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墓地の一角で男たちに囲まれる

インド、ムンバイの朝は、絢爛豪華なタージマハールホテルの門番が眠っている浮浪児を蹴り上げて始まった。藤原新也や沢木耕太郎によってバックパッカー的魔窟イメージを喚起され、アントニオ・タブッキ『インド夜想曲』によってコロニアル的多面性を付加された。最も仔細に描いたのはV.S.ナイポールではないだろうか。グレゴリー・デイヴィット・ロバーツ『シャンタラム』、映画『スラムドッグ$ミリオネア』『あなたの名前を呼べたなら』も後に私を遥か彼方のムンバイに耽溺させた。炙り出される人類の業、欲望と残酷。

歩いていると右後方から追いついた男が私に声をかけた。暑いさなかピシッとスーツを着こなし、シャツは目が覚めるような青だった。年の頃は30代半ば、恰幅が良い。いくつかの軽いやりとりがあって、「これから寺院にお参りに行くんだけど一緒に行くか?」と男は訊いた。私は同意して寺院まで歩いた。

そこはとても質素な場所で、奥に円錐状の塚がいくつも並んでいる。生まれて間もなく死んでしまった子どもたちを土葬している墓地だった。一般的には聖なる河で火葬して遺灰を流すと思っていたが、新生児の土葬には輪廻転生の何らかの意味があるのだろう。塚は土を盛っただけでなまなましく、碑もなかった。

男は説明しながら私を案内してくれた。そして気が付くと墓地の最奥の角にいて、5人ほどの男に私は囲まれていた。やられた。私はすべてを悟った。

男は手帳を出してページをめくって見せる。ニュージーランドの〇〇が何ドル、ドイツの〇〇が何ルピー。ドネーション(寄附)した人々による署名だった。さあ、君も払ってくれ。男たちは私に迫った。

私は紙幣を取り出し、男のひとりに渡すと彼は去っていった。残る男たちが言う。今のはイスラムに対するもので、ヒンズーにも払え。体臭と死臭の入り混じる妖気が漂っていた。

入り口の近くに事務所のような建物があった。わかった。あそこに行って話そう。私はそう言って男たちの隙間を割り歩きはじめた。意外にも彼らは私を止めずに付いてきた。

事務所には管理人らしき男がひとりいた。私は彼に向って大声で怒鳴った。「無理やり脅して金を要求することをお前らはドネーションと呼ぶのか!」私がまくしたてると、管理人は「いや、それはドネーションではない」と答えた。

私は振り向き、男たちに一瞥をくれると事務所を飛び出し、門をくぐり、往来に出て、止まっていた三輪タクシーに乗り込んだ。追いかけてきた男たちが窓から首を突っ込んで哀願する。「お願いだ。俺たちにもドネーションしてくれ」。スーツを着こなす男が、なぜ貧乏バックパッカーから金を巻き上げるのか。私はドライバーを急かして発進させた。

今、振り返ってみて思うことがある。私がムンバイに生まれていれば、私は彼で、彼は私だった。

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