で終わりそう、、じゃね?
こう思っちゃったわけです。
なんなら、それは教科書を教える授業と何が違うの?そんな自問まで生まれてしまう始末でした。ここまできた段階で、他の専科の先生方に相談をかけることにしました。すると、あれよあれよと言う間にアイデアが膨らんでいくことになりました。

カリキュラムの再構築

相談の切り口は、「グローバルな文脈」についてもっていた違和感でした。
私は科学技術の革新というグローバルな文脈を選択しており、
その中の探求例として「方法」を選択しました。
ものの条件による変化を利用した物質の分離・精製方法、
少し具体的にしますと、濾過・蒸留・抽出・再結晶といった
物質の純度をあげるプロセスで且つ教科書に載っているような内容です。

教科書に載っていることを内容として取り扱うことには、違和感はもっていませんでした。教科書に載っていることを通して学んでほしいその先(Conceptual understanding)を見据えて設計しているのかどうかが大切ですので・・・。では、何に違和感を覚えたのか?

一言で言えば、「理科という教科の文脈から抜け出せていない」です。(グローバルな文脈に包んでいるはずなのに・・・笑)

ものは条件によって変化する。というこのConceptは、
おそらく教科書で教えていけば行き着きます。
物質の条件による変化を利用した、分離精製プロセスを知ることも
教科書で知れるでしょう。
うまく言語化できないのですが、理科という教科で獲得できるレベルの情報を「方法」という言葉を使って、Statement of Inquiryっぽい言葉に仕立てただけだと感じてしまったのです。
つまり、このままでは実社会への関連性が低いなと感じていたのです。(実社会への関連性が低いものに生徒は満足しないだろう)
こういった違和感を切り口に話していくと、
そもそもConceptual understandingの抽象度も低いんじゃないのか?(教科の文脈を飛び越えられない)みたいな話にもなり、じゃあConceptから見直すか!となっていったわけです。

教科の文脈の壁を乗り越えるために、ここからさらに仲間の先生と問答を交わし引き出されたひとつのConceptual understandingがこちらです。

変化の差異は、物事を分ける。
(Key concept:Change)
(Related concept:Conditions)

もともとは、
「ものは条件によって変化する。」
「ものの観察できない可能性のある変化は、しばしばモデルによって説明される。」でした。この新たなConceptual understandingであれば、教科の文脈も越えられると、作ってみて感じました。いくつか要因があります。
①”もの”を主語とせず、代わりにConceptを主語とした。
ものが主語である以上、”もの”に関するConceptとなってしまっていました。理科は”もの”の教科ですので、ものが主語となっていることが教科の壁を越えられない大きな要因であったと振り返ってみてわかりました。
②Related conceptであるModelsを省いた。
どうしても「化学分野は粒子概念を導入せねば!」という理科教師特有の観念に引っ張られすぎており、半ば無理やりに入れていたConceptだったと感じます。もちろん過程の中で粒子概念を知ることは重要ですが、それ自体が目的化されてしまっていたため理科っぽさを拭えなかったように思います。

このConceptual understandingが生まれると、ものの分離・精製プロセスを知るという階層からひとつ引き上がった思考になっていきました。ものの分離・精製プロセスを経て、人間はいろいろなものを創造してきたな。その創造物によって、人間の生活も進歩していったな。といった具合です。
これはGlobal contextでいうところの「科学技術の革新:人間の創造物とその進歩」です。Statement of Inquiry化して書きますと次のようになります。

人間は変化のちがいを利用して、物を創造した。
そして創造物によって人間の活動は変化する。

元は「人間は条件によるものの変化をイメージによって説明しようと試みる。そして、その変化を利用してものを精製する方法を生み出した。」でした。冒頭の他教科と比較するために併記すると、
「Math」社会の不平等や格差を数字で紐解く
「PHE」ルールの発展要因を視点変化から探る
「I and S」人類の組織化を具体事象の再現によって体験する
「Science」人間の営みの進歩を創造物の変遷によって辿る
と、こんな感じでしょうか。
実社会と関連性が高くなったか?と聞かれますと、疑問が残りますが笑
少なくとも教科の文脈は飛び越えられているなと思います。

終わりに

今回はカリキュラムの再構築について、書きました。
書きながら感じたことがあります。カリキュラムの解釈を常にアップデートし続ける、という学校や教師の地道な思考や作業が必要なのだろうな、です。そういった意味では、日本における学習指導要領も同じかなあ・・・と。考えて考えて考え尽くされたものも、小手先の手法や見栄えに傾倒し無思考に実践してしまえば、中身のない風船を飛ばして綺麗だねと言ってしまっているようなものだなあ・・・と。んー・・・自戒自戒。。。

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