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【映画感想】最後の決闘裁判

えー、リドリー・スコット監督ですね。『ブレード・ランナー』があって、『エイリアン』があって、『ブラック・レイン』、『悪の法則』があって、更に『オデッセイ』まであるのに、今まであんまりこの人凄いなと思ってなかったのですが、「今時時代劇か、あんまり観る気しないな。」と思いながら観たこの作品で(いや、当然ですが)この人凄いなと思いました。リドリー・スコット監督最新作『最後の決闘裁判』の感想です。

まず、映画冒頭、薄暗い部屋の中で甲冑を着けるジョディ・カマーというシーンから始まるんですが、個人的に時代劇に入り込みづらい要因のひとつとして、衣装や髪形が現在の自分たちと違っていて、別の世界の人という見方をしてしまうというのがあるんです。それを緩和してくれるかのように、生身の人間から(劇中の舞台である)中世フランスの人に変わって行くところを見せてくれるんですけど、このシーンがとても象徴的で、中世フランスの情景や生活を美しくリアルに見せながら、じつは描いているのは今と変わらない人間の心情ってことなんですよね。そして、そのまま馬を走らせ剣を持つマット・デイモンとアダム・ドライバーの決闘シーン。寒々しく曇った空の下で馬が土を蹴る音と、剣が甲冑を突く鈍くて重い音が響きます。それが突然途切れて薄暗くなって来た空に灯を灯す城の情景。シーンとしては中世を舞台にしたドラマでよく見る光景ではあるんですけど、冒頭からここまでの全てに生活感というか人の息遣いを感じるんです。この実存感というか人が生きてる感じというのがこの物語を語る上でとても重要で、本当の意味でそれが分かるのは映画を観終わった時なんですけど、この本質の部分が徐々に分かっていく感じというのが凄く面白いんです。重厚な時代劇ミステリーが正しく"今"の話になって行くというのが。

映画は3章に分かれていて、まずはマット・デイモン演じるカルージュの視点で語られる第1章、一本気で友情にも厚く家族を大切にしている様に見える。しかし、その一本気な性格が災いして周りと衝突することもある。で、第2章は、カルージュの親友であり臣下でもあるアダム・ドライバー演じるル・グリの視点。カルージュと違い上手く立ち回ることが出来るル・グリは情よりも自分の名誉の為に動いてる様に見える。カルージュとの友情も平気で反故にする様な男なんです。で、ここで事件が起きるんです。カルージュの妻のマルグリットに想いを寄せていたル・グリがカルージュの留守中にマルグリットに暴行を働くんです。で、あ、なるほど、それで映画冒頭の決闘になるのかと思うんですが、この映画が今までの時代劇とあきらかに違うのはここからで、マルグリットがレイプ被害を自ら告発するんです。

恐らく、これまでの時代劇の流れでいったらこの手のレイプ被害というのは決闘をする為の一要素として描かれていたと思うんですよ。マルグリットが暴行されたことよりも、ル・グリが友を裏切り、カルージュが男としての面子を潰されたことへの報復としての決闘ですね(実際、劇中でもそういうロジックで進んで行きますしね。裁判のシーンで「妻は夫の所有物なのでそれを奪う行為が罪だ」と弁護士が言ってます。)。で、それで効いてくるのがマルグリットの視点で描かれる第3章なんです。

第3章はサブタイトル的に"真実"と銘打たれていますが、第1章と第2章でカルージュ、ル・グリそれぞれの視点で描かれた同じシーンの微妙に違うセリフのニュアンスとか、ちょっとした行動の違い、これが実際はどうだったのかというのが描かれるんです。そういう意味でミステリーの謎解きみたいな面白さもあるんですが、個人的には"真実"と言い切ってしまうのはちょっとどうかなという思いもありました。友に裏切られた夫の視点、自分の力を誇示することで加害者になった者の視点、そして、第3章はやはり被害者の視点ですよね。被害を受けた側からはこのふたりの行動がどう見えていたのか。その視点が唯一の真実なのだというのは分かるんですが、わざわざ言葉で印象づけなくてもこの第3章を観たら、家族思いで一本気な性格だと思っていたカルージュがそれを自身の力の誇示に使っていたということ、自分の手に入れられないものなどないと過信していたル・グリがどれだけ世間を歪んだ視点で見ていたのかということはよく分かりますし。で、ほんとに恐ろしいのはこの第1章と第2章がカルージュとル・グリにとっての"真実"だってことです。つまり、"真実"のあやふやさっことを描いてると思うんですけど、それを描いた上での、では、"真実"とは何かってことだと思うんですよ(ただ、そこを印象づけないとマルグリットの言ってることも単なる思い込みだと断罪されて終わってしまうというのはありますね。映画としては考える余地を削がれてる様でちょっと残念ではありましたけど。だし、マルグリットの視点で描かれてることがマルグリット自身によって歪められてないとは言い切れないとも思うんです。マルグリットの視点が真実ならカルージュとル・グリの視点も真実だというのと同じ様に。だから、その上で何を最も重要視するかってことだと思うんです。)。

で、最も面白かったのは、この映画一番のカタルシスとなる最後の決闘シーンが、この第3章を観ることで全くの無意味でアホなシーンになってるってとこなんです。つまり、決闘裁判というシステムそのものが"真実"なんてものはあやふやなので"力"の強い者の意見を"真実"ということにしましょうと言ってるってことで(そして、それは"強いものが弱いものを守ってやる"っていう構図のマズさも浮き彫りにしてると思います。)、それはこんなにもアホなことなのかという。それを延々と見せられることでゆっくりと絶望して行くその過程がこの映画最大のクライマックスになっているんです。で、更に、映画が中世フランスで生きる人たちを執拗に現代を生きる僕たちと同じ人間なんですよって描き方にしてるのは、今でもこの"力"のシステムで社会が回ってるからなんだと思うんですよね。

はい、ということをSFを観る様な景観的没入感とミステリー仕立ての脚本できっちりエンタメとして見せてくれて、最後の第3章で驚きと失望を感じさせてくれて、その失望を背負ったままで最高にアホ(空虚)なクライマックスまで見せてくれて。ほんと傑作だと思いますよ。


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