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海外での現地採用の覚悟

 海外で働きたいという人は年々増えているようです。色んなサイトで現地での注意点などが書かれていますが、僕の経験から2点はどうしても考慮にいれておかないといけません。

 まず、給与について。現地採用で働くのであれば、その給与額は将来に大きく響きます。

 現地採用の給与額はその国の物価やその国の現地人の給与額によって異なります。欧米では相当額がいただけると思いますが、アジアでは国によっては日本以下ということになりかねません。

 マレーシアの場合、外国人の就労ビザは最低5000リンギ(15万円ほど)からということになっているので、正社員の給与はそれ以上の額になります。職種にもよりますが、だいたい7000~8000リンギぐらい(21万~24万円ほど)が現地採用日本人の平均給与ではないでしょうか。

 しかし、これは額面上であって、そこから税金や人によっては年金などが差し引かれます。そこは要注意が必要です。特に税金はマレーシアの場合、初めてマレーシアで働く人は所得税として最初の年は28%もっていかれます(次の年からは21%ぐらい)。年金のほか、家賃や食費もかかります。特に食費は毎日和食をレストランで食べていたら相当かかります。物価はおそらくクアラルンプールだと日本より高く、マレーシアはもはや安い国ではないのです。

 このあたりは色んなサイトでも書いていることなので、詳しくは割愛します。しかし、重要なことは、いただく給与と照らし合わせて、日本にどのくらいの頻度で帰るのか、そして将来日本に本帰国するのかどうか、というところまで考える必要があります。

 というのも、マレーシアの上記の給与額だと月に2000~3000リンギぐらいは、人によっては手元に残ると思いますが、年に数回日本に帰るとなると結構厳しい。また、アジアだと近隣諸国はとても近いので、旅行もしたくなります。友人も増えると冠婚葬祭など行事のときにも出費があったりと結構出ていくことは多い。となると、将来的に日本に帰ることにしているのであれば、貯金がない状況で日本に帰るとそれはそれで別の悲劇が生まれる気がします。下手をすると日本で働いていたときのほうがお金が貯まるということにもなりかねません。

 僕は一時期カンボジアに定住しようと考えましたが、月給は外国人の正社員で1000米ドル(13万円ほど)。しかし、あの国は意外に物価が高く、1000米ドルで生活するのは結構難しい。貯金なんてまったくできないと思ったので、やめた次第です。日本でバイトしてる方が割がいいと思ったのもあります。

 貯金があまりできないとなると、海外では「何のために働くの」ということになります。おそらくアジアで働きたいと思っている人は「物価が安いから貯金ができる」と思っている人もいるでしょう。しかし、物価はもはやどこも安くありません。

 さらに現地採用だと現地人と同じ給与額で張り合わないといけず、言葉もできないのであれば、結局日系企業に務めざるを得ません。となると、それは「結局日本で働いたほうがいいのでは」ということになります。ただ、「海外で働きたい」という願望だけではどうにもならないこともあるのです。給与額は必然的に日本よりも下がりますが、その給与額で何を求めるかをクリアにできれば、これは問題にはならないかもしれません。

 さて、2つ目はアイデンティティーの問題。

 これは海外に生活していかないとなかなか気づきませんが、生活していくと日本人としてのアイデンティティーについて考えさせられることがあります。

 上記の給与の面が特にそうです。結局、現地人と同じ額で働くことになりますが、どこかで日本人のアイデンティティーがあるため、「日本の給与額以下でいいのだろうか」と疑問に思うことがあります。

 特に日本人としてのアイデンティティーが強い方は、現地人と同等にまで「自分を下げる」ことに対して強い抵抗感も出てくるかもしれません。覚悟を決めて働けばいいのですが、そうはいっても、「自分は日本人だからもっともらわないと」と思うこともあります。そうなった場合、どこで自分の中で折り合いをつけるかというところが重要です。

 また、地元の文化や習慣をどこまで自分が妥協できて受け入れられるかといったところもアイデンティティーの問題に繋がります。例えば、現地の時間感覚。日本ではすべてが時間通りに動きますが、アジアに来ると時間はあってないようなもの。マレーシアやインドネシアでは時間がゴムに例えられるほどいい加減です。

 約束しても2時間以上遅れるのはざらで、その時にイライラしてはならないのです。怒るのはもってのほかなのですが、さて、あなただったらどうしますか。

 「郷に入っては郷に従え」なのですが、時間の感覚はなかなか日本人は譲れないところ。しかし、現地化してしまうと日本人の感覚から離れてしまい、もはや日本人とは仕事ができないということになります。一方で、日本人の感覚のままだと現地にはなかなか馴染めないという結果を招きます。

 現地的な感覚にはどっぷりとは浸りたくなりたくないけど、日本人の感覚も捨てられないという葛藤が生まれます。自分の限界をどこまで伸ばせるか、日本の固定概念をいかに潰すか、そしてどこまで自分が許容範囲として受け入れられるかという非常に挑戦的な作業なのです。これは人によっては鬱になってしまうのではないでしょうか。

 おそらく給与の面より、こちらのアイデンティティーの問題のほうが重要度は高い。僕は日本人でもなく、現地人でもならないように付かず離れずやっていますが、それでも思い悩むことは多々あります。アジアに住む場合、「日本人」よりも「アジア人」という意識をもっていたほうがもしかするとうまくいくかもしれません。

 

 
 


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